防衛省の内部部局の官僚が自衛官より優位に立つ根拠とされてきた防衛省設置法第12条の、いわゆる「文官統制」規定を廃止し、防衛官僚(背広組)と自衛官(制服組)を対等と位置付ける規定を盛り込んだ改正案を週内にも閣議決定して、今国会での成立を目指す方針だとマスコミが伝えている。
防衛省設置法第12条は次のように規定している。
第12条 官房長及び局長は、その所掌事務に関し、次の事項について防衛大臣を補佐するものとする。
一 陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊又は統合幕僚監部に関する各般の方針及び基本的な実施計画の作成について防衛大臣の行う統合幕僚長、陸上幕僚長、海上幕僚長又は航空幕僚長(以下「幕僚長」という。)に対する指示
二 陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊又は統合幕僚監部に関する事項に関して幕僚長の作成した方針及び基本的な実施計画について防衛大臣の行う承認
三 陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊又は統合幕僚監部に関し防衛大臣の行う一般的監督
「官房長及び局長」は防衛省の機関の一つである内部部局の役職名であり、上記規定のように官房長及び局長は防衛大臣の執務を補佐する役目を負っている。
設置法改正案では背広組は従来の官房長と局長に加えて新設の防衛装備庁長官の計3名が防衛政策面から、制服組からは統合幕僚長と陸海空3幕僚長(計4名)が軍事面から、それぞれが対等の立場で防衛大臣を補佐する仕組みになるという。
役目ごとに対等に役割を担う。一見合理的には見える。
平時の際はさして問題なく機能するだろう。日本人はとかく権威主義的な思考様式・行動様式の傾向が強い。もし自身の権威が上に位置していた場合、自身の地位と役割を権威として、その権威に拘り、その権威を以って下の権威を従わせようとする行動様式を言う。
平時の際に制服組側からこの手の行動様式が働いて問題となるのは兵器の購入といったことではないだろうか。兵器の性能を優先して、予算を無視して押し切る、あるいはゴリ押しするといったことが起きるかもしれない。
問題は今後安倍晋三の「積極的平和主義」を口実とした自衛隊の海外活動が増えるに応じて発生するかもしれない有事の際、制服組が「現場を知っているのは我々だ、背広組は現場を知っているのか」と、“現場を知っている”ことを最大の権威とした、言ってみれば現場知識主義を持ち出して制服組の主張を押し通そうとする危険性の誘発を考えなければならない。
10年ぐらい前か、あるいはそれ以上前か忘れたが、東大法学部卒等の優秀な人材が出世を約束されて入省、本人もそのことを承知していて人の上に立つことを意識し、僕は子供の頃はよく喧嘩をしたとか、東大在学時代はよく女遊びをしたと自慢して、自分は決して勉強だけの人間ではない、人生経験豊かな人間であって、勉強だけで人の上に立つわけではないことを暗に知らしめる傾向について何かの記事で知ったことがある。
官僚を目指す全ての東大卒がそうであるわけはないだろうが、要するに勉強だけして優秀となって人の上に立つことにコンプレックスを感じていて、その裏返しとして表出することになった自慢ということなのだろう。
このような自慢も東大という大学で自分が学び知識としたことのみに権威を置くだけでは恥ずかしくて、喧嘩の経験に権威を置き、その現場に喧嘩する一人として参加したことがあって、喧嘩という経験の知識を持っているという現場知識主義の表出であり、恋愛の経験に権威を置いて、その現場に恋愛のプレーヤーとして何度も参加したという現場知識主義への傾倒ということであろう。
人材を動かし、組織を動かしてそれらを的確・有効に機能させ、職務を確実・効果的に遂行して優れた結果を出す創造性と臨機応変な判断力が必要であって、単に現場を知っているというだけの現場知識主義は意味を成さない。前者の能力をこそ自らの権威とすべきを、喧嘩の経験や女性の経験、更にはその自慢が仕事に必要なわけでもないのにそれらを自身の権威としてしまう。
このことを理解することができないこと自体が問題となるが、現場知識の欠乏がコンプレックスとなって否応もなしに現場知識主義へと走らせてしまう。
よく「経験した者でなければ理解できない」という言葉を聞くが、もしそれが事実であったなら、優れた小説は成り立たないこととなる。経験をした者から聞き出した話を自身の様々な経験に加えて人間という生きものの在り様と照らし合わせて、それらを自身の想像力(創造力)で補い、経験した者以上の経験を描き出すことは決して不可能ではない。
戦時中の昭和15年(1940年)9月30日付施行の勅令第648号(総力戦研究所官制)により創設された総力戦研究所は官僚27名(文官22名・武官5名-旧陸海軍では下士官以上の軍人)の第一期研究生を入所させ、二代目軍人の所長の元(初代も軍人)昭和16年(1941年)7月12日から日米戦争を想定した第1回総力戦机上演習(シミュレーション)が行われた。
そして次の結論に達した。「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」であり、「日本必敗」
その発表の席に参列していた当時陸将の東条英機がその結論をあっさりと覆した。
東条英機「諸君の研究の勞を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、實際の戰争といふものは、君達が考へているやうな物では無いのであります。
日露戰争で、わが大日本帝國は勝てるとは思はなかつた。然し勝つたのであります。あの當時も列强による三國干渉で、やむにやまれず帝國は立ち上がつたのでありまして、勝てる戰争だからと思つてやつたのではなかつた。戰といふものは、計畫通りにいかない。
意外裡な事が勝利に繋がつていく。したがつて、諸君の考へている事は机上の空論とまでは言はないとしても、あくまでも、その意外裡の要素といふものをば、考慮したものではないのであります。なほ、この机上演習の經緯を、諸君は輕はずみに口外してはならぬといふことであります」(以上Wikipedia参考)
何年か前のブログに次のように書いた。
〈国力や軍事力、戦術等の彼我の力の差を計算に入れた戦略(=長期的・全体的展望に立った目的行為の準備・計画・運用の方法) を武器とするのではなく、それらを無視して、最初から「意外裡」(=計算外の要素)に頼って、それを武器にしてアメリカに戦争を挑むという考えに立っていたのだから、非合理的な精神論を戦略としていたに過ぎない。
この東條英機の非合理的な精神論は日本軍全体を支配していたまともな戦術・戦略なき非合理的な精神論に相互反映した非合理的な精神論であろう。〉――
東条英機の“意外裡論”(=計算外の要素)を有効・強力な主張となさしめた原因は現場知識主義であろう。現場を知っていることを権威としていた。
軍事の現場、あるいは戦争の現場を知らなくても、日米開戦をした場合の総合的な力の差を冷徹な目で戦略的に見通すことのできる客観性を持たせた(いわば精神論を排した)創造性と臨機応変な判断力を備えていた指導者であったなら、そう安々と日米開戦に走ることはなかっただろうはずだ。
だが、既に触れたように日本人はとかく権威主義的な思考様式・行動様式の傾向が強く、インテリジェンス(知識・情報)に於いて“現場を知っている”ことを権威とする現場知識主義がハバを利かしている。
それゆえに現場知識がない者はある者に弱いという風潮が蔓延(はびこ)ることとなっている。
「俺は現場を知っている」と言われると、その者の意見・主張に押されて、それが罷り通りがちとなる。
自衛隊運用の場面で制服組が現場知識主義を錦の御旗として、あるいは水戸黄門の葵の御紋が入った印籠の如くに万能の力を持たせて罷り通らせた場合、文民統制(=シビリアンコントロール)の崩壊の瞬間を迎えることになりかねない。
危険性として十分に考えられる、そうなった場合、戦争の反省に立った文民統制(=シビリアンコントロール)でありながら、戦前のいつか来た道への回帰そのものとなる。