面目躍如たるご都合主義者・安倍晋三

2006-10-06 18:29:19 | Weblog

 晋三は〝心臓〟に通じる

 10月6日(06年)の朝日社説が『安倍首相へ 歴史を語ることの意味』と題して、安倍首相の歴史解釈態度を批判している。

 概略を引用すると、大部分だが、「首相は保守とは何かと聞かれて、こう答えた。
 『歴史を、その時代に生きた人々の視点で見つめなおそうという姿勢だ』。言いたいことは、侵略や植民地支配について、今の基準で批判するのではなく、当時の目線で見よということなのだろう。
 この考えは、歴史について半分しか語っていない。過去の文書を読み、歴史上の人物の行動を理解するとき、時代の文脈を踏まえることは言うまでもない。だが、それは出発点に過ぎない。
 さらに一歩進んで、歴史を評価するとき、その時代の視線を尺度にしたらどうなるだろうか。歴史には様々な暗黒面がある。人間が人間を動物のように扱う奴隷制や人種差別、ホロコーストなどの大量虐殺。それぞれはその体制下では問題にされなかった。
 私たちは時代の制約からはなれて、民主主義や人権という今の価値を踏まえるからこそ、歴史上の恐怖や抑圧の悲劇から教訓を学べるのである。ナチズムやスターリニズムの非人間性を語るのと同じ視線で、日本の植民地支配や侵略のおぞましい側面を見つめることができるのだ。
 安倍氏の言う歴史観は、歴史の持つ大切な後半部分が欠けている。」――

 さらに「肝心なことになると、歴史家の評価にゆだねてしまう」逃げの姿勢を批判している。

 「ゆだね」なければ自分に都合が悪いからで、都合がいいことなら、必要ないことまで滔々と喋り立てるに違いない。このような姿勢を以て、美しいばかりのご都合主義と名づけなければならないのは言うまでもないことだろう。

 社説は最後にこう述べている。「5日の衆院予算委員会では、村山談話など個人として受け入れる考えを示し、従来の姿勢を改めつつあるものの、民主党の菅代表代行に満州事変の評価を問われると、『政治家は謙虚であるのが当然であろう』と答を避けた。
 安倍氏は民主主義や平和を重んじてきた戦後日本の歩みは誇るべきだと語っている。ならばその対比としての戦前にきちんと向き合ってこそ説得力を持つ。
 政治家が歴史の前に謙虚であるべきなのは、チャーチルに見られるように、現代の行動の評価を後世がするという緊張感からなのだ。単に歴史を語らないのは、謙虚ではなく、政治家として無責任、あるいは怠慢と言うしかない。」――

 「歴史家の評価にゆだね」るの「歴史家」とは安倍氏もときに応じてその言葉を付け加えているように〝後世〟の歴史家を指さなければならない。現在の「歴史家の評価」は既に出ているからである。その「評価」にどう対応するか、自らの態度を明らかにしなければならない。明らかにしないで済ますには、あくまでも〝後世〟に先送りしなければならない。

 また「ゆだね」るが後世の「歴史家の評価にゆだね」た解釈に自己の考えを単に従属させて自己の歴史解釈とする「ゆだね」るなら、歴史に対する冒瀆を為す無責任な態度であるばかりか、一国の総理大臣でありながら、歴史に対して自分の考え・解釈を持たないことを意味する。

 相手が歴史家であろうと誰であろうと、それらの歴史解釈を自分がどう解釈するか、その是非を問うには、自分なりに歴史を解き明かした考え・解釈を持っていることを前提とし、比較対照の過程を経なければならない。そのような前提と過程を踏むに至る自分なりの考え・解釈も持っていない人間に、後世の「歴史家の評価にゆだね」る資格はない。

 さらに言えば、すべての歴史家の「評価」が常に一致するとは限らないという考えは安倍晋三の念頭にはないようである。これはご都合主義からではなく、単細胞だからできる判断排除であろう。但し、歴史家が「評価」を示したとしても、自分の主義主張に都合の悪い「評価」は自己利害から排除するに違いない。これは安倍氏が既に行っていることで、まったくもってご都合主義が為さしめる取捨選択であろう。

 現在に於いても東京裁判を肯定する歴史解釈と否定する歴史解釈が併存するが、安倍氏は否定する歴史解釈に立っている。そのことの是非は別として、自分なりの歴史解釈を持っていいることを示す。それを「後世の――」というのは、都合の悪いことを韜晦しようとする美しくとも薄汚い欺瞞行為に他ならない。

社説には触れていないが、「歴史を、その時代に生きた人々の視点で見つめなおそうという姿勢」と「(後世の)歴史家の評価に委ねる」姿勢は正反対の相異なる認識作用を成すもので、安倍〝心臓〝という人間の中で実際には相互矛盾を成す価値判断が混乱も仲違いも起こさずに仲良く共同生活を営んでいるようである。これもご都合主義者だからできることなのだろう。

 時代時代の「視点」とは価値観と同義語を為す言葉であろう。一般的には時代の価値観の影響を受けた〝視線〟を持つ。後世の歴史家の「視点」(=価値観)は、後世に行くほど「その時代に生きた人々の視点」(価値観)から遠ざかることになる。「歴史を、その時代に生きた人々の視点で見つめなお」す(=その時代に生きた人々の価値観で見直す)歴史に関わる安倍氏の言う評価方法が正当性を持つとすると、後世の歴史家の歴史評価は、当然視点(=価値観)を違えているのだから、不可能の宣告を受けなければならなくなる。

 例え「その時代」の「視点」(=価値観)を書物やその他の情報から知り得たとしても、あくまでも刻々と移り行く現時点にある時代の「視点」(=価値観)を通した「その時代」の「視点」(=価値観)解釈であって、解釈者の時代の「視点」(=価値観)の影響を受けた解釈となる。

 例えば現在の時代の民主主義や人権の価値観を知らない者が戦前の日本の歴史を解釈したとしたら、どうなるだろうか。戦前を肯定する人間が、例え口で民主主義、人権をどう言い立てようとも、口で言うだけのものでしかなく、実際には民主主義や人権の価値観を知らない者であろう。知らないからこそ、戦前回帰の衝動を持つ。

 戦前の歴史肯定に〝時代性〟を持ち出すが、民主主義や人権の価値観を知らないからこそできる、自らの歴史評価を戦前の時代の価値観に委ねる認識作用・価値判断以外の何ものでもない。

 戦前と同じ時代(軍国主義の時代)が到来したら、二つの時代はほぼ視点(価値観)を同じくすることとなって、その時代の後世の歴史家は戦前の日本を肯定的に判断する可能性は生ずる。安倍氏はそのような時代を待っているのだろうか。だとしたら、安倍首相の政治はそのような時代を意志した政治となる。少なくとも意識の中ではそのような時代を望むことになるだろう。既に憲法改正意志及び教育基本法改正意志の中にその兆候は現れてはいる。

 社説は安倍首相が「村山談話など個人として受け入れる考えを示し、従来の姿勢を改めつつある」としている。同じ日付けの別記事でも「安倍首相は5日の衆院予算委員会で、アジア諸国への『植民地支配と侵略』を認め、謝罪した村山首相談話について『国として示した通りであると、私は考えている』と述べた。従軍慰安婦問題で軍当局の関与と「強制性」を認めた河野官房長官談話に関しても「私を含め政府として受け継いでいる」と答弁。首相はこれまで両談話について『政府の立場』を説明してきただけだったが、個人としても受け入れる考えを初めて示した」(『村山・河野談話、個人としても受け入れ 安倍首相答弁』06.10.6.『朝日』朝刊)と見方を同じくしている。

 だが、「村山首相談話について『国として示した通りであると、私は考えている』」、「河野官房長官談話に関しても『私を含め政府として受け継いでいる』」と報道している言い回しを仔細に眺めてみると、「国」及び「政府」を主体的位置に置き、あくまでも「私」を従に置いた文脈となっている。

 村山談話に対しては「国として示した通りであると、私は考えている」となっているが、「私」自身が自らの歴史認識に従って「示した」主体的意志からのものとはなっていないし、特に河野官房長官談話に関しては、「私を含めて」いるものの、「政府として受け継いでいる」と「政府」を主体的行為者としていて、当然政府を離れた場合の「私」は踏襲に無関係とすることができる。

 「私」自身が歴史認識を同じくして「受け継いでいる」としていたなら、「政府として受け継いでいる」といった言葉は出てこないだろうし、またその歴史認識は「私」自身に所属する認識であって、政府に所属しているしていないに関係ないものとなる。

 このように歴史認識に関わる持ってまわった曖昧な言い回し、自己を従の位置に置こうとする発言は中国・韓国との関係修復に障害となる歴史認識の違いを表面的に正し、相手を納得させるためだけのご都合主義が否応もなしに仕向けてしまったものだろう。

 中曽根元首相は在任当時〝風見鶏〟と評されたが、安倍新首相は中曽根元首相を上回る〝風見鶏〟であり、その美しいばかりのご都合主義は学校教育でも学ばせるべく、改正すべく目論んでいる教育基本法に自分を次世代の日本人の理想像と位置づけて、人間は〝風見鶏〟であるべしの文言を入れるべきではないだろうか。日本の首相にこのようなご都合主義者を抱えて、国民は幸せとすべきである。

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