花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

札幌は今日は2度C、、   明日も2度C,,,   明後日6度C

2020-02-20 15:23:17 | 70代の日記

 

重たい春に雪が降ったりやんだり、、、

軒先からは暖気で凍った雪が、今にも、、、

ドーンと轟音と共に落下してきそうな2月21日です。

昭和38年、

日本は、戦後の復活期に差し掛かっていました。

昨日は「ま~~だだよ。」の映画を観ながら

「仰げば尊し、、、我が師の恩、、」と

蛍の光、、、

窓の雪、、、

卒業と、進学と、就職の2月末は

各人はてんやわんやの月末でした。

 

私は、小学校6年で疎開地から転校生として

父の生まれ故郷の東京に来たとき、

日本全国共通して、通用するのは

「お勉強、、、だ、、。」と

幼いなりに、見知らぬ土地に転入するのだから

相手側にとって、

「必要な物、力、芸、学門、運動、、」などの

何かが有れば、

仲間になれると、疎開地の先生から「教え」を戴き

確かに、、、そうだ!、、、と、

幼いなりに、転校先は東京なのだ、、、

熊野の山奥の素朴な同級生とは違うはず、、、

 

先生の言う通り、

勉強は武器になるはず,、、と考えて、

来るべき転校の日の為に、

真剣勝負の稽古のように

教科書丸暗記、、、見なくて書けるまで完全に覚えて

緊張の汗の為に痩せる思いで東京入りしました。

幸い、、、

それなりに保護色のカメレオンのように

無難な日々を送りながら、

高校を卒業したのが昭和38年でした。

 

女性が大学に行くのは

9クラスのうちの2クラスぐらいでした。

短大を卒業して、結婚するというのが

穏やかな、家族円満に、

愛される娘のお手本のような時代から

青天の霹靂のように、、、

女性の意識が変わる出来事が有りました。

「皇太子殿下の世紀の恋」のお相手が

「女子大卒の才媛の美智子様」が選ばれたのでした。

 

女の子が、、、大学に行くと言い出しても、、、

親は反対しなくなりました。

昭和の女性文化の改革に何の抵抗もなく、

女性たちは大学に進学するようになりました。

大学卒の主婦も、お母さんも増えましたが

 

日本の社会はやはり、、、男性主軸の社会構造であり、

島国、、、鎖国、、、明治維新、、、北海道、、、第二次世界大戦、、、原子爆弾投下、、、

そし、、、日本民族が、原子爆弾で壊滅する前に

玉音放送がラジオから流れ、

親も、祖父も、地面にひれ伏して「終戦」を受け入れた昭和20年。

 

日本の侍は、世界の人も不思議がる、、、

腹切のできる民族です。

 

玉音放送が無かったら、、、皆、切腹していたかもしれません。

 

原子爆弾は、戦後に現れた、人間を元素にしてしまう爆弾でした。

3月には、皆卒業して、

4月には、、、新人類が入学してきます。

 

「仰げば,、、尊し、、我が師の,、、恩、、、」

卒業式には、今でも、聴こえるのでしょうか?

 

それとも、スマホの時代が

、SNSや、、ラインで結ばれて

先生の座標も平行移動していったのでしょうか?

 

76歳にもうすぐなる私は、

親友をつくる努力をしなかった。

いまだに、ガラケーで、家族にメールをするだけで、、、間に有ってしまう。

 

一か月に2000円代の携帯料金で済んでしまう。

 

息子に用事のある時は、

電話をかけなおしてもらうから、、、無料。

 

井戸端会議もするし、、、お茶しましょうと言われれば

コーヒーも付き合うが、、、

友達になりたいとは思わないから、、、

歳をとる、、、、という事は、、、コワイね(^^!

 

私が死んだら、、、息子が骨を拾ってくれるだろうし、、、

呆ければ、施設に入れてくれるだろうし、、、

 

友人が、、、仮に居たとしても、、、

相手も明日がわからない婆さんでしょう?

 

ひところ、、、

医師の妻は「お金持ち」と、、、勘違いされて

豪華客船の、説明会に誘われて、

「中を拝見させていただくぶんには、、、1000円払えば良いわけだから」と

「日本丸」や、「飛鳥」を

小樽の港まで見学に行ったりしました。

串本の防空壕で生まれた私は、、、セレブの雰囲気の欠片も無いが、、、

海は好き!、、、船も大好き!

青函連絡船で、、、北海道に嫁いできたのですから、、、

横浜の帆船の日本丸という訓練船の

真鍮で出来た船の階段を、、、ピカピカに磨きに行って

美しい帆船に恋心が湧いたことが在りますよ(^^

その結果、、、

利尻島に

日本丸が行くという

短期間の10万円の旅行が妥当なので

主人と、、、

豪華客船に乗り込みました。

私なりに、、、おしゃれなスカーフなど、襟元を意識して、

夕食に、主人と、高級感を楽しもうかな?。。。と

主人は休みがほとんどもらえなくて、

土日もつぶれるという時代だっただけに

勤務でくたくたの所、、、私の頼みを聴いてくれました。

一度でいいから、、、豪華客船を体験しましょう!、、、

利尻島なら興味があると、、、主人はOKした。

手段は飛行機でも、船でもいい、、、という。

出逢ったときから、泥臭い真面目な、、、

面白くない、、、働き蜂さん外科医であったが

仕事上なら、豪華なホテルに学会や会議で行っているはずである。

ここらへんで、、、奥さんにも、

もうすぐ、、、雪かきさせるお礼が有ったっていいはずでショウ。

主人は、、、利尻に興味があることだけは、、、たしかである。

日本丸に乗ったというのに、、

部屋から出てこないで、、、爆睡、、、爆睡、、、

ひたすら、、、寝ているのです。

楽しいはずのイベントにも、、、出てこないで、、、

爆睡している。

空しく、、、ドレスアップして、、、

一人で、夕食に向かう私、、、

バカみたいです。

旦那が寝ていても、、、

仕方がないから、一人で

イベントに参加して

劇場の舞台を楽しみながら、

テラスで、海を視て過ごしました。

次の日の夕食時には、「食べたくない、、、」と

部屋から出てこないのです、、、

一人で夕食をしながら、、、

サービスに来た船の職員に

「こんなに、、、美味しいのに、、、昨日も、今日も、、、部屋から出てこないのですよ、、、」

「お仕事で疲れてるのかもしれませんね、、、

残念ですね、、、

そうですね、、、

私が後で

ワゴンに乗せて、

御主人にルームサービスしますから、、、ご安心ください。。。

「せっかくの船旅ですから」、、、食事位は楽しんでいただかなくてはネ、、、」

申し訳ない旅になりましたが、

船室にルームサービスをしてくださいました。

 

もう主人の事を忘れて、私は、一人で参加したつもりで、

船の売店や、

レストランや、

イベントに参加して、

インスタントに友人になった船上だけの奥さん方と

テラスでおしゃべりしたり

それなりに、、、時を充実して過ごしました。

 

利尻島に渡るボートに、、、主人は乗れるかしら?と

心配していると、

遊園地のジエットコースター並みに揺れるボートに乗移ったころから

主人はパッチリと、、

、細い目を全開大にして、、、

ニコニコ、、、楽しみ始めたのです!

利尻島に到着すると、、、

元気!元気!、、、

島の土着の夫婦が出している店で

あれこれ、、、頼んでは、、、

美味い!利尻の味だ!、、とか言いながら、、、

私の分まで頼んで、、、

「食べろよ!、、、美味いよ!」

、、、、、、

沼の所に差し掛かると、

写真をパチパチ、、、

やはり、、、野におけ、、、レンゲソウ、、、

 

豪華客船は性分に合わない、、、

野球の好きな主人の性分は山野の方が向いている。

「利尻に来たら、、、昆布だろう!、、、」

息子夫婦にも昆布を買って、、、

孫には利尻のお土産店で、、、

絵はがきやキーホルダーを買って、、、

大揺れに揺れるボートで、日本丸に向かうときは、、、上機嫌!

船に着くと、、、爆睡!

 

このサイトに、、、フォロウさしていただいている写真の素敵なブログが有ります。

「回想写真」の、、、写真の中に

「弓ケ浜の朝日が昇ってくる朝焼けの山と海の写真」が拝見できます。

 

回想の写真からは、、、

御夫婦か、

恋人たちの朝日が

音楽のように聞こえてきます。

日常を忘れる天地の神様を感じる朝焼けです。

 

70歳を超えた豪華客船の

北海道沿岸の旅は、

夫婦の回想写真になるはずでしたが、、、

    (**

今までと変わらない、、、リュックを背負った主人が、、、

登山靴を履いて、、、

嬉しそうに案内看板を視ている写真しか、、、撮ってきませんでした。

利尻島は素晴らしくって、、、

日本丸だから、到達できたのだと思いました。

以前、稚内まで行っていながら、

船が出せなかった事が有りました。

 

日本丸は、利尻の至近距離から、ボートで利尻島に到着しました。

島人の太鼓が迎えてくれて、、、利尻富士が見えて、、、

何よりも、横付けされた日本丸の豪華な船の全体に見とれて

主人は、何枚も写真を撮っては、、、

「あんたも、、、船と一緒に撮るから、、、僕も撮ってよ!」

主人は利尻に降り立ってから、、、がぜん、、、!

エンジンがかかってきました。

写真は船の中は、、、

寝てばかりいた主人なので、撮影は出来ませんでしたが

昭和、平成と、国民とともに過ごしてくださった両陛下も

お二人で、いらっしゃった利尻島の写真が、

新聞に掲載された時、

私たち夫婦の旅としても、、、最高の思い出になった利尻島上陸でした。

日本丸!、、、ありがとう、、、

台風がそれる北海道とはいえ、、、

台風シーズンに利尻に到着できた日本丸の雄姿は

豪華そのものでした。、、、

10万円の旅とは思えないほどの感動の利尻上陸の豪華さでした。

あの日を最後に夫婦の旅行はありませんが、

一生に一度ぐらいは、、、豪華客船で

北海道一周するのも、最高の「回想録」になりますよね。

利尻にいらした昭和、平成と

国民とともに過ごしてくださった

両陛下の

北海道におこしになられたことを大切に思う記念の石碑があるのですよ!

サロマ湖の所にもあるのです。

 

歳をとった夫婦が、、、船旅をする気持ちって、、、わかる様な気がします。

日本の歴史と出逢えるのですから、、、若返りますよ。

今は、、、ピークなので、、、待つしかありませんが、、、

今度のウイルスの問題を、前向きにとらえて、

病院のように、

「空気滅菌のシステムの部屋」をいくつか造るようにして

日本の船旅を廃れさせないように、、、塞翁が馬となるように、

「船の感染症対策室」を設置してはどうなのでしょうかね!

海上から空気を吸いこんで、ウイルス駆除メッシュの換気システムで、

海上に高速で、高温を通過させて、排気するのですよ、、、。

滅菌室が作動するようにしておけば、

今回の事件は前向きに考えられるのと違うのですかね~~~!

このまま、、、ウイルスに、人間は負けたくはないと思うのです。

 

海外からも、

日本一周の船旅が、

廃れないように

日本に来たい老夫婦は

イッパイ居るはずだと思いますよね。

 

我が家の主人とだけは、、、

二度と一緒に豪華客船は乗る気がしませんがネ、、、

 

寝てばかりいる人は、、、

貨物船に乗せてもらっても、、、同じですよね。

私は、、、利尻島に、日本丸で、行けたことを

たからものの旅だったと思っています。

今回の船の旅の方々には

心より、、、哀悼の意と、健康に向かわれることを祈ってやみませんが

ウイルスとは、、、戦う方法があるはずだと、、、思えてなりません。

雪かきが、、、少しでも暇が出来ると、、、新聞を隅から隅まで読んでは

いろいろな考えが浮かんできます。

今回の事件が少しでも挽回できるように

豪華客船の夢を、、、!

豪華客船が、、、立ち直る設備の改善を祈りながら、

ウイルスに、、、負けない、、、人間社会で有りたいと願っています。

 

 

 

 


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