花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

協力と支配とコラボレーションの間

2008-10-13 05:47:46 | Weblog
    歴史を振り返ると、
    人間の「欲と本能」といわゆる「煩悩」の狭間で
    戦争が繰り返され、
    地球は傷つき、
    人は「愛」を失い、
    「心で動いていた日常は
    「ルール」「法律」と「国家権力」「宗教」が、
    パネル構造の建物のように、
    「方向の異なる力」や「感情のベクトル」で
    微妙に均衡を保ちながら、
    揺れている。

    各方向へ引っ張られて
    それなりに緊張状態で建っている

    建物と建物の空間は
    オイルの川が流れ、
    外貨のボートが行き来する。

    耕し働いて汗を流すことを忘れ、
    マネーゲームと
    キーボードを連打する音が
    日向ぼっこを忘れ、
    足ることを忘れ、
    人間同士の信頼関係さえ
    逆手の取って金に換えようとする時代。

         欲張りな主張時代!

    世界は人間が創るなんてうぬぼれでしょう。
    地球という「生命体」に
    「蔓延った街」が
    「調和を崩して」、
    協力も協調も、
    コラボレーションの原則を忘れて、

    「支配」「欲」が優先して

    一触即発の
    「緊張状態の共存」となって、
    恐慌の波がやってくる。

    小さいながらも、
    人は天使のように
    「裸で生まれ」「裸で死ぬ」。

    その確率は消費税のような5パーセントではありません。

    あなたも、私も実に100パーセントの確率で死ぬのです。

    急いで、戦争を起こして死に急ぐことはありません。

    「宇宙でも稀有なる美しい地球」を
    みんなで大切に愛でて、
    「地球と共存」さしていただくつもりで、
    世界が協力して
    平和な日々を送り、
    人生の「ゆっくりと流れる時間を楽しみ」
    
    「健康な心」で、「健康な体」で、
    植物が葉を落として、来年の芽を温め、
    立ち枯れても
    雪から次の世代を守り、
    春には朽ちて、
    栄養となり、土に還る。

    毅然と育ちゆく樹のように、
    一千年単位の目で考えて、
    健康な
    「人類リレー」の「バトン」を
   「駅伝のように」つなげてゆけば

    世界の旗で作り上げた
    パッチワークのお布団に心を休ませ
    「幸せが、エビデンスを飛び越して」、
    心のぬくもりを運んで来てくれるでしょう!

    100パーセント死んでゆき入れ替わる人類!
    御金、洋服、お屋敷、名誉、地位、贅沢な品など、、、、etc.

    持って死ねないのです!!!!!

*********「命って何?」********

命に隣り合わせの「病院」と「医療」
洋服を着る前に身につける「健康」を守る医師と医療スタッフ。


    患者さんは医師を信頼し、
    病院事務は医師をサポートします。
    健康であることが、「一番の宝もの」です。

    患者さんは、ネットで半生(はんなま)の知識を得ます。

    しかし、医療は「経験の学問」です。
    ネットの知識の様に事実はゆきません。

    国家試験で医師となり、
    そこから医療の勉強が始まります。

医師になるのも大変ですが、
医師を続けるためには、
オリンピック選手のようなサポートが縁の下に必要です。
家族であり、地域であり、患者様はもちろん!
現場をよく知った政治でもあります。

    二人として、同じ条件の居ない人間。
    心が絡み、合併症が絡み、危険と背中合わせの手術。
    研修医は先輩の指導の先生の寿命を縮めながら
    一人前に育ってゆきます。

    合併症や、年齢や、状況が死と隣り合わせの、
    一見元気な患者さん!!!!!!。
    治癒そのものが「運」。
    そのようなときでも、一昔前の医師はオペを引き受けた。

    ところが、現在はどうだろう!
    訴訟が頻繁で、診療時間を割いて、素人の弁護士に、
    医学用語の翻訳からレポートを求められ、医師の仕事は増えまくり
    当然、「医師は少なくなる。」

    治って当たり前!「金を払っているんだから!」
    治らなければ「訴訟!」

    外科医も産婦人科医も小児科も、
    信頼と、感謝の失われた状況で、
    合併症や、免疫力の低下や、
    副作用や「年齢という治らない病気?」と最前線で闘う。

    心血注いで闘った医師たちが、

    結果しか見ない「訴訟!」
   「信頼関係を喪失」して
    一方的に責任を押し付けてくる。

    誰かのせいにしないと生きてゆけない
    パニックの患者家族。

    「患者様」という、「客」という勘違い!。
    「患者様」の病気は患者さまが主役で、
     医師が一緒に
    「病気と闘う協力者」であり、
    
    患者さま自身が自分の免疫や、努力で直さねば治らないという
    原則を忘れて、
    医師に全面依存してくると、

    「治って当たり前」という発想となるのではないでしょうか?

    

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