《首相「1週間眠れなかった」 原発事故で》(MSN産経/2011.8.21 00:35)
8月20日夜、衛藤征士郎衆院副議長が近く退陣する首相を慰労するために横路孝弘衆院議長と共に副議長公邸に夕食に招いた。〈東日本大震災と福島第1原発事故への対応について〉、次のように述べたという。
菅仮免「発生後、1週間眠れなかった」
簡単には回復可能とは言えない政治不信を国民の間につくり出した無能首相を何のために慰労する必要があったかは不可解だが、結論を先に言うと、震災が与えている被災者や国に対するダメージ、その生活再建や被災地再建そのものを考えて「1週間眠れなかった」のではなく、震災に対する自身の危機管理対応の正否を懸念して、「1週間眠れなかった」のだと断言できる。
危機管理対応が失敗した場合、即自身に対する評価となって撥ね返ってくる。いわば最終的には自分がどう評価されるか心配になって「1週間眠れなかった」ということだろう。
もし自身がどう評価されるか気にして「発生後、1週間眠れなかった」のではないとすると、自身に対する指導力欠如や危機管理対応欠如の批判をかわすためについたウソに違いない。
いわば「1週間眠れなかった」程に被災者と被災地のことを考えて全力で事に当たったと誤魔化すために。
先ず3月11日大震災発生翌日3月12日の首相官邸でマスコミ記者を集めて行った震災に関する「菅内閣総理大臣メッセージ」とさらに13日の「菅総理からの国民の皆様へのメッセージ」は記者の前で発言していながら、記者からの質問を一切受け付けずに自分の発言だけでさっさと切り上げている。
3月15日の「菅総理からの国民の皆様へのメッセージ」で初めて記者の質問を一つ受け付けるが、一人のみで終了。
3月25日の「菅総理からの国民の皆様へのメッセージ」になって初めて内閣広報官が「それでは、質問を3~4問受けさせていただくことといたします」と言って、複数の記者から質問を受け付けるが、「3~4問」のうちの最大の4人で打ち切っている。
そして4月1日から「菅内閣総理大臣記者会見」と普通の名称に戻して、15人もの記者から質問を受けている。
このことは《菅総理の演説・記者会見等 -首相官邸ホームページー》で確かめてもらいたい。
「発生後、1週間」と言うと、3月18日までとなる。菅仮免の1週間は国民も政府は何をしているのか、どういうふうな考えの対応を取っているのか、多くのことを貪欲に知りたいと思っていた1週間でもあるはずである。その多くの中には首相が発する情報のみではなく、記者が質問によって掘り起こすことで首相が新たに発することになる情報までを含んでいるはずだ。
だが、菅仮免は3月12日、13日と続けて首相官邸に記者を集めていながら、自分の情報発信だけで、記者が聞いて掘り起こし、国民に伝えたいと思う情報の発信には一切応じる姿勢を示さなかった。
「国民の皆様へのメッセージ」と銘打ちながら、国民に対する説明責任を誠実に満足ゆくまで応えようとする積極性を一切見せないこの姿勢は記者から追及を受けて失言や間違った情報を発信をした場合の自身に対するマスコミや国民の批判、あるいは不評を恐れていたからに他ならないはずだ。
もし被災者や被災地のこと、国のことを真に心配していたなら、あらゆる疑問に応えて説明責任を可能な限り果たそうという誠実な姿勢で「国民の皆様へのメッセージ」に臨んだだろうし、当然、記者の質問に快く応じたはずだ
だが、一切の質問を受け付けなかった。
3月15日の「菅総理からの国民の皆様へのメッセージ」で初めて一人に限って質問を受け付けたのは13日の「菅総理からの国民の皆様へのメッセージ」終了後の枝野詭弁家官房長官の夜8時からの記者会見で、共同通信社の記者から、「総理はメッセージを発せられたけど、総理が質疑応答に応じられないということはどういうことなのか」とクレームがついたからだろう。
だが、クレームがついて一人のみの質問を許したことからは誠実さとは縁のない仕方なしの姿勢しか窺うことができない。
次に記者の質問を受け付けなかった震災発生翌日の3月12日の「東北地方太平洋沖地震に関する菅内閣総理大臣メッセージ」の発言から、「発生後、1週間眠れなかった」が被災者や被災地のことを思ってのことではなく、自身が危機管理対応の責任を果たせるかどうかによって決まってくる自身に対する評価、自分がどう評価されるかを気にしてのことだということを証明してみる。
先ず自衛隊ヘリコプターで福島原発視察と被災地上空視察に言及してから、自衛隊の派遣について発言している。
菅仮免「今回の地震は大きな津波を伴ったことによって、大変甚大な被害を及ぼしていることが、その視察によって明らかになりました。まずは、人命救出ということで、昨日、今日、そして明日、とにかくまず人命救出、救援に全力を挙げなければなりません。自衛隊にも当初の2万人体制から5万人体制に、そして、先ほど北澤防衛大臣には、更にもっと全国からの動員をお願いして、さらなる動員を検討していただいているところであります。まず、1人でも多くの皆さんの命を救う、このために全力を挙げて、特に今日、明日、明後日頑張り抜かなければならないと思っております」
さらに言葉を継いで、
菅仮免「そして、既に避難所等に多くの方が避難をされております。食事、水、そして、大変寒いときでありますので毛布や暖房機、更にはトイレといった施設についても、今、全力を挙げて、そうした被災地に送り届ける態勢を進めているところであります。そうした形で、何としても被災者の皆さんにも、しっかりとこの事態を乗り越えていただきたいと、このように考えております」
被災者の困窮を考えての発言となっている。果たして被災者の困窮を、さらに被災地の混乱、国家経済への影響等を考えて、「1週間眠れなかった」と言うことだろうか。
次いで3月13日の「菅総理からの国民の皆様へのメッセージ」の発言から。
菅仮免「地震発生から3日目の夜を迎えました。被災された皆さん方に心からのお見舞いを申し上げます。また、被災地を始め、国民の皆様には大変厳しい状況にある中で、冷静に行動をしていただいていることに対して、感謝と心からの敬意を表したいと、このように思います」
先ずは被災者の身の案じている。
菅仮免「昨日に続いて今日一日、人命の救出に全力を挙げてまいりました。これまで自衛隊や警察、消防、海上保安庁あるいは外国からの支援も含めて、約1万2,000名の方を救うことができました。本日の救援体制を少し紹介いたしますと、自衛隊は陸海空で5万人が展開し、10万人体制を準備いたしております。また、警察官は全国から2,500名を超える皆さんが被災地に入っていただいております。消防、救急隊は1,100隊を超える隊が現地に入っております。さらに災害派遣医療チームも200を超えて現地にお入りいただいております」
さらに3月21日午後に官邸で開いた緊急災害対策本部と原子力災害対策本部合同会議での発言。《「関係者の命がけの努力が少しずつではあるが前進」 政府対策本部の首相発言》(MSN産経/2011.3.21 18:17)
菅首相「今日で震災から11日目となった。その中で本当にうれしいニュースは、(宮城県)石巻で80歳のおばあさんと16歳のお孫さんが救出された。大変な被害、多くの方が亡くなられる中で、尊い命が救われたことは、私たち自身、国民の皆さんも大変喜んでいると思う。
今朝の報告では、2万6650名の皆さんを、自衛隊はじめ、多くの機関で救助することができた。関係者の努力に改めて感謝を申し上げたい」
この自衛隊をどのくらい派遣し、何名を救助したかに関しては野党が国会で震災対応の遅れを追及するたびに遅れてはいないこと、しっかりと対応していることの証明として繰返し何度でも持ち出している。
だが、菅が10万人も自衛隊を派遣した成果である「約1万2,000名の方を救うことができました」にしても、「2万6650名の皆さんを」救助できたも、津波が引かない中で建物の中や屋上、あるいは孤立した地域といった場所に目に見える形で取り残された生存者が殆んどで、当たり前と言ってもいい救出に過ぎない。
いわば閉じ込められた部屋の窓から手を振っているか、屋上からシーツを救助要請の旗代わりに広げたりしているか、孤立した地域では何らかの通信によってか、それぞれの生存者が飛行中のヘリからの目視によって救助を求めていることを知り、自衛隊その他がそれに応じた、訓練を受けた者なら容易にできる救出であった。
残酷なことだが、実際には倒壊した建物の中に自力で這い出ることができずに閉じ込められたまま何日かして息を引き取った被災者もいたに違いない。
肝心なことはこういった被災者の救出だが、そういったことに向ける視線を持たないから、目に見える形の生存者を何人救ったと自らの成果とすることができる。
菅仮免が言っている、地震発生から10日目に救出された石巻で80歳のおばあさんと16歳のお孫さん」は津波に流されて倒壊した家屋の中に、いわば外から見えない形で9日間祖母と共に閉じ込められていた16歳の孫がこの日自ら柱や板、家財といった障害物を取り除いて屋根の上まで出て、自ら周囲に助けを呼んだ声に警察官が気づいて救出したもので、「約1万2,000名」や「2万6650名」の殆んどのような最初から目に見える形での生存とは異なる救出である。
そして記者会見だけではなく、国会でも自衛隊を10万人派遣して、1万人救出した、2万人救出したと自らの成果としている間に、記者会見で「食事、水、そして、大変寒いときでありますので毛布や暖房機、更にはトイレといった施設についても、今、全力を挙げて、そうした被災地に送り届ける態勢を進めているところであります」言っていながら、実際には食糧支援も毛布も暖房器具も、さらに医薬品等も支援が遅れに遅れていた。
ガソリンや灯油といった燃料の支援も遅れに遅れていたし、また瓦礫処理や支援金配布も遅れていた。
もし「発生後、1週間眠れなかった」程に放射能避難住民も含めて被災者の生活、被災地の状況を心配していたなら、各種支援があれ程にも遅れることなかったし、遅れている実態からしたら、「眠れなかった」のは「1週間」では済まなかったろう。
さらに心底「発生後、1週間眠れなかった」程に誠実に震災と向き合っていたなら、4月26日午後の衆院予算委員会で仮設住宅8月お盆まで希望者全員入居を確信もなく国会で安請合いして、見せ掛けの希望を与えるような誠実さとは百八十度正反対のことは発言しなかったろう。
要するに自身の能力誇示のために仮設住宅8月お盆まで希望者全員入居を安請合いした。決して被災者の困窮・苦難を思って、そこから1日も早い解放を果たすべく言ったわけではない。
自身の能力誇示とはこの場合、「約1万2,000名」や「2万6650名」の救出を成果とするのと同じ類いで、危機管理対応の責任を果たしていると見せ掛けることによって自身に対する評価につなげる意識の発動を言うはずだ。
震災発生以後、暫くは記者の質問を受け付けなかった姿勢、被災者や被災地に対する実質的な支援・救済を欠いていながら、あるいは復旧の遅れを来たしていながら、目に見える形で取り残された生存者の救出人数をいつまでも成果としていたこと、同じく肝心要の被災者や被災地に対する実質的な支援・救済を欠いていながら、自衛隊を直ちに10万人派遣しただの、消防を派遣しただのと、そういったことを以って自らの危機管理能力としていたこと、確信もなく仮設住宅入居を安請合いしていたこと等を考え併せると、震災「発生後、1週間眠れなかった」は自身の危機管理対応如何に応じて違えてくる自身に対する評価を懸念したとしか結論づけることはできない。
そうでなければ、最初に書いたように自身に対する指導力欠如や危機管理対応欠如の批判をかわすために一生懸命に取り組んだと装うためについた真っ赤なウソであろう。
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