超大型サイクロン「パム」が3月13日夜(2015年)、南太平洋の島国、人口約25万人のバヌアツを直撃、壊滅的な被害を与えたとマスコミは伝えている。
各マスコミ記事を纏めてみる。
パムは勢力が5段階で最強レベルの「カテゴリー5」に発達、中心付近の気圧は899ヘクトパスカル、最大風速は88.9メートル。
首都ポートビラに最も接近したのは日本時間3月13日午後9時頃(現地時間3月13日午後11時頃)。
現在死者11人と発表されている。人口25万人のうちの11人である。2014年8月の土砂災害で死者74人を出した広島市の人口は117万人。バヌアツの5倍弱。単純計算でバヌアツの死者11人を5倍すると55人。決して少ないとはいえない死者数である。
翌々日の3月15日、オーストラリア政府は医師や救助隊員、支援物資を載せた軍輸送機2機をブリスベンからバヌアツに向けて派遣。水や医療物資の配布を開始。
同じ3月15日、日本政府はバヌアツ政府からの支援要請を受けて国際協力機構(JICA)を通じ、2000万円相当の緊急援助物資(スリーピングパッド,プラスチックシート等)を供与することを決定する。
3月16日、外務省職員1名、JICA職員3名、医師1名、看護師1名の6名からなる調査チームを派遣
3月17日8時30分過ぎ、中谷防衛相記者会見。
中谷元「防衛省・自衛隊としても、関係省庁と連携を取りつつ、被害状況等を把握するため、本日、現地調査チームを派遣する予定でございます。現地調査チームは4名。統幕から1名、陸幕から1名、空幕から1名、内局1名で、民航機を利用して、18日には、首都であるポートヴィラに入って、被災状況等を確認する予定でございます」
3月17日(時間不明)、バヌアツ政府の要請に基づき、外務省1名(団長)、医師2名、看護師1名、薬剤師2名、JICA2名の8名からなる国際緊急援助隊医療チームを決定。
同3月17日午後5時、成田空港にて結団式。
同3月17日午後7時35分、民間機で成田を出発。現地時間3月18日夜バヌアツ共和国ポートヴィラに到着予定。
国際緊急援助隊医療チームが成田を午後7時35分に出発した場合、翌3月18日夜にバヌアツ共和国ポートヴィラに到着予定ということは、活動は翌日の3月19日ということになる
片やオーストラリアは距離が近いと言うことと、同じイギリス連邦加盟国同士と言うこともあるが、医師や救助隊員、支援物資を載せた軍輸送機2機の出発自体は3月15日に行われている。水や医療品、食料等手配し、積み込む時間が必要だから、派遣の決定自体は同じ3月15日だとしても、出発よりもかなり早い時間に行われたことになる。
日本政府の外務省とJICAの調査チーム派遣は翌3月16日でり、実質的に必要とされる救援はそれよりも遅れることになる。
なぜ欧米の迅速な支援に対して日本の支援は遅れるのだろう。現地時間2010年1月12日夕方発生の、死者が31万6千人にも及んだハイチ巨大地震の際も諸外国が既に現地で支援活動を開始しているのに対して国際緊急援助隊医療チームの到着と活動にしても、自衛隊の到着と活動にしても後手を取り、民主党政権は国会で追及を受けることとなった。
死者6000人以上にも達した2013年11月8日午前9時にフィリッピン中部を襲った台風30号の際も、米海兵隊部隊が11月11日にフィリピン中部レイテ島に入り、90人態勢で救援活動を開始したのに対して自衛隊が本格的な支援活動を開始したのは2週間近く遅れること11月24日からである。
遅れる理由の一つは被災国政府の要請を待って行うという法律の規定があることが挙げられている。
「国際緊急援助隊の派遣に関する法律」
〈(目的)
第一条 この法律は、海外の地域、特に開発途上にある海外の地域において大規模な災害が発生し、又は正に発生しようとしている場合に、当該災害を受け、若しくは受けるおそれのある国の政府又は国際機関(以下「被災国政府等」という。)の要請に応じ、国際緊急援助活動を行う人員を構成員とする国際緊急援助隊を派遣するために必要な措置を定め、もつて国際協力の推進に寄与することを目的とする。
第三条 外務大臣は、被災国政府等より国際緊急援助隊の派遣の要請があつた場合において、第一条の目的を達成するためその派遣が適当であると認めるときは、国際緊急援助隊の派遣につき協力を求めるため、被災国政府等からの当該要請の内容、災害の種類等を勘案して、別表に掲げる行政機関(次条において「関係行政機関」という。)の長及び国家公安委員会と協議を行う。 〉
だが、このことだけが遅れる理由ではないはずだ。今回もそうだが、第一番にすることを外務省と国際協力機構(JICA)から成る調査チームを派遣して、現地のニーズを把握するという決まりきった行事を杓子定規に行っていることである。
フィリピンの台風30号のときも調査チームを先遣隊として派遣し、ハイチ地震のときも先遣隊として派遣している。
この杓子定規が日本の支援が欧米の支援に遅れる第一番の理由ではないだろうか。果たして欧米は調査チームを派遣するのだろうか。
台風であろうと地震であろうと、洪水であろうと、必要とする支援は定番となっている。医師の治療、人命救助や救援、水、食料、医薬品、寒い地域、寒い季節なら、毛布等の防寒具・寝具、暖房器具等々であろう。
被災国政府の支援要請にしても、それを待つのではなく、被害の程度が甚大と判明した時点でこちらから相手国政府に支援の必要性を尋ねてもいいはずだ。要請が降り次第、定番となっている支援要員と支援物資を自衛隊輸送機に積み込み、自衛隊員や医師や看護婦、調査チーム、人命救助を行う消防庁等のレスキュー隊、そして必要と想定した場合は人命救助犬を載せて出発、現地に到着次第、支援物資の配布やその他の活動を行えば、防災先進国の名に恥じない迅速な活動を展開できることになる。
調査チームによるニーズの把握は活動と同時進行で行っても、十分にその役目を果たすことができる。用意していなかった支援で他に必要が生じたとしても、他国支援部隊の応援を頼むか、頼めないなら、後発部隊に託したとしても、余程のことがない限り、それなりの連続性を持たせた支援は可能である。
人命救助が必要ではなく、手ブラで帰ってきてもいいわけである。手ブラで帰ることを幸いとしなければならない。もし必要なら、一人でも多くの人命救助がより早くできる可能性が生じる。
日本の国際緊急支援が杓子定規であることはたった8名のメンバーであるにも関わらず、出発時に国際緊急援助隊医療チームの結団式を成田空港で午後5時きっかりに行っているところに象徴的に現れている。
全員が集まり次第結団式を行ったのではなく、予め時間を決めて、その時間が来たから始めたという経緯を取ることによって午後5時というきっかりという時間が出てくる。
全員が顔を揃えたのが午後5時きっかりだったから、その時間に始めたということはあるまい。民間機の3月17日午後7時35分出発まで2時間35分もあるのである。午後5時結団式と決めていたから、2時間35分前の午後5時までに全員が顔を揃えることができたはずだ。
民間機の発着時間まで時間があったから行ったということでもないはずだ。出発まで2時間35分という時間はあり過ぎるし、入学式とか入社式というわけではないのだから、出発ロビーで顔を会わせ次第、紹介し合えば済む問題であろう。
何事も臨機応変、自然災害時の活動程、臨機応変の判断が求められる。
だが、結団式を必要とした。第一番に調査チームを決まりきって派遣するのも杓子定規の決まりなら、結団式も杓子定規な儀式にしか思えない。
防災先進国を自負しながら、海外の支援に遅れを取る。口では「国民の生命と財産」、あるいは「国民の幸せ」と言っても、人命に対する意識が低いからではないのか。人命に日本人も外国人もない。
参考までに――
2010年1月18日記事。 《ハイチ地震、緊急調査チームを送ったのは日本だけではないのか-『ニッポン情報解読』by手代木恕之》》
2013年11月14日記事。 《日本政府のフィリピン台風支援遅れはフィリピン政府の要請にアメリカとの差があるのか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》