安倍晋三の空々しいウソを散りばめた主権回復の日式辞と天皇バンザイと天皇を祝った復古感覚

2013-04-30 10:32:03 | 政治

 4月28日(2013年)、政府主催の「主権回復の日」式典が執り行われた。 

 主権回復を祝うとは、主権を回復した国家と国民を直接的対象として祝うことであるはずである。だが、式典の最後に「天皇バンザイ」と三唱、壇上で安倍晋三も両手をバンザイさせて唱和し、天皇を直接的に祝った。

 この瞬間、国民主権はどこかに消え、天皇主権に取って代わった。バンザイした連中は言葉では国民主権を言ったとしても、頭の中では天皇を主権としているに違いない。

 主権回復の式典が国家と国民を直接的に祝う儀式であり、天皇を直接的に祝う儀式ではない以上、バンザイすべき対象は国家と国民であり、天皇バンザイは介入させるべきではない余計な場面であったはずだ。

 多分、常日頃から精神に宿らせている天皇崇拝の血が国家と国民を祝う主権回復の式典でありながら、普段から希薄な国民主権の意識を払拭させて頭をもたげさせることとなり、バンザイ三唱という行動を取らせたに違いない。

 主権回復61周年を記念して国家と国民を祝うはずが、天皇崇拝を背景に置いているために肯定した日本の姿を取らざるを得ないことから、否応もなしにウソで満たすことになった安倍晋三の式辞であるはずだ。

 安倍晋三の式辞は次の記事――《【主権回復の日】首相式辞全文「日本を良い美しい国にする責任」》MSN産経/2013.4.28 22:11)に依った。
  
 安倍晋三式辞に対する批判は式辞の途中途中で()付きの青文字で記載することにした。

 安倍晋三「本日、天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、各界多数の方々のご参列を得て、主権回復・国際社会復帰を記念する式典が挙行されるにあたり、政府を代表して式辞を申し述べます。

 61年前の本日は、日本が自分たちの力によって再び歩みを始めた日であります。サンフランシスコ講和条約の発効によって主権を取り戻し、日本を日本人自身のものとした日でありました。その日から61年。本日を一つの大切な節目とし、これまで私たちがたどった足跡に思いを致しながら、未来へ向かって希望と決意を新たにする日にしたいと思います。

 国敗れ、まさしく山河だけが残ったのが昭和20年夏、わが国の姿でありました。食うや食わずの暮らしに始まる7年の歳月は、わが国の長い歴史に訪れた初めての、そして最も深い断絶であり、試練でありました」――

 (結果は常に原因に対応する。原因のない結果は存在しない。主権回復・独立をサンフランシスコ講和条約発効までなぜ待たなければならなかったのか、「国敗れ、まさしく山河だけが残った」日本という結果、「食うや食わずの暮らしに始まる7年の歳月」という結果は何がそうさせたのか、結果に対するそもそもの原因を反省する国家としての自省精神があってこそ、61年前を思い起こして改めての再出発とする新たな決意を確かなものとし、その確かな決意の上に未来を築くことができるはずだが、安倍晋三の式辞には結果に対する原因に関わる言及が一切ない。

 原因と結果の関係を無視して占領時代から主権を回復して独立したという歴史の転換点を出発点として61年前以後の結果の推移を描くだけだから、61年前以後の歴史の表面的な俯瞰とならざるを得なくなっている。

 当然、61年前以前の占領時代、さらにそれ以前の戦前日本というそれぞれの歴史をそれぞれの原因とするそれぞれの結果の無視ということでもあり、そのことが必然としている61年前以後ばかりか、61年前以前の歴史の表面的な俯瞰をも併行させている結果を招いている。

 主権回復を祝うとき、軍国主義・天皇全体主義を発端とした戦争と敗戦を経た占領時代への歴史の転換、いわば占領軍が軍国主義・天皇全体主義を強制排除し民主主義を担った時代への歴史の転換、そして主権を回復し、独立国家として自ら民主主義を担うことになった歴史の転換を深く認識することが、その認識を未来の歴史に対する戒めとするためにも歴史に対する正直な姿であるはずだが、式辞に現れている安倍晋三自身にはそういった歴史に対する正直な姿、正直な歴史認識が一切見えてこない。

 安倍晋三の再度の登場で日本の未来の歴史――日本の未来の姿に危険を感じるのはこのように都合の悪いことは隠し、都合の良いところだけを取り上げる歴史認識にある。)


 安倍晋三「そのころのことを亡き昭和天皇はこのように歌にしておられます。

 『ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ』

 雪は静謐(せいひつ)の中、ただしんしんと降り積もる。松の枝は雪の重みに今しもたわまんばかりになりながら、じっと我慢をしている。我慢をしながら、しかしそこだけ目にも鮮やかに緑の色を留めている。私たちもまたそのようでありたいものだという御製(ぎょせい)です。

 昭和21年の正月、日本国民の多くが飢餓線上にあえぎつつ、最も厳しい冬を、ひたすらしのごうとしていたときに詠まれたものでした。多くの国民において心は同じだったでしょう。

 やがて迎えた昭和27年、主権が戻ってきたとき、私たちの祖父、祖母、父や母たちは何を思ったでしょうか。今日はそのことを国民一人一人深く考えてみる日なのだと思います。 

 61年前の本日、国会は衆参両院のそれぞれ本会議で主権回復に臨み4項目の決議を可決しております。

 一、日本は一貫して世界平和の維持と人類の福祉増進に貢献せんことを期し、国連加入の一日も速やかならんことを願う。

 二、日本はアジアの諸国と善隣友好の関係を樹立し、もって世界平和の達成に貢献せんことを期す。

 三、日本は領土の公正なる解決を促進し、機会均等、平等互恵の国際経済関係の確立を図り、もって経済の自立を期す。

 四、日本国民はあくまで民主主義を守り、国民道義を昂揚(こうよう)し、自主、自衛の気風の振興を図り、名実ともに国際社会の有為にして責任ある一員たらんことを期す。

 以上、このときの決議とは、しっかりと自立した国をつくり、国際社会から敬意を集める国にしたいと、そういう決意を述べたものだと言ってよいでしょう。

 自分自身の力で立ち上がり、国際社会に再び参入しようとする日に、私たちの先人が自らに言い聞かせた誓いの精神が、そこにはくみ取れます。

 (やはり昭和天皇がそういった歌を詠まざるを得なくなった結果に対する原因、「日本国民の多くが飢餓線上にあえ」ぐ結果を招いた原因には触れず、表面的な歴史の俯瞰で終わっている。

 だからこそ、上記
「4項目の決議」が単に「しっかりと自立した国をつくり、国際社会から敬意を集める国にしたい」といったふうに連合軍占領の状態から主権回復し、独立に向けた日本のあるべき姿に向けた誓いだと表面的に把握する結果を招くことになっている。

 勿論、占領時代に対する反発として希求することになった誓いではなく、戦前の歴史の反省に立った、その対立概念として描いた未来の日本のあるべき姿への誓いでなければならないはずだが、そういった歴史認識がないからだろう、そうと把握することができない文脈となっている。

 そうであることは、
「日本は一貫して世界平和の維持と人類の福祉増進に貢献せんことを期し」「世界平和の維持と人類の福祉増進」「日本はアジアの諸国と善隣友好の関係を樹立し、もって世界平和の達成に貢献せんことを期す」「アジアの諸国と善隣友好の関係」「世界平和の達成」、そして「日本国民はあくまで民主主義を守り」「民主主義」は戦前の軍国主義国家・天皇全体主義国家に於いてはどれも体現していなかった日本の姿であり、それを主権回復・独立を機に実現を期そうとしていること自体が戦前の軍国主義国家・天皇全体主義国家の対立概念して描いた「4項目の決議」であることを証明している。

 いわば戦前の軍国主義国家・天皇全体主義国家に逆戻りしないぞという決意表明・誓いであったはずだ。

 このことを抜かしているのだから、安倍晋三の頭の中にある主たる歴史認識は占領時代から主権回復以後の日本の姿しかない。このことは以下の発言が証明している。)


 安倍晋三「主権回復の翌年、わが国の賠償の一環として当時のビルマに建てた発電所は、今もミャンマーで立派に電力を賄っています。主権回復から6年後の昭和33年には、インドに対し戦後の日本にとって第1号となる対外円借款を供与しています。主権回復以来、わが国が東京でオリンピックを開催するまで費やした時間はわずかに12年です。自由世界第2の経済規模へ到達するまで20年を要しませんでした」――

 (まるで主権回復の独立が果たした成果であるかのように言っているが、敗戦以後の各国やユニセフ等の各機関の援助、さらに1950年6月~1953年7月の約3年間の朝鮮戦争によって手に入れることができた、〈1950年6月の朝鮮戦争勃発から始まる戦争特需の1958年12月までの8年6カ月間の広義の特需の範疇に入る特需収入は51億5,318万ドル(1ドル=360円換算で1兆8,552億円)に達し〉、〈1958年の日本の一般会計決算の歳出総額1兆3,121億円をはるかに超える特別収入〉であり、〈この金額は1950年の国民所得3兆3,815億円、1958年の国民所得8兆4,487億円と比較して見ると、特需の役割がいかに大きいものであったかを立証している。〉(《朝鮮戦争と日本経済の特需効果》から)といった歴史的事実を得て可能とした対外国援助であるというさらなる歴史的事実を隠した発言であり、隠している以上、「主権回復以来、わが国が東京でオリンピックを開催するまで費やした時間はわずかに12年です」には当然、ウソが含まれていることになる。

 結果、以下の発言にしても、空々しいウソに満ちた発言となる。


 安倍晋三「これら全ての達成とは、私どもの祖父、祖母、父や母たちの孜々(しし)たる努力の結晶にほかなりません。古来、私たち日本人には、田畑をともに耕し、水を分かち合い、乏しきは補いあって、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈ってきた豊かな伝統があります。その麗しい発露があったからこそ、わが国は灰燼(かいじん)の中から立ち上がり、わずかな期間に長足の前進を遂げたのであります」――

 (朝鮮戦争特需が起爆剤となった日本の経済一大回復であり、「私どもの祖父、祖母、父や母たちの孜々(しし)たる努力」、あるいは「田畑をともに耕し、水を分かち合い、乏しきは補いあって、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈ってきた豊かな伝統」だけでは獲得できなかった東京オリンピック開催であり、「20年を要し」ない「自由世界第2の経済規模」への到達であった。

 すべては奇麗事で成り立たせた空々しいウソに過ぎない。)


 安倍晋三「しかしながら、国会決議が述べていたように、わが国は主権こそ取り戻したものの、しばらく国連に入れませんでした。国連加盟まで、すなわち一人前の外交力を回復するまで、なお4年と8カ月近くを待たねばなりませんでした。

 また、日本に主権が戻ってきたその日に奄美、小笠原、沖縄の施政権は日本から切り離されてしまいました。とりわけ銘記すべきは、残酷な地上戦を経験し、おびただしい犠牲を出した沖縄の施政権が最も長く日本から離れたままだった事実であります。

 『沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国の戦後は終わらない』。佐藤栄作首相の言葉です。沖縄の本土復帰は昭和47年5月15日です。日本全体の戦後が初めて本当に終わるまで、主権回復からなお20年という長い月日を要したのでありました。沖縄の人々が耐え、忍ばざるを得なかった戦中、戦後のご苦労に対し、通り一遍の言葉は意味をなしません。私は若い世代の人々に特に呼び掛けつつ、沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く思いを寄せる努力をなすべきだということを訴えようと思います」――

 (主権回復の1952年(昭和27年)4月28日から20年後の昭和47年5月15日の沖縄本土復帰で「日本全体の戦後が初めて本当に終わ」ったとするなら、なぜ日本全体の主権回復の日として毎年の5月15日を主権回復を祝う日としなかったのだろうか。

 要するに安倍晋三は日本全体の主権回復ではなく、本土のみの主権回復しか視野に入れていなかった。占領のアンチテーゼとした本土のみの主権回復だからこそ4月28日であり、そこに沖縄の占領は入れていなかった。少なくとも沖縄を運命共同体と見ていないからこそできた4月28日であるはずだ。

 運命共同体と見ていたなら、昭和天皇を政治利用して、アメリカに日本独立の交換条件として日本独立以後も沖縄の占領を続けるよう天皇のメッセージを発することもなかったろう。

 沖縄と運命共同体と見ていなかったから、あるいは日本の安全保障政策上必要な地理的要件としか見ていないから、
「私は若い世代の人々に特に呼び掛けつつ、沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く思いを寄せる努力をなすべきだということを訴えようと思います」と、「沖縄が経てきた辛苦」を戦中から戦後の沖縄の本土復帰止まりとすることができる。

 本土と比較した荷重な基地負担の
「辛苦」が今なお沖縄の肩に重くのしかかっている事実から目を背けている。

 このことの認識のないことが、
「私は若い世代の人々に特に呼び掛けつつ、沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く思いを寄せる努力をなすべきだということを訴えようと思います」という言葉を空々しいウソにすることになる。)

 安倍晋三「わが国は再び今、東日本大震災からの復興という重い課題を抱えました。しかし同時に、日本を襲った悲劇に心を痛め、世界中からたくさんの人が救いの手を差し伸べてくれたことも私たちは知っています。戦後、日本人が世界の人たちとともに歩んだ営みは、暖かい、善意の泉を育んでいたのです。私たちはそのことに深く気付かされたのではなかったでしょうか。

 中でも米軍は、そのトモダチ作戦によって、被災地の人々を助け、汗と、時として涙を共に流してくれました。かつて熾烈(しれつ)に戦った者同士が心の通い合う、こうした関係になった例は、古来まれであります。

 私たちには世界の行く末に対し、善をなし、徳を積む責務があります。なぜなら、61年前、先人たちは日本をまさしくそのような国にしたいと思い、心深く誓いを立てたに違いないからです。ならばこそ、私たちには日本を強く、たくましくし、世界の人々に頼ってもらえる国にしなくてはならない義務があるのだと思います』――

 (なぜ「そのような国にしたいと思い、心深く誓いを立てた」のか、原因と結果を結びつける歴史の作業を行わずに、やはり主権回復の日を起点とした日本の新たな出発であるかのような、安倍晋三ならではの歴史のウソを展開している。

 あくまでも今日の起点は戦前の軍国主義国家・天皇全体主義国家が引き起こした愚かな戦争であり、その戦争の結末としての惨めな敗戦があったからこそ占領軍を介在させた日本の民主化があったのであり、その民主化こそが主権回復の日に歴史を進めることができた原動力であり、さらに今日の日本へと歴史を進めてきた。

 だが、安倍晋三はすべて主権回復・独立が可能とした
「世界の行く末」に対する「善をなし、徳を積む責務」であるかのように巧妙にウソを散りばめている。)

 安倍晋三「戦後の日本がそうであったように、わが国の行く手にも容易な課題などどこにもないかもしれません。しかし、今61年を振り返り、汲むべきは、焼け野が原から立ち上がり、普遍的自由と民主主義と人権を重んじる国柄を育て、貧しい中で次の世代の教育に意を注ぐことを忘れなかった先人たちの決意であります。勇気であります。その粘り強い営みであろうと思います。

 私たちの世代は今、どれほど難題が待ち構えていようとも、そこから目を背けることなく、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、日本を、私たちの大切な国を、もっと良い美しい国にしていく責任を負っています。より良い世界をつくるため進んで貢献する、誇りある国にしていく責任が私たちにはあるのだと思います。

 本日の式典にご協力をいただいた関係者の皆さま、ご参加をくださいました皆さまに衷心より御礼を申し上げ、私からの式辞とさせていただきます」――

 (最後の最後まで空々しいウソを重ねている。「焼け野が原から立ち上がり、普遍的自由と民主主義と人権を重んじる国柄を育て」たのは安倍晋三が占領軍がつくったと忌避している日本国憲法であり、占領軍政策であった。

 決して日本人自身の手で獲ち取り、育てた
「国柄」ではない。

 ウソもいい加減にして貰いたい。

 最後に、式典では当初天皇のお言葉を述べる段取りになっていたが、取り止めている。天皇がお言葉を述べるにしても、沖縄をアメリカの占領下に放置した主権回復であった関係から、天皇にしても沖縄に対する言及は避けることはできない。

 いわば安倍晋三は天皇のお言葉の中に沖縄に関する言葉を取り入れて、天皇に喋らせなければならない。

 だが、現天皇の父親の昭和天皇のメッセージが主権回復以後の沖縄占領に関わっていた以上、
「沖縄が経てきた辛苦」をどのような言葉で話そうとも滑稽なことになる。あるいは歴史の皮肉となる。

 こういった問題が起こることを避けるために天皇のお言葉を取り止めたとしたなら、これも歴史に対する空々しいウソに相当する。

 当時の国家権力が天皇を政治利用して沖縄をアメリカの占領地として売り渡し、その子の現天皇が沖縄の痛みに言及する滑稽、あるいは歴史の皮肉を避けることができたとしても、安倍晋三たち式典出席者は「天皇バンザイ」を三唱した。

 この「天皇バンザイ」は現天皇のみを対象としているわけではなく、万世一系の歴代の天皇を含めた全天皇に対するバンザイ――天皇制に対するバンザイでもある復古感覚から出たはずだ。

 当然、政治利用されて沖縄をアメリカに売り渡すことになった昭和天皇をも対象に含めたこの天皇バンザイは昭和天皇の「天皇のメッセージ」を認識の対象外に置くことになって沖縄に対する非礼行為となる。

 いわば安倍晋三は主権の日を4月28日にして沖縄本土復帰の5月15日としなかった歴史認識の点に於いても、「天皇バンザイ」の三唱の非礼行為の点に於いても、沖縄を蔑ろにしたのである。

 蔑ろにしておきながら、
「沖縄が経てきた辛苦」云々と言葉だけで思い遣った。

 安倍晋三流の日本の歴史を美しい姿に描いて「美しい日本」とするウソの散りばめは民族的な誤謬性を排除する日本民族優越主義の現れそのものであり、非常に危険である。

 そういった式辞でしかなかった。

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