安倍晋三が首相主催の「桜を見る会」を4月20日午前、2010年以来3年ぶりに都内の新宿御苑で開催し、各界著名人が約1万人集まったという。
集まったと言っても、勝手に集まってくるわけはないから、招待状を1万枚乱発し、掻き集めたといった状況なのはテレビに映し出された芸能人の政治には無縁と思えるような面々を見ると、そういった感がしないでもない。
そこでの安倍晋三の発言を次の記事から見てみる。《「私はもう一度花咲かせた」 首相が桜を見る会》(MSN産経/2013.4.20 11:15)
安倍晋三「安倍政権の大きな使命は東北の復興だ。東北はこれから桜の満開を迎える。日本を世界の真ん中で咲かせるためにこれからも全力を尽くしたい。
大切なのは葉桜になってもまた咲くことだ。私ももう一度花を咲かせることができた」――
「日本を世界の真ん中で咲かせるためにこれからも全力を尽くしたい」とはなかなか剛毅だ。だが、日本経済は総合的な国力の点からして外国経済依存型の構造下にあるから、「世界の真ん中」と言うこと自体、合理的精神を欠いた脳ミソが言わせている思い上がり以外の何ものでもなく、このような言葉を発すること自体がいい気になっているとしか言いようがない。
「世界の真ん中で咲かせる」とは日本が世界の経済を引っ張るという意味でもあるが、米国内の経済指標や景気指標を受けた米国自身の株価の動きが日本の株価に影響する関係は払拭できないし、中国の経済動向にも影響を受ける従属性は事実として存在する関係なのだから、「世界の真ん中」どころか、「世界の真ん中」に振り落とされないように引っ付いてまわる経済的衛星国といった日本と対米・対中関係を心得ていなければならないはずである。
まさか戦前の「天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延(ヒイ)テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ス」とした、後に戦後になって天皇自身が否定することになった妄想に負けじ劣らずの妄想の再現というわけではないだろうが、再現と思わせる戦前日本肯定の国家主義者安倍晋三の発言となっている。
「私ももう一度花を咲かせることができた」とは、首相として返り咲いたことを言っているはずだ。「政治は結果責任」の業績を言っているのだとしたら、第1次安倍内閣では改正教育基本法を成立させたといっても、教育事情は殆ど変わらないのだし、約1年で政権を投げ出したのだから、以前花を咲かせていないのに「もう一度花を咲かせることができた」は事実に反する虚偽そのもの――合理性に悖(もと)る事実提示となる。
だとしても、単に再び首相になったことを「もう一度花を咲かせることができた」とすることは、首相になったこと自体に意義を置くことになり、業績自体が重要事項となる「政治は結果責任」を省くことになって、やはり合理的精神を欠いた脳ミソが言わせている発言としか受け止めようがない。
確かに安倍晋三が「大胆な金融緩和策」を盛んに発言した効果で円安、株高を招き、続いての日銀新総裁黒田東彦の異次元の金融緩和策で円高・株高は加速し、アベノミクスの第1の矢は現在のところ成功したといえる。
安倍自身も言っているように世の中の雰囲気は明るくなった。だが、実体経済が動いたわけではない。
第2の矢である「機動的財政政策」の柱に公共事業を据えている。安倍晋三自身、内閣発足前から「公共投資で需要を作り、日本全体に景気(回復)の波が及ぶようにする」(SankeiBiz)と発言していたという。
但し公共工事の主体が防災・減災となると、例えば津波防止の堤防を構築した場合、地域住民は安心を手に入れることができるが、工事が出す一時的な経済効果は期待できても、それのみで、堤防自体が継続的な経済効果を出していくわけではない。
あるいは喫緊の課題となっている、笹子トンネルの天井板崩落に代表される既設インフラの老朽化対策・維持管理対策は同じく防災・減災に相当する公共事業であって、それを行ったからと言って、既設インフラがそれまで出していた経済効果以上の経済効果が期待できるわけではないだろう。
新しく高速道路を造るとしても、必要とする場所は順次建設済みで、残りは多くないはずだ。それを無理に造るとなると、今までもそうであったように費用対効果が無視され、カネをバラ撒くだけのムダな公共事業となりかねず、財政悪化の元凶といった結果を招くことになる。
日本の債務残高は対GDP比で主要先進国中最悪の水準ということになっているが、当然赤字国債発行額を減らして、国家予算を可能な限り税収内に近づけていく財政規律の問題もあるし、債務残高を少しでも減らしていく財政健全化の問題も残っている。
当然、公共事業にしても他の何にしても、財政出動は精査の上に精査が必要となる。計画は素晴らしくても、計画と結果は別物だということを散々に見てきた。
だからこその日本の債務残高が対GDP比で主要先進国中最悪の水準ということであるはずだ。
3本目の「民間投資喚起・規制緩和の成長戦略」にしても、言葉通りにうまくいく保証があるわけではないし、結果が出てくるのはまだまだ先のことである。
要はこれらの結果如何で、「私ももう一度花を咲かせることができた」と言っている首相に返り咲いたことが意味のあることにつながるのか、意味のない結末で終わるのか、分かれるのであって、現在のところは結果という真の花を咲かせたわけではないのだから、現時点で首相に再びなったというだけのことを「私ももう一度花を咲かせることができた」と言うこと自体、やはり合理的精神を欠いた脳ミソが言わせている発言としか判断しようがない。
円安、株高、内閣支持率高で機嫌が良くなっているのは分かるが、「桜を見る会」の約1万人掻き集めた賑やかさにさらに機嫌を良くして浮いた気持ちになったのかもしれないが、自身も常々口にしていて、肝に銘じていなければならない「政治は結果責任」の鉄則をどこかに置き忘れたのは、元々合理的認識能力を欠いていて、身についている「政治は結果責任」の鉄則ではないために円安・株高のトントン拍子が逆に災いして、既に結果を見たようないい気になって、少々舞い上がってしまったといったところか。
安倍晋三は4月20日、首相就任後初めて地元・山口県を訪れて、午後5時過ぎ、自民党山口県連主催首相就任祝賀会に出席、挨拶の中で夏の参議院選挙について「親の敵のようなものだ」と言い、勝利を目指す考えを強調したと言う。
第1次安倍内閣のもとで行われた2007年参院選挙で自民党が大敗、安倍退陣のキッカケとなったゆえに名誉回復という意味だけではなく、政権運営のためにも今夏の参院選に是が非でも勝利しなければならない状況にあるとは言え、国政選挙は国民の信託を受ける重要且つ厳粛な機会である。その勝ち負けを「親の仇」のレベルで把える認識能力は、やはり合理的精神なき脳ミソの持主でなければ口にはできない程度の低い言葉であろう。
こういった合理的精神なき脳ミソの持主が日本の首相を務めている。