野田首相の松下政経塾会合挨拶から見る主体性・自律性の欠如

2011-11-28 09:57:52 | Weblog

 野田首相が11月27日(2011年)午後、かつて所属した松下政経塾の都内での会合で挨拶を行ったという。《松下政経塾会合で野田首相「苦労多いが丁寧にやりたい」》MSN産経/2011.11.27 20:11)

 この短い記事の短い紹介挨拶から野田首相の資質を判断してみる。一見小さな問題に見えるが、姿勢そのものの現れと見ることができる。

 記事が紹介している発言の順序を前後に変える。

 野田首相「(塾生時代)同級生の中で演説が一番下手で、政治家になれないと(周りは)思っていただろう」

 予想外の大バケを曝すことで一種の笑いを取ろうとして、多分成功したに違いないが(記事には書いてない)、発言の裏には誇らかな感情の発露を滲ませている。自尊意識なくしてできなかった発言であろう。

 政治家になれないと周りは思っていただろうが、ところが単なる政治家どころか、一国の総理大臣にまで登りつめたというわけなのだから、当然の自尊意識である。例のニコニコした顔の裏に隠していたに違いない。

 しかし記事が最初に紹介している発言からは自尊意識が消えている。

 野田首相「非常に大変な時代の首相を引き受けたので苦労は多いが、一つ一つ丁寧にやりたい」

 民主党国会議員の多くから推されて「引き受けた」のではなく、自ら手を挙げた主体的・自律的立候補だったはずだ。例え野田グループに推されたとしても野田グループは民主党国会議員408人中の約30人(2011年民主党代表選挙時)に過ぎない。自ら手を挙げる強力な主体性・自律性なくして30人を以て残りの370人を相手に戦うことはできなかったはずだ。

 初回投票では2位につけ、決選投票で政治力学から他のグループの支援を受けて当選を果たすことができた。

 このことを以てして「首相を引き受けた」とすることはできないこともないが、やはりグループの約30人をバックに370人を率いるには強力な主体性・自律性を絶対的要件としなければならないだろう。

 いわば「首相を引き受けた」のではなく、「この国を変えるために自ら進んで手を挙げ、最終的に皆さんの支援を受けることができた」とする積極性を示さなければならなかったはずだ。

 発言をこのようにすることで、「(塾生時代)同級生の中で演説が一番下手で、政治家になれないと(周りは)思っていただろう」の自尊意識と整合性を獲得しうる。

 「首相を引き受けた」という発想に立っていること自体が既に自らを主体性・自律性に反する受動性(受身)の塊としている。

 この受動性(受身)が何につけ影響しないはずはない。財務省の言いなりという評価が事実だとしたら、ここから出ているのだろう。

 また、「非常に大変な時代」であることも、「苦労は多い」ことも前以て承知していなければならなかったはずで、承知していなかったとしたら、菅首相以上に客観的認識能力に欠けるということになるが、「非常に大変な時代」であり、「苦労は多い」からこそ、自ら手を挙げる強力な主体性・自律性が求められることになる。

 勿論、菅首相みたいに民主党代表になって、総理大臣にスライドするためだけの挙手、強力な主体性・自律性の発揮であってはならない。

 だが、野田首相は総理大臣になったことの自負、自尊意識を見せながら、就任からまだ3ヶ月近くしか経過していないことと、「苦労」を予定調和としていなければならないことに反して、「非常に大変な時代の首相を引き受けたので苦労は多い」と弱音とも受け取れる受身の意識を曝して、資格要件とすべき強力な主体性・自律性を示し得ないでいる。

 これはまたそのような資質を本来的に欠いているからこそ、このような言葉になって現れたということであろう。 

 強力な主体性・自律性は強力なリーダーシップ(=指導力)につながっていく。

 強力な主体性・自律性を、あるいはリーダーシップ(=指導力)を性格、もしくは資質としていたなら、「苦労は多い」などといった言葉は出てこなかったはずだ。

 せめて、「苦労は多いが、やり甲斐がある」と自尊意識を持って言うべきだった。

 そう言うことによって、前後の発言が自尊意識の点で整合性を獲ち得る。

 だが、実際はそうなっていないからなのだろう、「一つ一つ丁寧にやりたい」と口では言いながら、消費税増税の問題にしてもTPPの問題にしても、丁寧な説明責任を欠くことになっている。具体的設計図がどういう形を取るのかの説明は今以なされていない。

 消費税の具体的な増税時期や税率を年内に取り纏めるよう、政府・与党に指示する方針だというだけで、増税自体の形式について周囲が逆進性の影響は15歳以下の子どもがいる家庭ばかりではないにもかかわらず、政府内、あるいは党内で検討、議論を重ねた末の発言なのかどうか分からないが、多分そうではないだろうが、逆進性対策として子ども手当の増額を検討対象にするとか言っているに過ぎない。

 言葉が言葉通りの実行性を見せていない。

 自らの政治がそういった構造を取ることができないということは強力な主体性も自律性も強力なリーダーシップ(=指導力)も欠いているからこそであり、当然、一国のリーダーに必要なそういった資質は期待できないということになりかねない。

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