一川保夫防衛相のワンチュク国王夫妻歓迎宮中晩餐会欠席の喜劇

2011-11-23 10:41:22 | Weblog

――ブータンを小国と見た侮りから喜劇は生じた―― 
 
 国賓として来日していたブータン国王夫妻を歓迎するる宮中晩餐会が11月16日夜、皇居で開催された。天皇陛下入院で両陛下欠席、皇太子が名代を務めたという。以下皇族の出席、野田首相夫妻の他、全閣僚が招待を受けた。

 閣僚の出欠は自由だったのだろう、内4人が欠席。一川防衛大臣もその一人だった。このことが今野党の攻撃を受けている。同日開催の同じ民主党の高橋智秋参議院議員のパーティ出席を優先させたということだが、その出席よりも、挨拶の言葉が問題視されている。

 一川防衛相「他の大臣は皆そちら(宮中晩さん会)に行きましたが、私はこちらの方が大事だと思って参りました」(毎日jp

 この発言の後半部分は自分の選択を正しいとする誇らしげな自己誇示のニュアンスが込められている。多分笑いを取ったに違いない。

 当然前半の「他の大臣は皆そちら(宮中晩さん会)に行きましたが」には後半の自己選択の正しさに反する選択として、あからさまな批判はなかったが、軽い揶揄が込められていると見なければならない。

 出欠自由だとしたら、どこへ顔を出すのも自由ということになるが、自他の比較をわざわざ行って、自身の選択を誇ったことからすると、一川防衛相はどうしても出席しなければならなかったという優先順位基準を議員パーティを国賓として来日したブータン国王夫妻歓迎宮中晩餐会よりも上に置き、ブータン国王夫妻歓迎宮中晩餐会を議員パーティの下に置く上下の価値観に基づかせていたからだろう。

 要するに議員パーティを重要視し、ブータン国王夫妻歓迎宮中晩餐会を軽んじた。ブータン国王夫妻歓迎宮中晩餐会も大事だが、止むを得ず議員パーティに出席したというわけではなかった。

 それぞれの会合を上下の価値観で計っていたから、「他の大臣は皆そちら(宮中晩さん会)に行きましたが」といった軽い揶揄を込めた言葉を口にすることができたのだろう。

 宮中晩餐会にしても様々な名称の開催があるはずだ。アメリカ大統領夫妻歓迎宮中晩餐会だとか、サウジアラビア国王夫妻歓迎晩餐会だとか、スワジランド国国王夫妻歓迎宮中晩餐会だとか、大国から小国までその国の元首、その他を歓迎する催しがあるはずだ。

 もしアメリカ大統領オバマ夫妻の歓迎宮中晩餐会だったなら、一川防衛相は欠席しただろうか。日米の安全保障上の重要な関係から言って、同じ日に議員パーティを幾つか掛け持ちする予定があったとしても、全て断って、いの一番にオバマアメリカ大統領夫妻歓迎宮中晩餐会に駆けつけたに違いない。

 議員パーティに出席して、「他の大臣は皆そちら(宮中晩さん会)に行きましたが、私はこちらの方が大事だと思って参りました」などといった挨拶の場面は決して起こりはしなかったはずだ。

 だが、ブータン国王夫妻宮中晩餐会よりも議員パーティを上に置いて欠席した上に宮中晩餐会に出席した他の大臣と欠席して議員パーティに駆けつけた自分を比較して自身を誇り、出席した他の大臣を軽く揶揄した。

 アメリカ大統領夫妻歓迎宮中晩餐会では決してできないこのようなことができた理由は日本との外交関係に於いてブータンがさして重要な国だと見ていなかったからであろう。

 外交関係に於いて重要な国ではないということは安全保障上も資源外交の点に於いても、人的交流の点に於いても重要な国ではないことになる。

 どれか一つでも重要ということになれば、外交小関係に於いても重要な国に位置づけられることになる。

 いわば日本にとって重要ではない小国だと侮っていた。――と見たとしても勘繰りとは言えまい。

 小国だと侮って、議員パーティよりも歓迎宮中晩餐会を下に置いて欠席し、議員パーティに出席して、その選択を誇り、宮中晩餐会に出席した他の大臣を軽く揶揄することができた。

 要するに政治上、何が重要であるか何が重要でないかの政治家の現実的な価値観に徹していた。

 だが、ブータンは小国ながら、その金額も小国に応じたものだが、8000万円とかの義援金を被災地に送り、日本の常任理事国入りを支持している。

 ワンチュク・ブータン国王「2011年は国交樹立25周年に当たる。ブータン国民は特別な愛着を日本に抱いてきた。このような不幸(大震災)から強く立ち上がることができる国があるとすれば、日本と日本国民だ。

 我々の物質的支援はつつましいものだが、友情、連帯、思いやりは心からの真実だ。

 安全保障理事会拡大の必要性だけでなく、日本がその中で指導的な役割を果たさなければならない」(時事ドットコム

 外交上の現実的な利害から言うと、日本が念願してやまない常任理事入りを決定する、国の規模に関係しない、重要な大きな1票となる機会が訪れない保証はない。中国が反対票を主導して賛成票とせったときである。

 ワンチュク国王は被災地を訪問、相馬市の小学校を訪れている。

 ワンチュク・ブータン国王「みなさんは、竜を見たことがありますか?私は、竜を見たことがあります」

 この一言で子供たちの心を掴んだ。軽いどよめきめいた驚きが子供たちが発し、多くが身を乗り出すようにした。

 正直なところ、私自身は見たことがあるはずはないであった。

 ワンチュク・ブータン国王「竜は一人ひとりの心の中にいます。私たちの中には人格という名の竜がいます。

 竜は私たちみんなの心の中にいて、経験を食べて成長します。だから、私たちは日増しに強くなるのです。

 そして感情をコントロールして生きていくことが大切です。どうか自分の竜を大きく素晴らしく育てていって欲しい」

 何と含蓄に富み、優しさに溢れた言葉だろうか。この言葉を記憶し、言葉が言っていることを自覚的に生きることによって子供たちは震災の苦しい経験が生きた自分の強くなった姿をいつの日か見るに違いない。

 片や一川防衛相は11月22日の参院外交防衛委員会で、自民党の佐藤正久氏に国王の名前を尋ねられたが、即答できなかったと「MSN産経」記事が伝えている。背後の秘書官に尋ねなければ答えられなかった。

 一川防衛相「ワンチュク国王と思う」

 佐藤正久議員「名前も覚えていないのは『反省がない』と言われても仕方ない」

 記事では一川防衛相の答弁は「ワンチュク国王です」の断言ではなく、「ワンチュク国王と思う」の頼りない推測となっている。「思うが」が事実とすると、相手は国賓として来日したのである、即答できなかったことも失礼に当たるが、推測で答えることも失礼なことで、二重の失礼を犯したことになる。

 その後一川防衛相は在京のブータン総領事館を訪れて、欠席を謝罪したという。そしてワンチュク国王宛てに謝罪の手紙を書くことも検討しているという。

 謝罪にしても、手紙を書くにしても、その理由がブータンを小国と侮って宮中晩餐会よりも同僚の議員パーティを上に置いたというのだから滑稽そのものである。

 一川防衛相の大の大人でありながら、大国の防衛大臣が持していなければならない矜持・理性に反した宮中晩餐会欠席に関わる一連の態度・行動とワンチュク国王の訪日中の慈愛に満ちた沈着冷静な態度・行動とを比較すると、一川防衛相のそれは滑稽を通り越して、喜劇そのものにしか映らない。

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