「裸の王様」は憲法だけなのか

2006-10-01 04:52:47 | Weblog

 決して豊かでない美しい日本の国

  作家村上龍発行のメールマガジン「JMM」のアメリカ在住の冷泉彰彦氏記事『アメリカは出生率2.0を守れるか』、日付は記入忘れしてしまったが、日本の出生率低下が騒がれた2006年の4月から6月頃のものだと思う。「出生率」に関する部分ではなく、アメリカ人の労働事情を紹介している部分を少々考えてみたいと思う。

 「(アメリカ人の)労働時間がだんだん長くなってきています。以前ですと、夜7時台までだった通勤電車の混雑が9時台、10時台にまで広がってきています。リトルリーグなどでも、コーチが試合に遅れてくるようなケースが少しずつ目立ってきました。リストラが徹底している中で、管理職を中心に一人一人の仕事量は確実に増えているようです」という状況にあるものの、「管理職は基本的に出退勤管理がフレキシブルです。成果至上主義が徹底しているために、目標をクリアしていれば金曜の夕方4時ごろに『良い週末を』などと言って退社して構わないのです。その代わり、業績が上がらなければレイオフされる危険がある、という中から、個々人が業務計画のマネジメントを主体的にやりくりしながら『業績と家庭』の両立を図るようになっているのです」

 「もう一つは、非管理職です。非管理職は、おおむねイコール『残業手当の付く人』ですが、この『残業手当の付く人』は残業をしないし、させない、これが暗黙の労使慣行になっています。暗黙というのはもしかすると適切ではなく、正当な理由を事前に示して同意を得なくては残業命令が出せないのです。そう言うと、『だからアメリカ人は怠け者だ』ということになりがちですが、それ以前の問題として、とにかく一般職は残業しないという慣行がかなり強くある、それが社会全体の残業時間を抑えることになっているのです」

 その原因として、「社会全体に『仕事より家庭が優先』という文化が一種のタテマエになっているということもあるでしょう。子供の急病など、家族に起きた突発的な事態においては相当に要職にある人が相当な繁忙期に入っていても、家庭を優先するようになっており、周囲もそれに協力するというのが当たり前とされています。
 勿論、何の葛藤もなく『じゃあね』と消えるのではなく、仕事か子供かということで、ギリギリの調整をするのですが、最後には子供を優先する人がほぼ100%だと思います。プロ野球の選手などで、相当の高給を得ていて『余人をもって代えがたい』と自他から思われていても、子供の病気を理由にパッと試合を休むことがあり、それを周囲もファンも受入れるムードがあるのです」――

 記事自体のメインの主張はアメリカの2006年の合計特殊出生率の予想値はヒスパニック系の数字が全体の平均を押し上げて2.09を維持しているものの、ヒスパニック系にしても、やがてアメリカ流の消費生活スタイルに染まって行くと自らの出生率2.8は長続きはしないだろうとか、その他にも様々な要因を挙げて、アメリカ全体としての出生率も下がっていくのではないか予測しているものだが、アメリカ在住の高校教師でもあり、作家でもある冷泉彰彦氏を信用するなら、上記引用部分から大体のアメリカ人の仕事振りが理解できると思う。一斉作業の製造現場では事情が大分違うだろうが、残業するもしないも必要に応じて自分の責任と判断で対応していく形式を社会的ルールとしているようである。いわばきわめて自律的・主体的な姿を見せている。

 独立行政法人労働政策研究所の統計によると、「2003年の日本の年間総実労働時間は1,975時間となり、アメリカ(1,929時間)、イギリス(1,888時間)とほぼ同じ水準になった。ドイツは1,525時間、フランス1,538時間であった。
日本の年間休日日数は約128日と、比較した5か国中アメリカに次いで少なく、所定内労働時間は1,786時間と多くなっている。一方、イギリスの年間休日日数は137日と比較的多く、所定内労働時間は1,758時間。ドイツは休日日数が約143日と最も多い。所定外労働時間は、アメリカが218時間と最も長く、日本は189時間、イギリスは130時間となっている」

 「所定外労働時間は、アメリカが218時間と最も長」いと言っても、所定内労働時間との差を見ると、17時間日本の労働時間の方が長い。また日本の美しい歴史・伝統・文化となっている悪名高いサービス残業は、上記冷泉氏の文章から判断しても分かるようにアメリカには存在しないようだから、数字には表れていない時間も考慮しなければならない。

 比較年度は異なるが、年次有給休暇の比較を見ると、
        
 日 本(2004) 8.5
 米 国(1997) 13.1
 英 国(2001) 25.0
 ドイツ(1996) 31.2
 仏 国(1992) 25.0

 年次有給休暇は「日本は最高20日間で消化率が50~60%前後しかなく、年平均9日間かそこら未消化のまま切捨てらる状況にあるが、欧州諸国は消化率は100%の完全消化となっている」とする解説もある。

 残業時間が長いということは、それだけ一生懸命働いているイメージが強いのだが、ブルーカラー、ホワイトカラー共にアメリカと比較した場合、日本人労働者の生産性は一般的に低い水準で推移している。この逆説は何を意味するのだろうか。また、賃金にしても購買力平価計算で比較した場合、日本を100とすると、ドイツの労働者は161、アメリカ、イギリスは133、フランスは124だとする2004年のデータがある。

 全体を纏めてみると、日本の労働者は欧米各国と比べて労働時間が長い上に休日が少なく、賃金は低くて仕事の効率が悪いという姿を取っていることになる。住宅事情にしてもアメリカに次いで世界第2位の経済大国だから、アメリカに次ぐ住宅環境を確保していていいはずだが、1人あたりの床面積は欧米先進国の中で最下位に位置しているということである。

 ウサギ小屋といったふうに表現される日本の住宅の狭さは国土の広さと関係しているという主張があるが、建物を上に伸ばす時代なのだから、実際に豊かであれば、それなりの住宅面積を確保できるはずである。

 これらをどう見るかである。社会にしても国の姿にしても、それぞれの日本人の意識の総体的な働きによって形作られる。勿論その意識には外国の文化や制度・思想からの影響も含まれているが、日本人の意識に取り込まれた形で発露される。日本の労働形態にしても、日本人の意識によってつくり出されているはずである。

例えば小泉首相は様々な官組織・制度に市場原理、あるいは民間の競争原理を持ち込もうとし、実行に移していった。国民と言う名の日本人がそれを受け入れる素地があったから、実行に移せた。例えそれが傍観という名の受け入れであったとしても。受け入れる素地がなかったなら、小泉首相は拒絶されて、5年も首相を務めることはできなかっただろう。結果として小泉構造改革は格差社会という副産物をつくり出したが、日本人全体でつくり出した格差社会とも言える。

 先ず残業は労働者にとっては賃金の上乗せを図り、収入を増やす効用を持つが、企業にとっては元々賃金を低く抑えていることに加えて、残業を低賃金維持の装置としての効用を持たせていることからの多用であろう。労働時間を少なくして生産に間に合うだけの新たな人員の確保となると、残業なら25%アップ、休日出勤は50%アップの人件費増で済むこところを、やれ社員教育だ、住宅手当だ、通勤手当だ、厚生年金の半額負担だ、6ヶ月勤務すれば年次有給休暇も与えなければならない、定期昇給の人数も増えて昇給額の総額を押し上げる。そういった新規採用した場合の人員にかかる余分なコストが製品コストに撥ね返って、国際競争力を失う。それらすべてを残業を増やすことで抑える。

 もし社員・従業員の類が生活していく上で十分だと思える賃金を得ていたら、誰も残業を喜んではしないだろう。基本給のみでは少ないから、残業をせざるを得ない。車のローンを組むにも住宅ローンを組むにも年2回のボーナスだけではなく、それぞれが平均して得ている残業手当を組み入れるのが一般的となっている。バブルが弾けて残業が消え失せると、ローンが払えないとたちまち悲鳴を上げることとなった。現在景気がよくなって残業が増えているようだから、再び残業手当を当て込んだローンの作成となるに違いない。

 つまり残業で労使の利害は見事に一致を見ている。但し、その利害の一致たるや低賃金を基本とし、その上に築かれた暗黙の合意事項である。この構図は低賃金に抑えているのは使用者側の意向によるものだから、使用者側からの一方向的な指示による労働者側の受容(=従属)という上に従う権威主義的な形を取った残業構造であろう。残業が半強制的であることにも、権威主義性を感じ取ることができる。

 日本人に於ける人間関係のルールを成す権威主義的な関係性は年次有給休暇の消化率の低さにも如実に現れている。有給休暇制度は労働者の権利として与えられるものだが、それを有効に使えずに捨てていく。これは権利意識の低さの現れであろう。休みをとって会社に仕事の上で迷惑をかけるのではないかとか、会社の評価を悪くして昇進に悪影響を与えるのではないかと恐れて自らの権利を抑え、積極的な有効活用ができない。

 権利の行使は人間関係の態様に深く関わっている。独裁者に対して国民はよりよく権利を行使し得ない。キム・ジョンイル独裁体制下で北朝鮮国民はどのような権利も行使できない抑圧状態にあるに違いない。

 つまり、ここで殊更言うまでもないことだが、法律によって保障されたそれぞれの権利の十全な行使は対等な人間関係を条件として初めて成り立つ。一方が権力的であると、他方は権利の抑制を強いられる。

 世界第2位の経済大国でありながら、その地位に反して第3位、第4位の国々よりも賃金を低く抑えられているのは、日本人の権利意識の低さが許していることで、そのような権利意識の低さに対応した賃金の低さであろう。

 断るまでもなくこの構図は日本人が会社を上に置いて上位権威とし、自分たちを会社に従う下の位置に置いて自らの権利意識を抑制していることから発生している。日本人が権威主義を行動様式としていることから当然に導き出される存在様式である。

 このような上に従う下位権威者の姿勢が年季有給休暇に於ける権利行使を満足に行い得ない中後半端な放置によって消化率の低さとなって現れているということだろう。欧州各国の消化率100%とは、まさに十全な権利行使を示している。その十全さは自らの権利意識に従った意思表示としてあるものだろう。

 日本人男性の育児休業取得率の1%にも満たない低さも、与えられている権利をよりよく行使し得ない姿を表しているが、その原因として、育児休暇を取得すると会社での昇進に影響する、育児休暇は女性が取得すれば片付く問題で、男性の育児休暇など考えられない、あるいは妻が専業主婦の場合が多く、男性が育児休暇を取得する必要がない、そういったことが取得率を下げているとしているが、それぞれの原因すべてに日本人の権威主義性が絡んでいる。

 権利の行使は自発的意志行為でもある。「昇進に影響」は与えられた権利に示すべき自己の意志よりも会社の意向(=意志)を主とし、自己意志を従として非自発の状態に置く、上に従う権威主義性の一つの現れであり、「育児休暇は女性が取得すれば片付く」は男を上に置き、女性を下に置いた育児を女性だけに押し付ける権威主義からの考えであり、「妻が専業主婦」だとしても、やはり育児・家事は女と決め付けている役割の固定が男の側からの平等放棄によるもので、そこには自分を上に置く権威主義が関わっている。

 以上見てきたように日本の労働形態は日本人の意識=行動様式となっている権威主義性の制約を受けて現在の姿を取っている。日本人の権威主義性は封建時代の昔から歴史・伝統・文化として受け継いできているものだから、現在の姿も過去を受け継いだ現在の姿としてあるものだろう。

 上が下を従わせる上からの抑圧と下が上に従う形式の自己抑圧の二重の権利意識の抑圧が日本の歴史・伝統・文化としてあるものだと考えると、戦前の軍部・政治権力の戦争に於ける兵士の命・国民の命を粗末に扱った人権意識の皆無状態も理解できるし、兵士・国民も国に言いなりに従って自分から自分の命を粗末に扱った自己権利意識の欠如(=自己抑圧)も十分に理解できる。

上下双方の権利意識の低さ、特に下の者の権利意識の自己抑圧が日本を劣る社会・貧しい社会としている。豊かな国の貧しい国民と評される所以がここにある。国の豊かさが表面にとどまって、大部分の国民にまで届いていないことを示すものである。

 国の豊かさが表面にとどまっていること自体も、実質的にはその豊かさが見せ掛けでしかないことを物語るもので、劣る国・貧しい国が実際の正体と言える。

 安倍首相は日本人が自らの手でつくったのではない、外国人がつくった日本国憲法を日本及び日本人はこれまで金科玉条としてきたが、「やっと裸の王様だったと言えるようになった」という表現で、日本国憲法が金科玉条でも何でもないと言えるようになった、当然日本人自らの手でつくり直すべきだとの文脈で憲法改正を主張しているが、日本という国自体が世界に対して見せ掛けの豊かさを誇っているだけの〝裸の王様〟を演じているに過ぎず、そのことに気づいていないということではないだろうか。

コメント (1)
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