菅仮免の「政治は結果責任」意識を欠いた「自分はサラリーマンの息子」は政権運営に役立ったのか

2011-08-27 10:40:31 | Weblog



 ―首相就任時から「政治は結果責任」意識の欠如に始まって欠如させたままの退陣となる―

 昨日(2011年8月26日)の記者会見で民主党代表の辞任を表明、新代表選出が決まり次第、首相を辞任すると言明。

 昨年の6月8日の首相就任記者会見で次の言葉を聞いたとき、「政治は結果責任」意識を欠いている男だなと思い、期待感を抱かなかった。

 菅仮免「この多くの民主党に集ってきた皆さんは、私も普通のサラリーマンの息子でありますけれども、多くはサラリーマンやあるいは自営業者の息子で、まさにそうした普通の家庭に育った若者が志を持ち、そして、努力をし、そうすれば政治の世界でもしっかりと活躍できる。これこそが、まさに本来の民主主義の在り方ではないでしょうか」

 確かに普通の家庭に育った人間が自らが志しさえしたなら、努力次第で自由に政治の世界に飛び込むことのできる環境は必要だが、特に障害なく政治の世界に飛び込むことができたとしても、このことが「政治の世界でもしっかりと活躍できる」確実な可能性、いわば「政治は結果責任」を保証するわけではない。

 リーダーシップ(=指導力)や統治能力、洞察力、先見性、豊かな識見といった政治的資質こそが、「政治の世界でもしっかりと活躍できる」、結果的に「政治は結果責任」を生み出すより確実な可能性を保証する。

 いわば「普通の家庭に育った」、「普通のサラリーマンの息子」といった条件が「政治は結果責任」の可能性を約束する訳ではない。

 但し、すべてではないにしても、多くが例え政治の経験が浅く、リーダーシップ(=指導力)や統治能力等の政治的資質を欠いていたとしても、当初から「政治は結果責任」意識を強く心がけ、常にその思いを維持していたなら、様々な政治の場面を経験する間にリーダーシップ(=指導力)を養うことができ、合理的判断能力の育みを伴うことになるはずだ。

 なぜなら、常に結果を求めることを自らの責任とするからだ。求めることによって、「政治は結果責任」意識がリーダーシップ(=指導力)や統治能力等の政治的資質と相互反映し合う好循環の関係を持つに至るからだ。

 勿論その結果は一部の国民を利する結果であってはならない。社会全体の利益につながる国民の利益でなければならない。

 「普通の家庭に育った」、「普通のサラリーマンの息子」であっても、「政治は結果責任」に基づいたリーダーシップ(=指導力)や統治能力といった政治的資質を備えていなければ、意味を成さないということである。

 あるいは逆もまた真なりで、リーダーシップ(=指導力)や統治能力等々の政治的資質と相互反映させた「政治は結果責任」意識を発揮できなければ、さしたる業績は期待できないことになる。
 
 にも関わらず、菅首相はリーダーシップ(=指導力)や統治能力等々の政治的資質に価値を置かずに、あるいはそういった優れた資質を持った人間が総理大臣となることを条件とせずに、「普通のサラリーマンの息子」が総理大臣になったことに相当な価値を置いていた。

 この価値の置き所の錯誤が「政治は結果責任」の所在を疑わせた。いわば「自分はサラリーマンの息子だ」という発言自体が「政治は結果責任」意識を欠如させた言葉となっているということである。

 2010年8月1日の当ブログ――《菅首相の最近の識者との会談を栄光浴から読み解く - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》には次のように書いた。

 〈菅首相は6月3日の鳩山前首相退陣を受けた代表選出馬記者会見でも、6月8日の首相就任記者会見でも、「普通のサラリーマンの息子」であることを強調していたが、裏を返すと、普通のサラリーマンの息子が総理大臣に上り詰めたことを誇示、自慢して、そこに一種の自己存在証明を置いていた。いわばたいした人間、たいした政治家ではないかと暗に誇っていた。

 実際はあくまでも自身の能力の問題で、大金持ちの息子だろうが、ホームレスの息子だろうが、妾・愛人の類の息子だろうが(韓国の金大中元大統領は自叙伝で自分が妾の子であることを告白しているそうだ。)、あるいはハーフの息子だろうが関係ないことだが、そこは合理的判断能力を欠いているから、サラリーマンの息子であることに自身の能力の根拠を置いていたのだろう。〉――

  2010年9月11日の当ブログ――《菅首相の結果責任意識希薄に対応する“首相頻繁交代”アレルギー - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》では次のように。

 〈民主党代表選は菅首相の勝利で終わる形勢であるかのように報じるマスコミも現れた。勝利したら、機会あるごとに「普通のサラリーマンの息子」だと誇っていた自らの出自を再び誇ることになるのだろうか。

 このこと自体が既に菅首相が結果責任意識を欠如させていることの何よりの証明となる。大金持ちの息子だろうが、ホームレスの息子だろうが、愛人・妾の類の息子だろうが、あるいはハーフの息子だろうが、帰化外国人の息子だろうが、政治家として何を成したかの結果が何よりも重要であって、その事実を欠いたなら、大金持ちの息子だろうが、ホームレスの息子だろうが、愛人・妾の類の息子だろうが、あるいはハーフの息子だろうが、帰化外国人の息子だろうが、出自自体への誇りは意味を成さなくなる。

 もし菅首相が結果責任意識を常に頭に置いている政治家であったなら、「普通のサラリーマンの息子」であることが指導力、リーダーシップと呼び習わされている政治家に欠かせない必須能力を根拠づける資質とは無関係であることに気づいていたろう。指導力、リーダーシップは父親の身分や職業、学歴、さらに自身の学歴等の出身、あるいは出自に関係なく、その人自身に備わる能力であり、備えなければならない能力だからだ。

 また指導力、リーダーシップが結果を保証し、結果責任をもたらす。〉――

 首相就任半年後に次のように発言できたことも「政治は結果責任」意識を欠いていたからに他ならない。

 菅首相「政権が発足してからの半年間は、仮免許の期間で、いろいろなことに配慮しなければならず、自分のカラーを出せなかった。これからは本免許を取得し、自分らしさをもっと出し、やりたいことをやっていきたい」

 結果を出すことによって一国のリーダーとしての価値が認められて責任を果たすことになる国民との関係から、常に結果を出すことに務めなければならない「政治は結果責任」の使命を担った立場にあるのである。「政治は結果責任」意識を常に肝に銘じていたなら、「政権が発足してからの半年間は、仮免許の期間」だったなどと、結果を出していないことの弁解としかならない甘えたことは口が裂けても言えなかったろう。

 菅首相は次ぎの発言を国会答弁等で機会あるごとに発言してきた。

 菅首相「政権を担当したら4年間の衆院の任期を一つのメドとして一方の政党が頑張ってみる。4年後に(衆院)解散・総選挙で継続するかしないか国民の信を問うという考え方がこれから政治的な慣例になっていくことが望ましいと思います」 

 いわば一人の首相は衆院任期の4年間を任期とすることが理想だということを持論としていた。途中からの任期とは言え、衆院任期2年を余すところで、代表としての任期は約1年を残して引き摺り下ろされる形の辞任となった。自ら価値を置いていた「自分はサラリーマンの息子である」の人的要件が何ら「政治は結果責任」につながらなかったことの証明となっている。

 昨日(2011年8月26日)午後開催の民主党両院議員総会でも菅仮免は辞任の挨拶を行ったということだが、そこでの発言の中にも「政治家結果責任」意識を欠いた言葉を忘れていない。《晴れ晴れ笑顔、成果強調=「やるべきことやった」-辞任正式表明の菅首相》時事ドットコム/2011/08/26-16:36)

 昨年7月の参院選敗北の原因が消費税増税をめぐる自らの発言にあったと認めながら――

 菅首相「厳しい環境の下で、私自身はやるべきことはやったと考えている」

 結果責任を果たしたと言っている。ではなぜ来年9月の正規の代表選を待たずに任期途中で退陣しなければならなかったのか。ではなぜ自身が持論としている2013年の衆院任期まで首相職を持たせることができなかったのか。

 原因と結果の因果関係を一切無視した、合理性も客観性もない自己評価となっている。

 東日本大震災と福島第1原発事故に触れて――
 
 菅首相「そういう時に首相だったことは歴史の中で消えることはない」

 東日本大震災と福島第1原発事故の発生時に「首相だったこと」を誇りとしているが、この言葉自体には何を成したのかの成果・結果に対する視点を一切欠いている。

 肝心なことは「首相だったこと」ではなく、あくまでも首相として何を成したのか、どのような利益を国家と国民にもたらしかである。そのことを以って「歴史の中で消えることはない」と誇るなら、「政治は結果責任」に添った、真に誇り得る自らの使命の達成、あるいは目的遂行の達成と確実に言える。

 大震災発生から1か月目の首相官邸での記者会見でも似たようなことを言っている。

 菅首相「私自身、この大震災のときに、総理という立場にあったひとつの宿命だと受け止めておりまして」

 大震災と福島第1原発事故の発生時に「首相だったこと」ことは単なる時期的な偶然に過ぎない。地震と津波と原発事故が菅仮免が首相であるときを狙って発生したわけではあるまい。もしそうであるなら、ただでさえ大迷惑な自然災害が日本国民になお一層の悪意ある害をなすために時期を狙って発生したことになる。

 要は東日本大震災、そして福島第1原発事故が発生したとき、大多数の国民が、特に大多数の被災者がたまたま菅首相でよかったと心から感謝する、時期的偶然と重なった「政治は結果責任」の反映にこそ価値を置くべきだが、元々「政治は結果責任」意識を欠いているから、菅仮免の感覚ではそうとすることができない。

 言ってみれば、「自分はサラリーマンの息子である」と相互対応した、「政治は結果責任」意識を全く欠いた「そういう時に首相だったことは歴史の中で消えることはない」の言葉と言える。

 果たして東日本大震災、そして福島第1原発事故のとき、菅首相でよかったと思った国民、あるいは被災者がどれ程いるだろうか。「その功績はきっと歴史の中で消えることはない」と言葉を発することで、「政治は結果責任」を物の見事に果たしたと確信した国民、あるいは被災者がどれ程存在するだろうか。

 国民のこのような評価を生み出す「政治は結果責任」の成果こそが、衆院任期までの続投の保証となり、内閣高支持率の保証ともなり、国会ねじれ現象を跳ね返す強力な力ともなる(野党の方からすり寄ってくる勢力が出てくるに違いない。)源泉となったはずだが、現実はすべて逆の現象で推移した。

 被災自治体の首長を初め、各市町村長の多くが菅内閣の震災対応を評価していない。身内中の身内とも言える日本大震災復興構想会議議長の五百旗頭(いおきべ)真防衛大学校長が菅仮免を批判している。《東日本大震災:復興構想会議議長が首相の限界指摘》毎日jp/2011年8月25日 18時57分)

 ソウル市内で開かれたシンポジウムで講演したときの発言だそうだ。

 五百旗頭「国難を乗り切るため一生懸命やろうとしているが、市民運動出身者の限界で政府機関の能力を有効利用できていない。

 (構想会議の人選について)東北ゆかりの人々をいろいろ集めたという感じで専門性が弱い」

 迅速な意志決定と迅速な実行に基づいた「政治は結果責任」が求められる多様な組織の集合体である政府運営に於いて系統だった指揮命令の経験がなかった、当然統治経験もなかったと言うことだろうが、能力の点で相互に反映し合う関係にある合理的判断能力に支えられたリーダーシップ(=指導力)を備えていたなら、その合理的判断能力に助けられて瞬間瞬間に学習し、それなりの指揮命令能力や統治能力を発揮して「政治は結果責任」を果たしていくことができたはずだが、基本となる「政治は結果責任」を欠いていたためにリーダーシップ(=指導力)も合理的判断能力も欠くこととなり、「政府機関の能力を有効利用」できなかった。

 「政治は結果責任」意識の欠如は昨日の辞任記者会見でも見受けることができる。

 菅仮免「政権スタートの直後、参議院選の敗北により、国会はねじれ状態となりました。党内でも昨年9月の代表選では全国の党員を始め多くの方々からご支持を頂き、再選させていただきましたけれども、それにも関わらず厳しい環境が続きました。そうした中で、とにかく国民のために必要な政策を進める。こういう信念を持って1年3カ月、菅内閣として全力を挙げて内外の諸課題に取り組んでまいりました。退陣に当たっての私の偽らざる率直な感想は、与えられた厳しい環境の下でやるべき事はやったという思いです。大震災からの復旧・復興、原発事故の収束、社会保障と税の一体改革など、内閣の仕事は確実に前進しています。私の楽観的な性格かもしれませんが、厳しい条件の中で内閣としては一定の達成感を感じているところです

 もし「政治は結果責任」に厳しい態度を持ち得ていたなら、「一定の達成感」は自らの「政治は結果責任」の成果として実現させることができた国民の「一定の達成感」を反映させた内閣としての「一定の達成感」でなければならないはずだが、内閣支持率を見ても分かるように国民は「一定の達成感」から程遠い場所に置かれたままである。

 いわば「政治は結果責任」を果たすことができないことによって国民が利益とし得なかった「一定の達成感」を置き去りにした内閣としての「一定の達成感」に過ぎない。

 この「政治は結果責任」意識の欠如はそのまま首相としての資格喪失を意味するはずだ。首相就任記者会見で「自分はサラリーマンの息子だ」と発言したことに始まった「政治は結果責任」意識の欠如の、終わりのない連続性を持った菅仮免の「政治は結果責任」意識の欠如であることは間違いない。

 最初に触れたように首相就任時から「政治は結果責任」意識の欠如に始まって欠如させたままの退陣となるということである。

 誰かマスコミの記者は機会があったら、「サラリーマンの息子であることが内閣運営に役立ったのか」聞いてもらいたい。詭弁・強弁を専らとする政治家だから、「役立った」と答えるかもしれないが。


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