安倍晋三の日本の戦争を「侵略でない」が許されるなら、韓国人の日本の原爆は「神の懲罰」も許される

2013-05-24 09:08:02 | 政治

 韓国人記者が米軍による日本の広島と長崎への原爆投下は人間の手を借りた神の懲罰だとする記事を書いた。当然、多くの日本人が反発し、非難している。

 菅官房長官(5月23日午前記者会見)「政府としては、中央日報の記事の表現は誠に不見識だと考えている。韓国の日本大使館を通じて、中央日報の関係者に強く抗議した。日本は唯一の被爆国なので、原爆に関する、こうした認識は断じて容認することはできない。また、日韓両国民が冷静に対応していくことも重要だと考えている」(NHK NEWS WEB

 広島市長「神の懲罰だなどという論理展開をしていること自体、読むに耐えない記事だ。被爆者や、被爆者の核兵器廃絶への思いを共有する日韓両国の多くの国民の気持ちを傷つけることをなぜするのか分からない」(NHK NEWS WEB

 長崎市長「報復のためになら核兵器を使ってもいいと捉えてもおかしくない、本当に多くの人を傷つけるひどい記事だ。こういった問題は、日韓関係が悪化するなかで起きやすくなるので、市民レベルや都市外交レベルでも互いの文化に対する理解を深め、友好関係を築いていけるよう努力していくことが大切だ」(NHK NEWS WEB

 だが、菅官房長官が「不見識だ」とし、広島市長が「読むに耐えない」とする、さらに長崎市長が「多くの人を傷つけるひどい記事だ」とする韓国人記者の記事は些かエキセントリックな内容となっているが、安倍晋三の歴史認識に憎悪し、対抗心も露わに挑戦した歴史認識に過ぎない。

 安倍晋三の歴史認識が許されるなら、韓国人記者の歴史認識も許されなければ、不公平となる。

 記事は書いている。「(日本の)ある指導者は侵略の歴史を否定し妄言でアジアの傷をうずかせる。新世代の政治の主役という人が慰安婦は必要なものだと堂々と話す。安倍は笑いながら731という数字が書かれた訓練機に乗った。その数字にどれだけ多くの血と涙があるのか彼はわからないのか。安倍の言動は人類の理性と良心に対する生体実験だ。いまや最初から人類が丸太になってしまった。

 安倍はいま幻覚に陥ったようだ。円安による好況と一部極右の熱気に目をふさがれ自身と日本が進むべき道を見られずにいる。自身の短い知識で人類の長く深い知性に挑戦することができると勘違いしている」――

 広島・長崎の原爆で約21万人の死者を出し、その後多くの市民が放射能汚染と汚染への恐怖で苦しんだ。

 この約21万人を含めて日中戦争も入れた日本の戦争で軍人、軍属、外地一般邦人、国内戦災死没者等合わせて約310万人の死者を数えている。 

 対して日本の戦争によってアジア各国で生じた死者数は総計で1900万人以上と推計されている。

 死者数のみから比較した場合、広島と長崎への原爆投下が実際に人間の手を借りた神の懲罰だと解釈したとしても、その懲罰は軽過ぎるという論も成り立つ。

 問題は原爆投下を神の懲罰だとした場合、原爆投下を招いた責任をも抽象的な存在でしかない神に肩代わりさせることになって、当時の日本政府と軍部の人間の責任を曖昧にし、どこかに消してしまうことである。

 米・英・中三国の日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言が1945年(昭和20年)7月26日に発せられた。翌々日の7月28日、当時の鈴木貫太郎首相が記者会見で日本政府の態度を次のように表明した。

 鈴木貫太郎「共同声明はカイロ会談の焼直しと思う。政府としては重大な価値あるものとは認めず黙殺し、断固戦争完遂に邁進する」(Wikipedia/「毎日新聞」からの引用)

 ポツダム宣言を無視、戦争継続を謳った。英米に対して戦争を継続するだけの能力を失っていたにも関わらずである。

 カイロ宣言はその最後で、「日本国ト交戦中ナル諸国ト協調シ日本国ノ無条件降伏ヲ齎スニ必要ナル重大且長期ノ行動ヲ続行スヘシ」と、日本の無条件降伏を戦争の最終目的とした。そしてポツダム宣言はカイロ宣言の履行を求めている。

 日本側はこの無条件降伏に拘った。国体護持=天皇制維持に関わるからだ。そこで軍部は鈴木貫太郎首相に圧力をかけ、上記「黙殺」を日本政府の態度とさせた。

 逆説すると、軍部の国体護持=天皇制維持への執着が結果とした「黙殺」であった。国民の生命・財産を考えに入れた連合国側に対する態度ではなかった。

 7月28日のポツダム宣言「黙殺」と「断固戦争完遂」から9日後の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、広島に原爆投下。1945年末までに約14万人の生命を奪い、12日後の1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、長崎に原爆投下。同じく1945年末までに約7万人の生命を奪った。

 もしあの時点でポツダム宣言を受諾し、無条件降伏に応じていたなら、原爆投下という歴史は存在しなかったはずだ。

 だが、当時の日本政府と日本の軍部は結果としてその歴史を存在させることとなった。

 これを以て人間の手を借りた神の懲罰だとした場合、当時の日本政府及び日本の軍部の国民の生命・財産を視野に入れない、国家体制の維持のみを考えに置いた愚かしい国家主義の責任は、日本人自身の手による戦争総括がないことと相俟って的をぼかされ、曖昧化させると同時に神の懲罰視した記者に対する批判・非難が逆に歴史認識に関わる日本の立場を正義とする暗黙的同意を生じさせない保証はない。

 何よりも忘れてはならないことは既に触れたように記事の内容は安倍晋三の日本の戦争を侵略戦争ではないとした歴史認識に対抗して自ら創り出した歴史認識だと言うことである。

 韓国人記者の原爆投下を人間の手を借りた神の懲罰だと見做す歴史認識を不見識だと批判・非難しながら、安倍晋三の侵略戦争否定を何ら批判・非難もせずに放置するなら、公平性を立つことはできない。

 既に周知の事実となっているが、1943年5月31日御前会議決定の、太平洋戦争遂行に関する基本方針を定めた「大東亜政略指導大綱」には次のような一文が挿入されている。

〈六 其他ノ占領地域ニ対スル方策ヲ左ノ通定ム  
但シ(ロ)(ニ)以外ハ当分発表セス  

(イ)「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発並ニ民心ノ把握ニ努ム〉――

 マライ、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスに対する植民地宣言であり、「当分発表セス」と秘密とする必要性は自存自衛の戦争、あるいはアジア解放の戦争と謳った戦争目的との整合性を保つ関係からであろう。

 いわば自存自衛の戦争、アジア解放の戦争の裏で上記国や地域を植民地とすべく謀っていた。と言うことは、侵略を戦争の目的としていた。

 だが、安倍晋三は「侵略という定義は国際的にも定まっていない」とする文言で間接的に日本の戦争の侵略を否定する歴史認識に立っている。

 再び言う。もし韓国人記者の原爆投下に対する神の懲罰視を批判するなら、安倍晋三の侵略否定の歴史認識をも批判してこそ、公平性を保つことができるはずだ。

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