NHK「放送命令」は安倍国家主義からの報道規制か

2006-10-15 05:12:38 | Weblog

 06年10月13日の『朝日』夕刊と14日の『朝日』朝刊が、総務省が拉致問題でNHKに「放送命令」の方針を打ち出したという記事を続けて載せた。国が「放送命令」を出すのは違法ではないが、異例だとすることを次のように伝えている。

 「総務相は短波ラジオ国際放送への命令権限を持つが、個別具体的な項目の扱いを求めるのは異例だ。ただ、与野党から慎重論が出ている。
 放送法は、NHKの国際放送について、総務相が事項を指定して放送を命じる『命令放送』ができるとしている。現在は経費の一部に国費が投じられている短波ラジオ国際放送が対象だ。NHKに対しては定期的に総務相による命令書が渡されるが、これまでは、NHKの自主性を尊重するために、具体的な放送項目を明示することはなかった」(『拉致問題、NHKに放送命令へ 総務省、明文化の方針』06.10.14.朝刊)

 このことに関しての菅総務相と安倍首相の消息を次のように説明している。「菅総務相が13日午前の閣議後の記者会見で『内閣が代わり、拉致問題が国の最重要事項になっている。そういうことを含めて検討したい』と述べた。この発言に関し、安倍首相は同日夜、『北朝鮮で救出を待っている被害者に何ができるか。総務大臣もできる限りのことをしようと考えていると思う』と首相官邸で記者団に語った」――

 菅総務相は安倍首相も出席したはずの閣議後に述べているのである。菅総務相が言い出したことであっても、了承を与えた提案であろう。「いいアイディアだと思う。バックアップしたい」とか、「拉致問題解決に向けて有効ではないではないだろうか」と言うなら分かるが、「総務大臣もできる限りのことをしようと考えていると思う」と、総務大臣一人の提案でするかのように説明しているのは、実際は安倍首相の指示による提案ではあるが、〝報道の自由〟に対する国家権力の介入との思惑を与えることを避ける意味から、菅総務相の〝独演〟であるかのように装ったと窺わせないでもない。

 事実そうだとしたら、安倍首相自身、自らの国家主義的な側面に気づいているということだろう。あるいは国家主義的な意志が巧まずして前例をつくる方向に向かわせていて、その印象を拭うために自分を関係ないところに置く発言となっているのか。

 14日(06年10月)の『朝日』朝刊(『政府、NHKに「拉致」重点放送 「特定報道」異例の命令』)は記事の冒頭から「外交戦略と報道の自由とどちらが優先されるべきか――」と問いかけているが、そのことはさておいて、拉致解決にどれ程役立つのだろうか。

 同記事は「海外向け短波放送としては、米国のボイス・オブ・アメリカ(VOA)や英国のBBCが有名。冷戦中、東欧向けに旧西独から放送された米国の自由ヨーロッパ放送などが、妨害電波を潜って受信され、ベルリンの壁の崩壊につながったとも言われた」と短波放送の成功例を伝えている。北朝鮮も同様の手を打っていて、「拉致関連放送としては、拉致問題を調べている『特定失踪(しっそう)者問題調査会』が、北朝鮮向けに短波ラジオ放送『しおかぜ』で、被害者家族のメッセージなどを流しているが、妨害電波とみられる通信に見舞われている」(『拉致問題、NHKに放送命令へ 総務省、明文化の方針』06.10.14.朝刊)ことを伝えているが、NHKが受け持った場合、多くの北朝鮮国民、あるいは拉致被害者に「妨害電波を潜って受信され」る可能性はどれ程あるのだろうか。

 例え妨害電波を潜ったとしても、NHK短波ラジオと「米国の自由ヨーロッパ放送」とを効果の点で同等に位置づけるのは早計に過ぎるだろう。なぜなら、「米国の自由ヨーロッパ放送」は基本的には西側同様の自由を渇望している共産主義体制下の不特定の一人に伝わりさえすれば、その情報は仲間から仲間へと口伝えに伝播・共有されていき、自由の希求と機会さえあれば共産主義体制を打倒しようという思いを段階的、あるいは加速度的に強めていったであろうが、北朝鮮の場合、拉致被害者に直接、あるいは間接に伝わって勇気と希望を与えたとしても、
それ以上の救出という状況を期待するには北朝鮮国民の動向にかかってくる。

 一般的な北朝鮮国民にとっては、自分たちが飢えを凌ぐことだけの、あるいは食べていくことだけの自分事が精一杯で、食べていくことに関係しないばかりか、国家の悪事を(その最悪なものは国民を飢えさせたり餓死させたりすることだろう)いやというほど思い知らされている比較対照から自国民を対象としたものではない外国人対象の犯罪はそれが拉致であろうとなかろうと相対化の洗礼を受けて、たいした犯罪だと認識させるに至らない恐れさえある。人のことなど構っていられるか、というわけである。北朝鮮国民が動かないとすると、短波放送が拉致被害者に伝わったとしても、日本にいる家族の声・消息を伝えるだけで終わりかねない。

 国民が経済的に豊かになると政治意識に目覚めるという社会的傾向の逆説である。経済的にギリギリのところで生かされている人間にとって、革命が起きてキム・ジョンイルが殺されたというなら明日の糧に希望も持てるが、政治に目を向けている余裕もなければ、日本人の拉致も、ああ、そんなことまでやっているのかと頭を掠める程度にしか関心を示さないこともあり得る。

 報道の自由の侵害は、それを出発点としてそれぞれの自由であるべき表現及び思想・信教に関わる基本的人権の抑圧・毀損に向かいかねない国民全体の利益を損なっていく重大な問題である。

 拉致被害者救済のためという誰もが反対できない名目を人質に国家主義を押し付け、基本的人権の自由を奪いかねない、その恐れのある「放送命令」であろう。初期的には例え純粋に拉致被害者救済に限った例外だとしても、ひとたび前例をつくると、国家権力の都合でなし崩し的に権力意志の強要が開始され、自己の都合の良い放送内容を求めてくる恐れなしである。全体主義や独裁といった〝悪〟は醜い顔をしているからこそ、最初は羊の顔をして現れ、徐々に狼の牙を剥いていき、自由束縛を餌にして離さなくなる。

 安倍首相はかつて中川昭一と共にNHKテレビの「従軍慰安婦」番組への政治介入を疑われた身である。この種の出来事は密室で行われるがゆえに真相は藪の中と化し、推定無罪放免とはなったが、戦前の戦争を侵略戦争と把え、強制連行や従軍慰安婦の問題を取り上げる歴史観を自虐史観と批判し、その線での報道を偏った報道とする立場に立っている。疑わても仕方のない体質を保持している。

 「外交戦略と報道の自由とどちらが優先されるべきか――」。記事の冒頭の言葉に戻るが、拉致被害者家族にしても、日本国民全体の利益である報道の自由(=表現の自由、思想・言論の自由)を侵す恐れを招いてまでして、日本にいる家族の声・消息を伝えるだけに終わりかねない限定された利益のために拉致被害者家族救出という価値の実現のため「放送命令」を望んでいるのだろうか。「今回の総務省の姿勢に対しては、超党派の『拉致議連』会長の平沼赳夫元経産相(無所属)が『よいことだ。国家的なテロ行為だから、メディアを使ってやるのは悪いことでない』と評する声もある」(『政府、NHKに「拉致」重点放送 「特定報道」異例の命令』)が、家族自身に一度聞いてみるべきである。

もし家族自身が拉致被害者を日本国人の一人であり、その生命を守るのは国家の役目なのだから、例え日本にいる家族の声・消息を伝えるだけで終わることになるとしても、報道の自由侵害の恐れを無視してでも救出を目的に短波放送を望むと言うことなら、「報道の自由」を守る兼ね合いからも、いわば国家権力によって「報道の自由」の侵害、もしくは基本的人権の自由の侵害を招く前例としないためにも、NHKに「放送命令」を出すとしたら、直接的には拉致被害者とその家族に限定した利益のためではなく、北朝鮮のキム・ジョンイル独裁体制を倒し、北朝鮮国民に自由と民主主義を保障するという人類共通の価値観を目的とした「放送」とすべきではないだろうか。

 日本国憲法の前文は次のように謳っている。「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

 憲法の理念にも適う「放送命令」となる。内外に向けた基本的人権の保障目的(=「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」の保障目的)が報道の自由侵害の恐れを打ち消す。

 まさか安倍先生はいくら国家主義が過ぎているとしても、外国人がつくったものだからとこの箇所まで削って、自らの国家主義に日本を一歩近づけようとしていると言うわけではあるまい。

 以前02年10月2日にアップロードしたが、容量の関係でダウンロードしたままとなっている自作HPに載せた文章をそのままに紹介してみる。

 「北朝鮮国民の飢餓・餓死にしても、誰が否定しようとも、紛れもなく金日成・金正日親子二代にわたる、彼ら二人によって引き起こされた政治権力者による国民の生命・財産に対する犯罪に他ならない。いわば飢餓・餓死と拉致は国民の生命という点に関して、相互的に反映しあった対の関係にあるのは言うまでもない。自国民の生命を軽視する者は他国民の生命をも軽視することが真理である所以でもある。

 言葉を替えて言うなら、何人も、『自国民の生命』を言うには、『他国民の生命』をも視野に入れることによって、その資格を得るということでなければ、言葉に信用性は生まれないと言うことである。いわば、拉致された日本人の先に飢餓に苦しみ、餓死している北朝鮮国民を両者は密接につながっている現実問題として見なければならない。」――

 確かに拉致された者の救出は近親者・家族にとって切実で緊急を要する問題ではあることは間違いないし、理解できるが、北朝鮮に関して言うなら、拉致被害者だけが救出されればいいという問題ではなかろう。その視点がなかったことが、いわば一国主義的に日本人の生命のみを考慮に入れていたことが、国際的になかなか理解が得られなかった理由ではなかっただろうか。

 〝疑わしきは罰せず〟。疑わしいというだけで罰していたら、その中に一人でも無実の人間が混じっていた場合、その人間まで罰してしまう重大な過ちを犯すことになる。たった一人であっても、無実の人間を罰してしまう過ちをつくり出さないために、限りなく疑わしくても、証拠がない場合は罰しないという推定無罪の原則を厳しく守られなければならない。

 しかし、基本的人権の保障に関しては、国民が国家権力に対してそれを侵害しかねない疑いを少しでも持った場合は、国家権力側から言うなら、国民に侵害しかねない疑いを少しでも持たれた場合は、証拠があるなしにその疑いを以てして〝推定有罪〟とすべきであろう。基本的人権の保障を絶対とするためにである。絶対とするためには、疑いを招きやすい行為は避けるべきである。

 戦前の前科もある。国家権力は軍国主義・全体主義で国民の自由・基本的人権を縛り、新聞・ラジオ・雑誌を含めたすべてのマスメディアは軍国主義に同調・従属し、言葉悪く言えば、媚びへつらい、付和雷同して軍国主義を鼓吹・宣伝し、国民を戦争に駆り立て、多くの国民を国家権力共々死なせた前科がある。前科が前科で終わる保証はどこにもない。前科を再犯させないためにも、基本的人権の自由の保障に関して神経質の上にも神経質になるべきであろう。

 「『命令放送』の制度は放送法に定められた編集の自由に対する、いわば例外規定だ。現在はNHKの短波ラジオ国際放送に限られる。しかし、来年度予算の概算要求ではNHKのテレビ国際放送にも初めて3億円の国費投入を求めており、計上されれば命令放送ができるようになる」(『政府、NHKに「拉致」重点放送 「特定報道」異例の命令』)

 この文章だけからでは「3億円の国費投入」が政府が求めているのか、NHK側が求めているのかはっきりとしないが、どちらであっても、国家権力の介入を招く恐れのある状況は避けるべきで、もし新たな資金が必要と言うことなら、その分組織を縮小させるべきであろう。制作費詐取とか不正経理とかの犯罪を許している分、組織が贅肉化していることの証明で、官公庁を含めた政府機構同様にいくらでもムダを省く余地はあるはずである。

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