安倍晋三の「主権回復の日」は戦前日本の肯定と占領時代及び東京裁判抹消願望からの発想

2013-04-21 09:17:14 | Weblog

 ――安倍晋三の戦前日本の戦争肯定と占領時代及び東京裁判抹消願望は戦後のスタートをこの主権回復の日の4月28日としたい願望を含む。4月28日を主権回復の日だと国民に意識づけることによって歴史的に戦後日本のスタートの日だとすり替え可能となり、安倍晋三が言っている「戦後レジームからの脱却」を可能とすることになる。――

 政治権力が国民の前の時代に対する怨嗟等を巧みに煽動し、あるいは巧みに誘導して、前の時代の制度、慣習、文物等を否定することから次の時代を始めるというケースもあるが、主権回復の日以後の時代の日本は前の時代に当たる占領時代の否定から始めたわけではない。そのことは占領時代に制定された日本国憲法を主権回復の日以後も日本の憲法としていて、憲法が規定する表現の自由や思想・信条の自由、良心の自由等の基本的人権の恩恵を受けてきていることが証明している。

 この証明は主権回復以後の時代の日本が占領時代の日本の上に築かれていることの証明でもあって、戦前の日本には存在していなかった現在の民主主義・基本的人権、自由は占領時代に与えられた継続として存在しているということの証明でもある。

 いわば占領時代は日本国民にとって、何ら否定されるべき時代ではなく、肯定されるべき時代だったと言える。

 もし占領という歴史的事態が日本の戦後に存在しなかったなら、4月8日当ブログ記事――《安倍晋三が「占領軍が作った憲法」だと言うなら、日本国民にとってそれが正解だった日本国憲法 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いたが、当時の日本の国家権力――幣原内閣によって、天皇を大日本帝国憲法(明治憲法)の「神聖にして侵すべからず」の存在から、「至尊にして侵すべからず」の相も変わらない絶対的存在に位置づけた、いわば国民を遥か下に置いた、だからこそ国民を主権者と位置づける発想を持たなかったのだろう、大日本帝国憲法(明治憲法)と変わらずに天皇の臣民と規定し、信教の自由も言論の自由も国家権力が決める安寧秩序や義務、法律の範囲内に限定した憲法を押し付けられることになっていただろう。 

 だが、日本側の憲法草案はマッカーサーに拒否され、日本人学者構成の憲法研究会が草案した「憲法草案要綱」を参考に作成した「マッカーサー草案」を幣原内閣は受け入れを決定、一部修正等の経緯を経て、国会で成立させた。

 因みに憲法研究会草案の「憲法草案要綱」を掲載しておく。

根本原則(統治権)

一、日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス
一、天皇ハ国政ヲ親ラセス(読み・「自らせず」)国政ノ一切ノ最高責任者ハ内閣トス
一、天皇ハ国民ノ委任ニヨリ専ラ国家的儀礼ヲ司ル
一、天皇ノ即位ハ議会ノ承認ヲ経ルモノトス
一、摂政ヲ置クハ議会ノ議決ニヨル

国民権利義務

一、国民ハ法律ノ前ニ平等ニシテ出生又ハ身分ニ基ク一切ノ差別ハ之ヲ廃止ス
一、爵位勲章其ノ他ノ栄典ハ総テ廃止ス
一、国民ノ言論学術芸術宗教ノ自由ニ妨ケル如何ナル法令ヲモ発布スルヲ得ス
一、国民ハ拷問ヲ加へラルルコトナシ
一、国民ハ国民請願国民発案及国民表決ノ権利ヲ有ス
一、国民ハ労働ノ義務ヲ有ス
一、国民ハ労働ニ従事シ其ノ労働ニ対シテ報酬ヲ受クルノ権利ヲ有ス
一、国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス
一、国民ハ休息ノ権利ヲ有ス国家ハ最高八時間労働ノ実施勤労者ニ対スル有給休暇制療養所社交教養機関ノ完備ヲ
  ナスヘシ
一、国民ハ老年疾病其ノ他ノ事情ニヨリ労働不能ニ陥リタル場合生活ヲ保証サル権利ヲ有ス
一、男女ハ公的並私的ニ完全ニ平等ノ権利ヲ享有ス
一、民族人種ニヨル差別ヲ禁ス
一、国民ハ民主主義並平和思想ニ基ク人格完成社会道徳確立諸民族トノ協同ニ努ムルノ義務ヲ有ス

 「日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス」と規定して間接的に国民主権を謳っている上に、言論の自由に対しても信教の自由に対しても何ら制限を設けていない。この 「日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス」が日本国憲法が前文で謳っている国民主権に発展したとも解釈できる。

 だが、安倍晋三は昨年2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」にビデオメッセージを寄せ、「占領時代に占領軍によって行われたこと、日本がどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、それをきっちりと区切りをつけて、日本は新しスタートを切るべきでした」と、占領時代を否定している。

 そして2013年4月5日衆院予算委員会で、現憲法の改正姿勢に立って、「事実上占領軍が作った憲法だったことは間違いないわけであります」と答弁して、占領時代の否定を意思させている。

 戦後レジームから脱却を訴えていることも占領時代の否定意志の内に入れることができる。

 占領時代の否定は戦前日本の肯定と相互対照させているはずである。いわば戦前日本を肯定しているからこそ、占領時代を否定することになる。

 2006年7月初版の安倍著『美しい国へ』に戦前日本肯定の一文が記されている。

 『その時代に生きた国民の目で歴史を見直す』と題して、「歴史を単純に善悪の二元論で片付けることができるのか。当時の私にとって、それは素朴な疑問だった。

 例えば世論と指導者との関係について先の大戦を例に考えてみると、あれは軍部の独走であったとの一言で片付けられることが多い。しかし、果たしてそうだろうか。

 確かに軍部の独走は事実であり、最も大きな責任は時の指導者にある。だが、昭和17、8年の新聞には『断固戦うべし』という活字が躍っている。列強がアフリカ、アジアの植民地を既得権化する中、マスコミを含め、民意の多くは軍部を支持していたのではないか」と書き、当時のマスコミ・国民が支持していたのだからという文脈で間接的に戦争を正当化している。この正当化は戦前日本の肯定そのものであろう。

 だからこそ、「日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ」(同『美しい国へ』)と、日本の歴史が戦前日本の汚点を抹消して平和裡に連綿と継続してきたかのように言うことができる。

 この戦前日本肯定の上に戦後占領時代の否定を関係づけているわけだが、もし「その時代に生きた国民の目で歴史を見直す」が正当な歴史認識の方法だというなら、戦後の日本国民の多くは解任されたマッカーサーに対して涙し、その解任を惜しんだ事実からすると、安倍晋三の占領時代否定に反して国民は占領時代肯定の態度を取っていた事実はどう解釈するというのだろうか。

 また、惨めな敗戦を迎えて殆どの国民が戦争を後悔し、その過ちに気づいて、時の国家権力や軍部を憎んだという事実は戦前の時代に引き続いて戦後の時代も生き残った同じ国民の判断からの事実であって、「その時代に生きた国民の目で歴史を見直す」とする歴史認識の方法を無効にすることになる。

 いわば一つの時代に於いて肯定されたことでも、同じ国民による別の時代からの否定もあり得るし、そのような国民の解釈を引き継いでいたなら、遙か後の時代の国民の否定も正当化されることになり、「その時代に生きた国民の目で歴史を見直す」とする歴史認識の方法は絶対ではなくなる。

 安倍晋三がA級戦犯を「国内法的には犯罪者ではない」と位置づけている東京裁判否定も、戦前日本の肯定願望から発している歴史認識であるはずだ。

 安倍晋三は戦前日本を肯定するがゆえに戦後占領時代を否定することになり、戦前日本の戦争を断罪しているがゆえに東京裁判をも否定、日本国憲法も日本人自らの手によるものではなく占領軍がつくったとして否定、すべてを日本の歴史から抹消したい願望が占領から解放された1952年(昭和27年)4月8日を日本の新しいスタートとしたい精神性につながっているはずだ。

 安倍晋三が策す日本国憲法の改正が部分的にとどまったとしても、精神的には否定しているからこそ、「占領軍がつくった」と言うことができるはずはずである。

 日本国憲法そのものを廃して、全く新しい憲法を制定したくても、国民主権にしても、思想・信教の自由や良心の自由等の基本的人権にしても、全面否定するだけの理由を見つけることができないからだろう。いくら願望しても、全面否定したら、国民の猛反発を受けることぐらい、いくら頭が悪くても認識しているはずだ。

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