橋下徹の日本外国特派員協会講演での従軍慰安婦発言に見る安倍晋三並みに信用できない人間性

2013-05-28 11:19:56 | Weblog

 橋下徹日本維新の会共同代表が昨日、5月27日(2013年)、日本外国特派員協会で自身の従軍慰安婦に関わる発言やその他について事前に公表した「私の認識と見解」と題した文書を読み上げて講演を行い、一部謝罪、一部弁明を行ったという。

 文書の全文を「毎日jp」が記事にしている。《橋下徹氏:「私の認識と見解」 日本語版全文》(2013年05月26日)

 橋下徹は基本的にはこの文書の内容に基づいて記者の質問に答えているだろうから、全体の発言は内容に大きく外れてはいないはずだ。但し文書には問題となっている河野談話についての言及がないが、マスコミの記事では取り上げているから、質問されて答えたのだろう。

 沖縄の在日アメリカ軍司令官に兵士の綱紀粛正に風俗業活用を勧めたことは、「アメリカ軍のみならずアメリカ国民を侮辱することにも繋(つな)がる不適切な表現でしたので、この表現は撤回するとともにお詫び申し上げます」としている。

 ここでは従軍慰安婦についてと「河野談話」について取り上げてみる。従軍慰安婦に関して、「慰安婦の利用を容認したことはこれまで一度もありません」と断言していることが橋下徹発言の事実に反しているからであり、「河野談話」が認めている日本軍による従軍慰安婦強制連行を否定しているからである。
 
 先ず「私の認識と見解」から従軍慰安婦に関する個所を抜き取ってみる。

 「私の認識と見解」

 ■いわゆる「慰安婦」問題に関する発言について

 以上の私の理念に照らせば(前段で、「私は、疑問の余地なく、女性の尊厳を大切にしています」と言っている。)、第二次世界大戦前から大戦中にかけて、日本兵が「慰安婦」を利用したことは、女性の尊厳と人権を蹂躙(じゅうりん)する、決して許されないものであることはいうまでもありません。かつての日本兵が利用した慰安婦には、韓国・朝鮮の方々のみならず、多くの日本人も含まれていました。慰安婦の方々が被った苦痛、そして深く傷つけられた慰安婦の方々のお気持ちは、筆舌につくしがたいものであることを私は認識しております。 

 日本は過去の過ちを真摯(しんし)に反省し、慰安婦の方々には誠実な謝罪とお詫(わ)びを行うとともに、未来においてこのような悲劇を二度と繰り返さない決意をしなければなりません。

 私は、女性の尊厳と人権を今日の世界の普遍的価値の一つとして重視しており、慰安婦の利用を容認したことはこれまで一度もありません。私の発言の一部が切り取られ、私の真意と正反対の意味を持った発言とする報道が世界中を駆け巡ったことは、極めて遺憾です。以下に、私の真意を改めて説明いたします。

 かつて日本兵が女性の人権を蹂躙したことについては痛切に反省し、慰安婦の方々には謝罪しなければなりません。同様に、日本以外の少なからぬ国々の兵士も女性の人権を蹂躙した事実について、各国もまた真摯に向き合わなければならないと訴えたかったのです。あたかも日本だけに特有の問題であったかのように日本だけを非難し、日本以外の国々の兵士による女性の尊厳の蹂躙について口を閉ざすのはフェアな態度ではありませんし、女性の人権を尊重する世界をめざすために世界が直視しなければならない過去の過ちを葬り去ることになります。戦場の性の問題は、旧日本軍だけが抱えた問題ではありません。第二次世界大戦中のアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍、ドイツ軍、旧ソ連軍その他の軍においても、そして朝鮮戦争やベトナム戦争における韓国軍においても、この問題は存在しました。

 このような歴史的文脈において、「戦時においては」「世界各国の軍が」女性を必要としていたのではないかと発言したところ、「私自身が」必要と考える、「私が」容認していると誤報されてしまいました。

 戦場において、世界各国の兵士が女性を性の対象として利用してきたことは厳然たる歴史的事実です。女性の人権を尊重する視点では公娼(こうしょう)、私娼(ししょう)、軍の関与の有無は関係ありません。性の対象として女性を利用する行為そのものが女性の尊厳を蹂躙する行為です。また、占領地や紛争地域における兵士による市民に対する強姦(ごうかん)が許されざる蛮行であることは言うまでもありません。

 誤解しないで頂きたいのは、旧日本兵の慰安婦問題を相対化しようとか、ましてや正当化しようという意図は毛頭ありません。他国の兵士がどうであろうとも、旧日本兵による女性の尊厳の蹂躙が決して許されるものではないことに変わりありません。

 私の発言の真意は、兵士による女性の尊厳の蹂躙の問題が旧日本軍のみに特有の問題であったかのように世界で報じられ、それが世界の常識と化すことによって、過去の歴史のみならず今日においても根絶されていない兵士による女性の尊厳の蹂躙の問題の真実に光が当たらないことは、日本のみならず世界にとってプラスにならない、という一点であります。私が言いたかったことは、日本は自らの過去の過ちを直視し、決して正当化してはならないことを大前提としつつ、世界各国もsex slaves、sex slaveryというレッテルを貼って日本だけを非難することで終わってはならないということです。

 もし、日本だけが非難される理由が、戦時中、国家の意思として女性を拉致した、国家の意思として女性を売買したということにあるのであれば、それは事実と異なります。

 過去、そして現在の兵士による女性の尊厳の蹂躙について、良識ある諸国民の中から声が挙がることを期待するものでありますが、日本人が声を挙げてはいけない理由はないと思います。日本人は、旧日本兵が慰安婦を利用したことを直視し、真摯に反省、謝罪すべき立場にあるがゆえに、今日も根絶されていない兵士による女性の尊厳の蹂躙の問題に立ち向かう責務があり、同じ問題を抱える諸国民と共により良い未来に向かわなければなりません。

 21世紀の今日、女性の尊厳と人権は、世界各国が共有する普遍的価値の一つとして、確固たる位置を得るに至っています。これは、人類が達成した大きな進歩であります。しかし、現実の世界において、兵士による女性の尊厳の蹂躙が根絶されたわけではありません。私は、未来に向けて、女性の人権を尊重する世界をめざしていきたい。しかし、未来を語るには、過去そして現在を直視しなければなりません。日本を含む世界各国は、過去の戦地において自国兵士が行った女性に対する人権蹂躙行為を直視し、世界の諸国と諸国民が共に手を携え、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう決意するとともに、今日の世界各地の紛争地域において危機に瀕(ひん)する女性の尊厳を守るために取り組み、未来に向けて女性の人権が尊重される世界を作っていくべきだと考えます。

 日本は過去の過ちを直視し、徹底して反省しなければなりません。正当化は許されません。それを大前提とした上で、世界各国も、戦場の性の問題について、自らの問題として過去を直視してもらいたいのです。本年4月にはロンドンにおいてG8外相会合が「紛争下の性的暴力防止に関する閣僚宣言」に合意しました。この成果を基盤として、6月に英国北アイルランドのロック・アーンで開催予定のG8サミットが、旧日本兵を含む世界各国の兵士が性の対象として女性をどのように利用していたのかを検証し、過去の過ちを直視し反省するとともに、理想の未来をめざして、今日の問題解決に協働して取り組む場となることを期待します。 

 「女性の尊厳と人権」を何度でも言っている。「第二次世界大戦前から大戦中にかけて、日本兵が『慰安婦』を利用したことは、女性の尊厳と人権を蹂躙(じゅうりん)する、決して許されないものであることはいうまでもありません」と言い、「私は、女性の尊厳と人権を今日の世界の普遍的価値の一つとして重視しており、慰安婦の利用を容認したことはこれまで一度もありません」と言い、「日本兵が女性の人権を蹂躙したことについては痛切に反省し、慰安婦の方々には謝罪しなければなりません」と言い、第二次世界大戦中、各国の軍が女性の人権を蹂躙する問題が存在した、「このような歴史的文脈において、『戦時においては』『世界各国の軍が』女性を必要としていたのではないかと発言したところ、『私自身が』必要と考える、『私が』容認していると誤報されてしまいました」と言い、「戦場において、世界各国の兵士が女性を性の対象として利用してきたことは厳然たる歴史的事実です。女性の人権を尊重する視点では公娼(こうしょう)、私娼(ししょう)、軍の関与の有無は関係ありません。性の対象として女性を利用する行為そのものが女性の尊厳を蹂躙する行為です。また、占領地や紛争地域における兵士による市民に対する強姦(ごうかん)が許されざる蛮行であることは言うまでもありません」と言い、自らが思想としている「女性の尊厳と人権」という観点から軍が女性を性の対象とすることへの強い忌避感を示し、「私は、未来に向けて、女性の人権を尊重する世界をめざしていきたい」と言っている。

 当然のことだが、批判を浴びることとなったそもそもの発端となった5月13日の発言が「女性の尊厳と人権」に裏打ちされた言葉によって成り立たせていてこそ、以上の主張は正当化される。

 橋下徹「当時の歴史を調べてみれば、日本だけではなく、いろんな国で慰安婦制度が活用されていたことが分かる。銃弾が雨嵐のごとく飛びかう中で、命をかけて走り、精神的に高ぶっている集団を休息させようと思ったら、慰安婦制度が必要なのは誰でも分かる。

 日本は、無理やり強制的に女性を拉致して慰安婦の職業につかせたと批判されているが、違うことは違うと言っていかなければいけない。日本政府が暴行脅迫したというのは、証拠に裏付けられていない。意に反して慰安婦になってしまった方は戦争の悲劇でもあり、戦争の責任は日本にもあるのだから、慰安婦の方の心情を理解して、やさしく配慮することが必要だ」(NHK NEWS WEB)――

 「意に反して慰安婦」とされた女性に対してはその「心情を理解して、やさしく配慮することが必要だ」とは言っているが、そういった女性の境遇に対する同情であって、「女性の尊厳と人権」という観点からの理解とはなっていない。

 そのような理解ではないことは、「銃弾が雨嵐のごとく飛びかう中で、命をかけて走り、精神的に高ぶっている集団を休息させようと思ったら、慰安婦制度が必要なのは誰でも分かる」と言っていること自体が証明している。

 兵士という男性を主体に置き、慰安婦という女性を従に置いた、言ってみれば軍や兵士だけのことを考えて、女性のことは何も考えない、「女性の尊厳と人権」は一顧だにしない発想で成り立たせた発言でしかない。

 だが、日本外国特派員協会での講演では、「女性の尊厳と人権」を前面に打ち出している。要するに後付けの「女性の尊厳と人権」思想でしかないということであろう。

 大体が、「銃弾が雨嵐のごとく飛びかう中で、命をかけて走り、精神的に高ぶっている集団を休息させようと思ったら、慰安婦制度が必要なのは誰でも分かる」と言っていること自体が慰安婦制度利用の必要性への言及であって、「慰安婦の利用を容認したことはこれまで一度もありません」と言っていることとは相矛盾する。後付けの弁解であるばかりか、弁解自体をウソとする。

 果たして自分のこれまでの発言を振り返って「私の認識と見解」を成り立たせたのか、疑わしい。

 5月13日の発言では、「日本は、無理やり強制的に女性を拉致して慰安婦の職業につかせたと批判されているが、違うことは違うと言っていかなければいけない。日本政府が暴行脅迫したというのは、証拠に裏付けられていない」と断言して、結果的に慰安婦の強制連行を認めている「河野談話」を証拠文書が存在しないことを根拠にして否定、日本兵の従軍慰安婦利用に免罪符を与えているのに対して日本外国特派員協会では、「女性の人権を尊重する視点では公娼(こうしょう)、私娼(ししょう)、軍の関与の有無は関係ありません」と、軍の関与があろうとなかろうと関係なしに女性を性の対象とすることは「女性の尊厳と人権」に反する行為だと、一旦は与えた免罪符を取り上げていることも発言に整合性を欠いていて、単に自分をいい子に見せる取り繕いにしか見えない。

 兵士が相手が公娼であろうと私娼であろうと個人的に女性を性の対象とすること自体を女性の尊厳と人権を蹂躙する行為だと位置づけるなら、いわば女性の尊厳と人権に対する悪質な行為だと把えるなら、軍の関与となれば、組織的であるという点に於いて当然、その蹂躙は個人的な蹂躙の比ではない悪質さと重大さを増す。

 だが、橋下徹は「軍の関与の有無は関係ありません」と、蹂躙の悪質さと重大さを無視している。この無視は女性の尊厳と人権の無視に相当する。無視できること自体、女性の尊厳と人権の思想がツケ焼刃であることを物語っているはずだ。

 もし従軍慰安婦の多くが日本軍関与の強制連行であるなら、日本軍自体が女性の尊厳と人権を蹂躙どころか、抹殺する行為を行ったことになる。女性の人間性を抹殺することができるからこそ、強制連行を企てることができる。

 河野談話は強制連行を認めている。 

 《慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話》(外務省HP/1993年8月4日)
  
 (一部分抜粋)

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。

今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。 

 橋下徹は5月13日の発言では「日本政府が暴行脅迫したというのは、証拠に裏付けられていない」として強制連行を否定している。日本外国特派員協会での「河野談話」に関わる発言を、《橋下氏 風俗業活用発言を撤回し謝罪》NHK NEWS WEB/2013年5月27日 15時35分)から見てみる。

 橋下徹「政府は平成19年に、国家の意思として女性を拉致したことはなかったという見解を出しているが、この核心的論点について河野談話は逃げている。これが日韓関係が改善しない最大の理由だと思うので、河野談話であいまいになっている点を明確化すべきだ」――

 「平成19年」の見解とは安倍内閣が辻元清美の質問主意書に対する政府答弁書で、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と従軍慰安婦の強制連行を否定したことを指していて、河野談話が閣議決定していないのに対して安倍内閣政府答弁書は閣議決定を経ているゆえにこのことを根拠として安倍晋三とその一派が閣議決定の時点で河野談話を見直していると解釈している。

 その一方で安倍内閣は公には「河野談話」を継承すると欺瞞を働かせている。いわば表向きの顔と内向きの顔を使い分けるマヤカシを行なっている。

 橋下徹自身は5月13日の発言で河野談話が認めている従軍慰安婦の強制連行を完全否定していながら、日本外国特派員協会では「河野談話」は「核心的論点」である強制連行について「逃げている」、「あいまいになっている」と完全否定を撤回、不明確な取り扱いになっていると、その責任に触れている。

 だから、「明確化すべきだ」と。

 だが、河野談話は、「軍の要請を受けた業者」「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった」と、官憲の「加担」の中に業者による「甘言、強圧」を含めていて、その強制連行を明確に認めている。

 橋下徹自身がどう「明確化すべきだ」と言っているのか、5月27日日本外国特派員協会講演の前日の5月26日、出演したテレビで喋っている。 

 フジテレビ「新報道2001」(2013年5月26日)

 橋下徹「僕はやっぱり一番の問題点は自民党がね、あの、歴史の問題になると、曖昧にするんですよ。選挙の前を考えてね、えー、そこをきちっと明確化しない。

 だって、今の自民党の政権の中でですよ、河野談話を見直したとかね、おかしいってことを声高に叫んでいた人が一杯いるんですよ。

 今、こういった問題になったら、みんなダンマリを決め込んでしまって、僕は河野談話については否定しません。で、また、修正という言葉も問題だと思っています。僕は明確化なんです。何が一番問題かと言うと、1993年の河野談話で、あそこに書かれている事実は多分そうなんでしょう。

 ただ、ホントーに明確化しなければならなかったのは、その当時、韓国サイドの方から言われていたのは、国家の意思として強制連行があったのか、どうかなんです。

 国家の意思として拉致があったのか、人身売買があったのか。北朝鮮がやったような拉致をね、国家がやったのかどうなのかってところが争点になった。

 そこをスパーンと落としてね、曖昧な河野談話を作った。

 あそこに書いてあることは事実なんでしょう。しかし一番論点になっているところを落とし、そこで第1次安倍内閣の2007年の閣議決定でね、今度は直接、そのね、強制連行を裏付けるような文献的な資料はなかったってことで、もう、このね、日本の、その意思って言うものをグジャグジャにしてしまっている。

 これ、自民党なんですよ。

 ただ、ここはね、明確してくださいって言ってるのに、もう、自民党はだーんまりですよ、選挙のことを考えて――」 

 ここにもゴマ化しがある。5月13日の発言では、「日本政府が暴行脅迫したというのは、証拠に裏付けられていない」と証拠文書の存在していないことを以って「国家の意思」を自ら否定していながら、強制連行があったのかなかったのか「河野談話」が曖昧にしたために「強制連行を裏付けるような文献的な資料はなかったってこと」を言い出したのは「第1次安倍内閣の2007年の閣議決定で」あって、そのことによって「河野談話」が強制連行を含めて世界に示した「日本の、その意思って言うものをグジャグジャにしてしまっ」たと、安倍内閣、もしくは自民党に責任を転嫁している。

 だから、どっちなんだと「明確化」を求めているのだと。

 要するに自己正当化のために発言をコロコロと変えているに過ぎない。

 この信用のなさは従軍慰安婦強制連行の証拠文書が存在するしない以前の橋下徹自身の人間性の問題であり、その信用のなさは安倍晋三の人間性と優劣つけがたいのではないか。

 「国家の意思」とは何か。例え大本営が直接的に認めたことではなくても、軍全体として暗黙的な慣習として容認していたなら、国家の意思に相当する。慰安所の戦地全体に亘る、あるいは占領地全体に亘る広範囲な設置とその数の多さが証明する。そして従軍慰安婦の募集に直接軍が関わっていた事例が残されているし、募集した慰安婦の移送に軍のトラックを使用している。

 戦争中旧日本海軍の主計官だった中曽根康弘元首相がインドネシアで兵士が現地人女性を襲ったり博打に耽る者が出たからと言って慰安所を作ったと自らの著書で明らかにしているが、独断行為として設置できるはずはなく、部隊上層部の承認を得ていたとしても、軍全体の暗黙的な慣習(=国家の意思)に対応した行為だからこそ、部隊としても承認可能とした慰安所設置だったはずだ。

 「国家の意思」が強制連行にまで踏み込んで関わっていたかどうかが問題となる。

 証拠文書が残されていないからと言って、強制連行が存在しなかったことと同じ事実とすることはできない。

 無条件降伏を受け入れるに当たってポツダム宣言が求めていた戦争犯罪人に対する厳重な処罰を逃れるために1945年8月15日に閣議決定した「重要文書類焼却」の通達を受けて、特に従軍慰安婦に関わるメモをも含めた書類は各部隊共焼却を徹底させたはずだ。

 いわば日本軍や日本軍兵士に都合の悪い文書類の抹消を最後の重要な役目とした。

 あるいは職業としていない一般女性を人狩りのように狩り立てて従軍慰安婦に仕立てる強制連行は軍の名誉に関わる恥行為として書類による指示を避けて、常に口頭で行ったことも十分に考えることができる。

 1945年8月15日閣議決定の「重要文書類焼却」の通達に触れずに証拠文書が存在しないからと「国家の意思」による強制連行への関与の事実まで否定できると考えるのは公平性を欠く。 

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