菅の相変わらず「政治は結果責任」意識なき首相談話

2011-08-31 11:18:13 | Weblog

 昨30日(2011年8月)菅内閣が総辞職した。首相就任の「自分はサラリーマンの息子」に始まって最後の「内閣総辞職にあたっての内閣総理大臣談話」まで、在任449日間ずうっと「政治は結果責任」意識を欠如させたまま首相職にとどまった稀有な総理大臣として歴史に名を残すに違いない。

 合理的判断能力を欠いていることから「政治は結果責任」を欠くことになっているこの連鎖は考え、物事を決定する基本の能力をそもそもから欠いているゆえに断ち難く折々に曝け出すこととなる自らの資質としているのではないだろうか。

 内閣総辞職にあたっての内閣総理大臣談話

 2011年(平成23年)8月30日 

 菅内閣は、本日、総辞職いたしました。

 昨年6月の内閣発足以来、国民新党との連立政権の下、これまで先送りされてきた政策課題に正面から取り組んできました。

 私は、総理就任時に、政治が目指す目標として「最小不幸社会」の実現を掲げ、「雇用の確保」を重視した「新成長戦略」の推進、特命チームによる課題解決、地域主権改革を推進しました。

 社会保障と財政の改革については、精力的に議論を重ね、「社会保障・税一体改革」の成案をまとめました。この問題は、もはや先送りできません。今後、与野党の論議等を通じ、改革が推進されることを心から希望します。

 外交面では、日米首脳会談等を通じて日米同盟を深化させるとともに、横浜APEC開催などにより、近隣諸国との関係強化を推進し、安全保障面でも新防衛大綱策定などに取り組みました。

 本年3月11日の東日本大震災と東京電力福島原子力発電所の事故の発生は、大規模かつ広範にわたる被害をもたらしました。この未曾有の災害に対し、発災直後から被災者の救出・救助に取り組み、その後、仮設住宅の建設やガレキ撤去、被災者の生活支援など、復旧・復興に向け、被災地の方々とともに懸命に取り組んでまいりました。

 また、原発事故の収束に全力を挙げ、その結果、「安定的な冷却」状態が実現できました。さらに、今回の事故を受けて、エネルギー政策を白紙から見直し、原発依存度低減のシナリオの作成や原子力政策の徹底的な検証、原子力安全規制の組織の根本的改革を行うことを決定しました。

 しかし、今なお残された課題は多くあります。新内閣において、復旧・復興と事故収束に向けた取組を一層推進されることを期待します。

 本内閣において、必ずしも十分な対応ができなかった点については、大変申し訳なく思っております。歴史がどう評価するかは、後世に委ねますが、私を始め閣僚全員は、その持てる力の全てを挙げて誠心誠意取り組んできました。今後、新内閣の下で、大震災から日本が力強く再生することを願ってやみません。

 これまでの間の国民の皆様のご支援とご協力に感謝いたします。ありがとうございました。

 殆んどが「取り組んでまいりました」の結果を見ないうちの状態を言っているに過ぎない。「行うことを決定しました」も同じ。

 “取り組む”という行為にしても、“行うことの決定”にしても、「結果責任」を出す前の単なる姿勢を言うのであって、当然、「結果責任」は評価不明の状態にあるのだから、「政治は結果責任」を使命としている以上、「正面から」取り組もうと横から取り組もうと、いくら誇っても意味はない。

 江田五月も8月26日の記者会見で似たような「政治は結果責任」意識を欠いたことを言っている。

 江田五月「内閣として批判は反省するが精一杯やった。一歩一歩、懸案を前に進めてきた」(MSN産経

 「精一杯やった」も「懸案を前に進めてきた」も、「結果責任」を出す以前の状態のことであって、当然、「政治は結果責任」を果したことにはならない。

 高校野球夏の甲子園大会でも一回戦敗退チームも精一杯やったはずだ。高校野球の場合は結果以前の姿勢でしかない精一杯やったを目的とすることはできても、政治はあくまでも結果を目的としなければならない。  

 江田は具体的な成果として大阪地検特捜部の不祥事を受けた検察改革や、兼務した環境相としての東日本大震災の瓦礫処理促進を挙げたということだが、検察改革は改革の成果は未だ不明であって、瓦礫処理促進にしても満足に進んでいるとは決して言えない。特に放射能に汚染した瓦礫処理となると、中間処理施設も最終処分施設も建設地がまだ決まっていない状態にある。

 要するに江田の「精一杯やった」は「政治は結果責任」を念頭に置かない弁解に過ぎない。あるいは「精一杯やった」ことを以って「政治は結果責任」に代えようとするペテンを働かせているに過ぎない。

 菅仮免の「最小不幸社会」にしても「実現を掲げ」ただけのことで、社会の形として形を成すところまで「結果責任」を見せたわけではない。社会の中で形を成して初めて「政治は結果責任」を果したと言えるのだが、単に「実現を掲げ」たのみで終わっている。

 いわば「最小不幸社会」に関して結果責任を果たしていなかった。有言不実行で終わったということであろう。

 時間がなかったという言い訳は効かない。短期間の退陣も「政治は結果責任」に関わる自身の実力のうちだからだ。

 「『雇用の確保』を重視した『新成長戦略』の推進」も同じ、「特命チームによる課題解決、地域主権改革」も同じ、結果を見る以前の状態の「推進しました」の姿勢で終わっている。当然「結果責任」を果したとは言えない。

 「社会保障・税一体改革」にしても、「成案をまとめました」(=考えを纏めました)と言うだけのことで、纏めるという点では「政治は結果責任」を果したと言えるが、それだけで終わる「政治は結果責任」であるはずだ。

 いくら「今後、与野党の論議等を通じ、改革が推進されることを心から希望します」と切に願ったとしても、首相としての菅の手を離れた以上、内容・形が変わらない保証はない。言ってみれば、ほんの一歩踏み出したと言うだけのことで、自身の手で法律に仕上げたわけはないし、例え法律に仕上げて国会で成立させ、施行したとしても、その法律を社会に適用し、税と社会保障の点で国民生活を利便化させる成果を挙げて初めて「結果責任」を果たしたと言える。まだ海の物とも山の物とも言えない机上のプランでしかない。

 菅自身がそこまで見届けずに退陣しなければならないのは「結果責任」の放棄に当たり、最たる問題点であろう。

 外交では日米同盟の深化を成果の一つに挙げているが、その外交能力からして国際関係が日米双方に仕向け、要求することになっている状況任せの、いわば自身の力が殆んど関与しない深化といったところで、そこに日米首脳同士の信頼関係が裏打ちされているならまだしも、日本側の首相がコロコロ代る事情が必要上の関係で終わらせている側面は否定できないはずだ。

 結果、外交でも「政治は結果責任」を満足に果たすことができなかった。

 また近隣諸国との関係強化推進にしても最も留意しなければならない中国との関係は領土問題や海洋資源開発問題等の対立を抱えていて必ずしもスムーズにいっているわけではない。

 さらに言うと、退陣表明から3ヶ月間居座ることによって辞めていく首相との約束が継続性を持たないことから外交空白を長々とつくり出した「結果責任」も重いものがあるはずである。

 だが、「政治は結果責任」意識を欠いているから、反省もなく菅内閣の成果に数え上げることができる。

 福島原発事故に関しては、「原発事故の収束に全力を挙げ、その結果、『安定的な冷却』状態が実現できました」と言っているが、あくまでも『ステップ2』を残した段階での「ステップ1」の達成であって、このことが基本となるとしても、放射能被害からの避難民の全面的な帰宅問題は見通しがつかない状況にあり、肝心な問題を抜かした「政治は結果責任」の中途半端な成果となっている。

 最後は極めつけの「政治は結果責任」意識の欠如となっている。

 菅内閣が最も力を発揮することを求められた「結果責任」は震災対応及び原発事故対応であろう。かつて「私自身、この大震災のときに、総理という立場にあったひとつの宿命だと受け止めておりまして」と言い切って、自己存在を大袈裟に意義付けたのである。

 あるいは原発事故と震災があった「そういう時に首相だったことは歴史の中で消えることはない」と自己存在に歴史的な意味づけを行っていたのである。

 この二つの発言自体が何を成すかを目指す、あるいは何を成したかを問う「政治は結果責任」意識を欠いた言葉に過ぎないが、自己存在を「宿命」だとか「歴史の中で消えることはない」と事々しく評価付けた以上、最大限の力を発揮する、いわば最大限の「結果責任」を果す意志を自らに課したはずだ。

 最大限の「結果責任」を果す意志を自らに課しもせずに「宿命」だ、「歴史の中で消えることはない」などと大見得を切ったとしたら、滑稽そのものとなる。

 だが、「本内閣において、必ずしも十分な対応ができなかった点については、大変申し訳なく思っております」と、最も力を発揮することを求められて、求められたとおりの、あるいは求められた以上の「結果責任」を最大限残さなければならなかったはずの震災対応・原発事故対応でありながら、最大限の「結果責任」を果したことにはならないことを言っている。

 にも関わらず、「大変申し訳なく思っております」の言葉のみで済まそうとしている軽い責任意識は元々「政治は結果責任」意識を欠いていることに対応した軽さであろう。

 また、「必ずしも十分な対応ができなかった点」があると自らの「結果責任」の未達成を認めておきながら、「歴史がどう評価するかは、後世に委ねます」と既に現れている「結果責任」評価を歴史に委ねる矛盾を犯して自ら気づかない鈍感さを示している。

 と同時にこの「歴史がどう評価するかは、後世に委ねます」は被災者のことは何も思っていない、あるいは何とも思ってもいない言葉であろう。

 歴史がどう評価しようと、被災者が日々痛切に感受している「政治は結果責任」に対する評価がどのようなものなのかが真に重要な点だからだ。

 カネと時間をかけることによって復旧・復興は遂には達成されることになる。だが、達成の中身である。復旧・復興政策の的確性の問題、スピードの有無は人権尊重の濃淡に即座につながる。

 となると、被災者や国民が菅内閣の「政治は結果責任」に対して現在進行形の形でその時々に評価していくその全体像が歴史評価と一致しなければ、真の歴史評価と言えないことになる。

 またそうでなければ、民主党が掲げる「国民の生活が第一」をウソとすることになる。現実には「国民の生活が第一」となっていないにも関わらず、歴史が評価するという矛盾を来たすことになるからだ。

 次のように言うこともできる。被災者に数々の精神的な飢餓状態を強いておいて、歴史が高く評価しようと意味をなさないと。

 すべては菅と言う政治家が「政治は結果責任」意識を欠いているからこそ、歴史の評価に逃げ込むことになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする