以前首相秘書官を務めていた柳瀬唯夫の学歴が凄い。天下の東京大学法学部を卒業、通商産業省に入省、その後官僚の公費海外留学なのか、イェール大学大学院国際開発経済学科を修了、現在経済産業省審議官。しかも現在56歳の若さ。
ずば抜けた頭脳の持ち主に違いない。
官僚の公費海外留学と言うのは正式名「行政官長期在外研究員制度」と言って、2年間の学費に加えて現地の生活費支給、給料支給とネットで紹介している。その上ハクがつくのだから、至れり尽くせりの制度のようだ。
加計学園の安倍晋三政治関与疑惑を追及する7月24日(2017年)の閉会中審査衆院予算委員会で民進党の今井雅人が参考人招致された、いわば疑惑に加担していると見られる柳瀬唯夫を疑惑追及の相手に選んだ。
今井雅人は上智大学文学部卒業、55歳。年齢は柳瀬唯夫と1歳下だが、学歴の差が出たのか、全然相手にされなかった。
質疑応答は「産経ニュース」から。 今井雅人「今治市の資料で、黒塗りなのでまだ分からない部分もありますけども、官邸に今治市の企画課長と課長補佐が首相官邸を訪れています。そのときの関係者の証言として、このとき面会したのは経済産業省出身の柳瀬唯夫首相秘書官で、今治市の担当者に『希望に沿えるような方向で進んでいます』という趣旨の話をしています。会って、どんな話をされましたか」 柳瀬唯夫柳瀬氏「お会いした記憶はございません」 今井雅人「会った可能性はあるということでよろしいですか」 柳瀬唯夫「お会いした記憶はございません」 今井雅人「会っていないと断定できないのですか」 柳瀬唯夫「記憶にございません」 今井雅人「会っていないと言えないのですか」 柳瀬唯夫「覚えておりませんので、これ以上のことは申し上げようがございません」 今井雅人「今回は、いろんな証言や文書が出てきているんですね。片やちゃんと文書がきっちり残って聞いているのに、政府は内容は定かではないとか、正しいとは思えないとかそういう発言しかない。もう一度聞きます。お会いになった可能性はありますね」 柳瀬唯夫「覚えてございませんので、何とも言いようが。申し訳ございません」 今井雅人「官邸の入館記録を提出をしていただきたい。加計学園の学校の建設費なんですが、総額195億円で、坪単価が150万円。高すぎないか。何らかの水増しがあるかどうかということも、しっかりチェックをしなきゃいけない」 |
今治市の企画課長と課長補佐が首相官邸を訪れた日は2015年4月2日だそうだ。この2カ月後の2015年6月4日に今治市と愛媛県は第2次安倍政権が進めたアベノミクスの成長戦略の柱「国家戦略特区」に「国際水準の獣医学教育特区」を提案している。
実際に会っていたなら、教育特区に誘致する獣医学部を前以って予定していなければならない。文科省が獣医学部新設の抑制方針を取っている状況下である上に獣医学部新設となると、早々手を上げる大学など存在しないだろうからだ。
いわばどこの獣医学部というふうにセットで提案しているはずだ。
同じ加計疑惑閉会中審査の7月25日の参院予算委員会でも、民進党議員桜井充が柳瀬唯夫を追及している。「産経ニュース」
桜井充の経歴を「Wikipedia」で見てみると、東京医科歯科大学医学部を卒業後、一旦東北大学医学部付属病院内科に勤務。その後東北大学大学院医学研究科博士課程修了、国立病院機構岩手病院第2内科医長に就任している。61歳。
経歴を見る限り、なかなかの秀才のようだ。
桜井充「柳瀬唯夫参考人にお伺いします。柳瀬さん、久しぶりでございます。柳瀬さんとは特に原発事故のときには大変お世話になった。柳瀬さん、今日久しぶりにお会いするが、前にお会いしたのはいつだか覚えていますか」 柳瀬唯夫「あの、いつ頃でしたでしょうか。たぶん7、8年前か…。ちょっと正確ではないが」 桜井充「そうなんですよ。7、8年ぐらい前に、財務省の当時の主計局長さんが会合を開いてくださって、官僚のこの方々が優秀で、これから先は日本の将来を担っていく人だから、副大臣、お付き合いしてくださいと言われてお会いしたのが最初だったと思うが、それでよろしいですよね」 柳瀬唯夫「財務省の方が当時の桜井副大臣にどうご説明したか、私は存じ上げない。申し訳ない」 桜井充「でもそのときに宴席一緒にしましたよね」 柳瀬唯夫「夜お食事をさせていただいてのをよく覚えている」 桜井充「さあ、7、8年前のことを覚えていらっしゃるのだから、去年、一昨年のことは覚えていらっしゃると思うんですがね。そうなってくると、これは記事でしかないが、今治市(職員)と会ったのが、その当時の柳瀬首相秘書官だと、そういわれているが、これは事実か」 柳瀬唯夫「当時私は総理秘書官として国家戦略特区、成長戦略を担当していた。その関連で内閣府の担当部局と打ち合わせもしていた。私の記憶をたどるかぎり、今治市の方とお会いしたことはない。私が秘書官をしていた平成27年の前半までは、そもそも50年余り認められてこなかった獣医学部の新設をどうするかという制度論が議論されていて、この後、先生のご指摘のあったよりも後に、石破4原則として日本再興戦略2015というのをまとめ、いわゆる石破4原則というのをそこで書いた。 それの過程でございまして、制度を具体的にどこに適用するかというような話は全く当時の段階ではなかった。したがって、この段階でどなたにお会いしても、今治市がいいとか悪いとか、そういうことを私が申し上げることはあり得ないと思っている」 桜井充「簡潔に答えてください。今治市の職員とは会っているか、会っていないか」 柳瀬唯夫「私に記憶をたどるかぎりお会いしていない」 桜井充「それは否定されたということでいいんですね」 柳瀬唯夫「私の記憶するかぎりはお会いしていないということです」 桜井充「すみませんがそれは事実として否定したということでよろしいんですね」 柳瀬唯夫「事実として私の記憶のあるかぎりはお会いしていないということだ」 桜井充「それでは和泉洋人首相補佐官は今治市職員と会っていますか、その日に」 和泉洋人「私は会ってございません」 桜井充「今のように会っていない方ははっきりと『会っていない』とおっしゃる。改めて柳瀬参考人、如何ですか」 柳瀬唯夫「記憶をたどっても会ってないということだ」 桜井充「総理、首相官邸には先ほど申し上げた通り、誰かとアポイントを取っていないかぎり入れない。総理も違うとおっしゃる。萩生田官房副長官はあの当時は職になかった。菅義偉官房長官からも、違うといわれた。 会ったとすると、今治市にはこういう記録が残っている。じゃあなぜ、なぜこの1時間半の間、こうやってアポが取れたのか。この点の疑惑を果たさないかぎり、こういう懸念、おかしいじゃないかという疑念は払拭できないと思うが、総理、如何ですか」 安倍晋三「今治市職員の方が誰と面会したかについては、すでに萩生田副長官が国会で答弁している通り、確認できなかったと承知している」 桜井充「今回、私は参考人招致で今治市長をお呼びしたいと。要するに今治市には明確な記録が残っているので、今治市の方に来ていただければ、はっきりすることだと思っている。当委員会にぜひ今治市の市長をお招きしたいと思うのでよろしくお願いする。今、福山(哲郎・民進党)理事から言われたのは、与党が否定したということで、真相をちゃんと明らかにしたいのであれば、ちゃんと今治市の方を呼んでやるべきだと私はそう思う。それで、今治市はわりと情報公開は積極的で、今治市から情報提供された資料もある」 |
確か7月26日のTBS「ひるおび!」で、桜井充が7,8年前のことを聞いて、その記憶を確かめてから、2年前のことを聞いたのはうまい引掛けだとか言っていたと思うが、結果は前の日の今井雅人と同じである。
「記憶にないはずはない」という心証を周囲に与えることに成功したとしたとしても、相手にボロを出せることに成功したわけではない。
「記憶にない」、「覚えていない」と言うだけで、「会った」、「会わなかった」のいずれかを確定的には言わないのは、「会った」と言った場合、自身だけではなく、安倍晋三まで不利な状況に追い込まれるから、「会った」と断言できないのだと誰の目にも予想がつく。
逆に「会わなかった」と断言した場合、後で会ったことが明らかになった場合、ウソをついたことになるから、そのことを回避するための偽装だということも予想できる。
「記憶にない」、「覚えていない」と言っておけば、後で会ったことが明らかになったとしても、「記憶になかったものですから」、あるいは「すっかり忘れていて、今以て記憶にはありません」で逃げることができる。
要するに柳瀬唯夫に「記憶にない」、「覚えていない」と言わせているのは自身の利害からであって、その利害は安倍晋三の利害と深く結びついているために、「会った」、「会わなかった」と断言できずに「記憶にない」、「覚えていない」と曖昧な言い方を選択する道を選ばせているのだろう。
なぜなら、2年前のことで、今治市の記録にある上に国家戦略特区に関わる獣医学部新設という重要決定の端緒に関わることなのだから、思い出さないことは先ずあり得ないからだ。
但しこのようなことを相手にぶつけたとしても、柳瀬唯夫は「記憶にない」、「覚えていない」で押し通すだろう。
経験したことは全てが脳レベルで痕跡として残っていると言われている。但し人間はその全てを覚えている記憶力は有しておらず、脳に痕跡として残っている経験に近い第三者の言葉や映像、行動などの何かのキッカケを与えられることで、脳の無数の経験の引き出しの中からキッカケによって刺激を受けた経験が記憶として引っ張り出されるのだと、フジテレビの「ホンマでっか」にコメンテーターとして出演している生物学者の池田清彦がかなり前にそんな趣旨のことを言っていた。
テレビドラマで母親に叱られた子どものイタズラを見て、すっかり忘れていて思い出すこともなかった70年も昔の幼い頃の似たような苦い経験をふと記憶に蘇らせることがある。
柳瀬唯夫が7、8年の桜井充を混じえた宴席のことを思い出したのは桜井充がそのことを話しかけたことがキッカケとなったからで、経験と記憶の同じような関係に基づいているはずだ。
7、8年のことを思い出しているのだから、ましてや2年前のことである、2017年3月4日初めに週刊誌が加計学園理事長が安倍晋三の友人であることを引っ掛けて加計学園疑惑を報じたとき、もし会っていたなら、その報道が刺激となって、柳瀬唯夫は面会を求めてきた今治市の職員と首相官邸で会ったことを記憶の引き出しから否応もなしに蘇らせたはずだ。
週刊誌報道に気づかなかったとしても、2017年3月13日の参院予算委で社民党の福島瑞穂が加計学園疑惑に関わる安倍晋三の政治関与があったかどうかで安倍晋三自身を追及している。
このことは新聞各社が報道しているから、目に触れていないはずはない。このことがキッカケとなって、今治市の職員と会っていたなら、その記憶を鮮やかに思い出すだろうし、会っていなければ、疑惑追及をどういうことなのだろうと訝るぐらいのことはしたはずだ。
思い出す十分なキッカケを与えられていながら、しかも東京大学法学部を卒業して通商産業省に入省している間にイェール大学大学院国際開発経済学科に通って修了している経歴の持ち主であることを考慮すると、たった2年前のことを「会っていた」、「会っていなかった」、いずれかに断言できないのは、やはり「会った」と言った場合は不都合な事情が生じる自身の利害からであって、その不都合は安倍晋三の利害と共通させているからだろう。
記憶の道理に照らすと、思い出さなければならない出来事だが、その道理を指摘したとしても、柳瀬唯夫は依然として「記憶にない」、「覚えていない」の態度を変えることはないだろう。
柳瀬唯夫にとってそれ程にも重大な利害となっていることの証明であり、安倍晋三にとっても重大な利害となっていることの証明そのものであるはずだ。
要するに安倍晋三は友人の獣医学部新設申請に認定の便宜を与える政治関与を萩生田光一を実行部隊長として行った。
このような推論を述べるだけでも、相手に与えるダメージは小さくないはずだ。