花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

昭和44年からの49年間の民間の知的見解の発展を感じながら

2017-11-01 07:36:24 | Weblog

 

昭和44年、ふとしたきっかけで

札幌に住み着いたとき、

主人は「奨学金を抱え、親の仕送りもストップして

おまけに青医連の学生運動で

クラス全体が国家試験ボイコットの時であり

日雇い賃金並のアルバイトで日々をようやく過ごしているという

国立医学部の卒業生としては

かって経験した事のない境遇の

青白き放心状態の主人と出逢ってしまった。

先輩の結婚式に新婦側の代表挨拶を頼まれて

全て招待条件の恵まれた北海道入りを思い出すのです。

主人は「医師になるより、医師をする事のエネルギー確保が出来ていない」

そのような状態だった。

セドリックを、親のお金で乗り回し、

私立医科大学に行っていた兄の姿と重なった、

その後、国家試験医受かって一年、父が死んだとき

兄はノイローゼのように萎縮した。

父を失った弟は、骨太のダイナミックな頼もしい男に変貌して

国立大学の一期校に合格した。

我が家も、決して楽な状態ではなかった。

目の前の、(後の主人になった、、、)消えそうな青白きインテリの

医学部大学院に籍を置いたという、、、

奨学金まみれの

「医師の卵からかえったばかりの医師のヒナ」は

国家試験ボイコットのクラスの友人と同調したのか?

免許が無くては、、、仕送りもストップでは、、、自分で歩けないような、環境の中

医師にしがみついても、大学院で勉強を続けていた。

私の育った境遇からは想像できない、登山人生に見えた。

遭難しそうな、、、前に進むしかない、、、大学院生だった。

東京大学の薬理学教室に勤めていた私は

主人が、東大の三人男と言われて

医学の世界では知る人ぞ知る心臓外科の教授の

教室員であることを聞かされた。

それを知った以上、路上にぶっ倒れそうな主人を

そのまま置き去るわけにもいかず、

看病の手を差し伸べたのが、

始まりだった。

「東京に、教授が退官して帰るときに、自分も東京に帰り

あんたのお父さんが残した外科の施設を引き継ぐカラ。」

私の母に、主人は直接談判した。

54歳で過労死した父に代わって、

外科医が、若くなって、帰って来てくれる、、、、と

母は、東京で、医科大学の医局に入りなおせば、良いと、思ったと言った。

私は勤務をやめて、

ホンの2~3年の北海道生活も悪くないと割り切って、

50代で未亡人になった母の為にも、

外科の看板を下ろさないで済むならと、

付き合ったことも無いままに、結婚することになった。

文金高島田を結う気持ちにはなれなかった、

大学卒業の時に着た半振袖を

ウエディングドレスの髪型も結いなおさないで、そのまま着替えて、

「これは、、仕事だ」と思っていた。

愛情が芽生えるかどうかも解らない、、、

外科医の卵と結婚した。

北大は、私の卒業した高校の同級生も進学していた。

北大の医学部には胸部外科がありました。

東京女子医大の榊原先生と、3人の教授がマスコミでも何回も掲載されていた

三人教授と言われる二人目の杉江教授が赴任しておられた。

 

東大の医学部の薬理に勤めていたという事もあり、

東京でも、何度か、ご高名は、マスコミで知っていました。

杉江先生の奥様は、何かと、労わって下さり、

お葉書や、お手紙で、北海道になれていない私にやさしくしてくださいました。

 

学会にいらっしゃるときは、先生の身の回りのお世話をしながら

威厳のある、一心同体の、地味なお姿は威厳がおありでした。

主人も、先生にお会いした時に、

大きな魅力に、人世ごと吸い込まれて言ったそうです。

帝王学と言ったらよいのでしょうか、、オーラーがあったと、、、

初対面の緊張のひと時を、思い出話として

聞かせてくれます。、

先生側から何も申されなくても、

あの、、、大名行列は、学びたいという一心で、

教授の後にくっついて、

一人前の医師になるための、

自己学習と、研究と、患者さんに接するすべてを、学びたくて

大名行列にくっついて学び取ろうとするその結果を

山崎豊子さんは、一般からの資料の視点で

一世風靡した「白い巨塔」を書かれました。

医師の卵の主人からすれば

心外な、現場を知らない外野の物見遊山なところもあると

笑っていました、、が、、、。

現実の、、、免許をとってからの現場は悲壮でした。

教科書で習ったことが、、、役に立たない「

一人一人の患者さんの条件が、、、全部違っている、、、。、

主人の必死の戦いの中には

マスコミで揶揄される「御意」の行列というよりは

尊敬から、惚れ込んでしまった師匠に、唯一学べるチャンスが

大名行列になってしまっていた時代であった。

来る日も来る日も、先輩方の執刀する手術の患部を、こー引きすることで

執刀医は、器具で固定された患部の切除に瞬間の全力をかけるから、

コーを引いて患部を確保している主人には、

手術そのものが見えない位置で、ひたすら筋肉運動を’~続けていたそうです。

肩の筋肉が動かなくなるまで、頑張っているという、若き時代には、

執刀医はじめ教授は雲の上の人であった。

技術や、学門の差は、どうする事も出来ない上下に分かれてしまうのが現実でした。

外科は一人ではできない科であるから、

チームワークが、患者さんの命を左右すると、言いながら、

執刀できない時も、イメージとれーにんぐするから、

風呂もない17000円のアパートの結婚生活は

ドコモココも、糸結びの練習で、糸暖簾がぶら下がっていました。

実家はタイルの風呂が2つありました。結婚生活は、、、銭湯でした。

3時ごろ、、誰も居ない頃に、、、烏の行水よろしく、、、

近所の人に出逢わないように、風呂に行ったものでした。

冬は小さな室内タンクに、石油を、毎日入れないと

断熱材の入っていないきちんAPは、部屋の中の水が凍りました。

大きな科であるため、手術に入れて、助手をさせてもらえるときは

上機嫌で、出かけて、手術の後も

術後を担当して

むさぼるように医術の習得に向かうため

何日も、帰ってきませんでした。

教授が執刀された患者さんへの回診が始まるときは

せめて、術後の回診の教授の患者さんへの質問とか、触診とか、、、

学べるものは、床にひれ伏しても学ぼうと

先輩たちの後ろから、つま先立ちで、

大名行列に加わっていたのが現実だったと、

主人は、

「山崎豊子の、白い巨塔を読みながら、、、苦笑いしていた、」

いいよな~~小説家は、外側から、特殊な医師の特殊な行動として

民間に、医師でもない自分が、医師以上の視点で、

解ったようなことを書くからね。

心臓外科の医師として、何かを学ばねば

手術室で、、、患者さんが亡くなったら、、、と、、考えると

行列の末尾にでも、必死でついてゆくだろう!

学ぶという事は、、、、山崎豊子は体験しないで、外から観察しているよね。

そりゃ~~~滑稽だろうね。

おかしいさね、、、

。。。絶句だよ、、、説明したり、、、弁明もしたくないよ、、、

一生懸命やる姿が、外から見ると、

教授が大名の権力者に見える時代であった。

TV教育もないし、マンツウマン、、、だからね。

杉江先生という教授は、

医局員の話を実に良く聞いてくださる先生だったと、、

懐かしそうに、振り返る。

聞いて聞いて、、、、くださったと、、、

結論を多角的な高度な判断で一言おっしゃる、、、。」

男の中の男のマナーに、

主人は、畏れ多くて、

未熟な自分は質問さえできなかったと、振り返る。

 

東京大学の薬理に勤めていて気が付いたことは、

臨床の病棟の著名な内科医局の先生が

薬理的な基礎の分野である科学データーを実験しに薬理教室に来られ、、

私たちが、実験手技のお手伝いをしていたことです。

東大の考え方は、

免疫抑制剤が効果があると証明されてからでなくては

臨床的な手術は、手術は成功しても、患者が死んでは

医療にならないと、言う、。

この時代から、「基礎と臨床がコラボレーションしている」

そのような、職場で、

こんにちは当たり前になっているヨウ素の同位元素をくっつけた薬品で

体内動態を追跡するという

シンチグラムなどの、助手をさせていただきながら、

お化けの巣に迷い込んだ凡人の私でした。

 

その東大からおいでになった教授に

魂を奪われる惚れようで、

青ひょうたんになりながら、医学にへばりついてゆく

凡人以上、秀才未満の。

二男がゆえに、貧乏のぞん底の家なし。車も免許もない、苦学生に

藁をもすがる状態の時代の主人の、藁になってしまった結婚でした。

 

医学の為に、初恋の、芸大卒の伝統工芸士の恋をあきらめ、

同じ外科医の父親に育てられた、医療界の薬剤師を直感で選んだ主人。

医師を続けるための、医療の環境で育った薬剤師が

足場となる家庭には適当な人材と判断しただけの

一方的な都合のアプローチが、母のニーズと一致したという

恋だの愛だのと、甘い事の抜きの世界が

医師を続ける、、、病院を持続させてゆく、、、登山の相棒として出発しました。

藁であった自分に気が付くとき、

医師というのは、愛も無ければ、恋もない、、、医師を続けられる条件の

心丈夫な、ガスタンク並みの女性を、

相棒に選ぶのだと気が付いたときには

無給医時代に、次男ゆえに、財産もない医師が

医学という巨峰に向かって学問するという大学院を続けながら

一人前の外科医に育つためには、

医学には「愛」は邪魔かもしれないと、、、、納得があった。

HBCーRで、「ママと赤ちゃん」という番組を担当させていただき、

まだ小さい息子を連れて、番組のシナリオの編集に出かけては、

アルバイトに明け暮れた無給医時代でした。

東京の実家の生活を、「いずみ」に書いたりして

時には、現実の生活とは程遠い、、、

3代のピアノがあった母の未亡人時代を

母が自力で買ったグランドピアノを見て、、、

戦後は終わったと、、、感じたものでした。

北海道は、、、まだまだ、、、私たちを含めて、、、貧しかった。

主事とは、仕事として接していたから、、、、臨機応変に日々を過ごした。

私の愛情は、「子供の未来の育児の方に向かっていた。」

結婚三年目の昭和47年に

第25回日本胸部外科学会を主催された

杉江先生の威厳のある実力を目の当たりにして、

一般開業の私の実家で、外科医をするのは、

年をとってからでも遅くないと、ごく自然に心が変わり、

東京へ帰るより、

日進月歩の医局で、腕を磨きたいと考えが変わりました。

心は母校の北大で

インタナショナルなレベルの中に居られる若さを、いとおしく、

自己愛というのか、身の程知らずというのか、、、

天才のいっぱいいる医局に還っていったのでした。

 

家も、子供も、家内も、、、、藁に止まったトンボの様に

目玉をクルクル回しながら、

「名誉や栄光の為ではない、ボーイズ ビ アンビシャス」に洗脳されたかのような

天性の夢の中で浮遊したい、、、それで人生が過ぎるなら本望,、、という

愛だの恋だのの通用しない、、、

自分の夢のカラの中に吸い込まれてゆきました。

 

平たく言えば、、、家庭は捨てられた状態だけれど、、、

無くてはならない、主人の足場と化したわけです。

母は待ても待っても来ない娘の婿さんに

、、、嘘をついたと、、思ったでしょうか?

それとも、、、学閥という、見えないしきたりを、、、理解したでしょうか?

医者の家庭に育ち、医師の兄と医師の弟を持ち、

従妹も、甥っ子も、

医者だらけ、、、という、

「己が夢に没頭する」こうした医師が

他人だったら「魅力の塊の面白い人」であろうと想像するが。

同居すると、相棒はどんな目に合うか、、、

わかっているだけに、、、自分は自分で、マイペースで生きようと、考えた。

出逢うべくして、、、出逢ってしまった、、、

「自分だけの世界しかない主人」を

遠く、、遠く、、、送り出しながら、

空蝉のごとく疲れ切って帰宅する

「普通の家庭の御主人とは別物?」のような、

居候のような主人との人生の相棒を、

全うすることになりました。

お金では動かない人たちの集まり、。。。(==!

家庭の幸せや、私欲より、

患者さんたちの病気の回復や、

日進月歩の医療学門に、

人世の時間を捧げてしまった、

「科学の信者」たちのように、、砂のような、、手ごたえの家庭。

かって、、、

免疫抑制剤の効力の証明できない団塊で

心臓移植をした、アメリカ帰りの某教授が、

北海道の心臓移植手術そのものに

ストップの、、、待ったをかけて、過ぎて行った年月、、、。

家庭を足場に、

医療の未来に捧げる命と、

医療の神様に連れて行かれた

医学の兵士。

 

長い間、北海道では「心臓移植手術」をする医師はいなかった。

今年は、とうとう、、、

世界の凄腕の移植の経験豊富なドクターが

北海道にやって来た。

長かった、、、この空洞を埋める天才外科医が北大で育っていた、

教授になる事など考えても居ないのに

亜米利加帰りの心臓の臨床現場にいたドクターも、

助教授に選ばれたのも断って、

後輩に、名誉の席を空けたまま

未来の心臓移植手術の再来を信じて、

若手の心ある後輩に、アメリカで取得した臨床技術を

惜しげなく体験の場の指導に入り、その実力で、牽引していった。

その先生が支える意義の大きさに気が付き、

未来の、いつか必ず現れる

北海道で、出来る移植手術の未来の天才の為に

若者たちが立てるように

主人も、実力あるDr,が前に進めるように

チームワークに徹して

未来の、臨床と、基礎研修のコラボレーションのある移植手術を

夢見ながら、

チームを「一つの生き物」のように認識しながら

グラウンドローラー曳でも、

道具揃えでも、

選手の応援医でも、

学会の後輩の発表を聴きに、応援になるならと、席を温める。

この日を夢見て、自分たちが、、今出来ることを、、前に前に、、。

ひたすら、頑張って、心は一丸となっていた。

見えない糸でつながっているのが、凄かった。

家庭も、子供たちの事も、

いつ大きくなったのか、、気が付いているのだろうか?

、自分たちの夢の実現のためには忘れていることが多かった。

それほどに、、、

医学に帰依してしまっている一信者?

足場の役割で、

医局に還っていったとき、

医局長をしながら、自分の研究を忘れて、

若き優秀な後輩に、医学の時間を回せるのは

自分だけだと、、、雑用に明け暮れながら、

家庭から見ると、、仕方のない存在だった。

今日のように、

本当に、世界に認められた

心臓の移植の出来るスパードクターが

現実にそだっつとは、信じていても、現実にならねば

解らなかった感動でした。

私は外野で、

主人に文句ばかり言っていた、

バカな家内でしたが

杉江先生以来の45年ぶりの会が開催された。

北海道に、北大に、世界の高い評価を伴って

第70回の日本胸部外科学会定期学術集会が開催された。

クラーク先生の映った表紙の抄録を

主人が見せてくれた時

、夢を実現させた同門の結束が

北大を再び胸部外科の牽引する医局として

甦らせたのだと、、、若き天才ドクターの生まれていたことを

北大の底力だと思いました。

 

どんな大使も、外交官も、

世界を医学で繫げた、北大が主催した今年の会には

世界から注目の外人医師の参加が、

北海道の心臓移植を高く評価していた、、、と、思った。

、教授の国際親善にも、

結果としてなっている現実を

拍手を持って、称賛するでしょうね。

 

医師はお金では動かない。

権力や、名誉が目的では動かない人たちであるから、

結果として、名誉がついてくる。

その、名誉や、若手から押し上げられた、、、権力に見える姿は

小説や、TVで、面白おかしく揶揄されているが、

医師の皆は、怒らないで、

腹を抱えて、笑って番組を観ているから不思議である。」

私的には、、、よくもこれほど、医師達をバカにして、、、

「御意」とか、、「私間違えませんので、、」とか

医療集団の「命の戦いの陰には、、はたから見ると理解できない事もあると、、、」

悔しくなるのを、笑いで消しています。

あのTV、、、最新の医学の手術がテーマになりますよね。

だから、、、許せるのかな?笑えるのかな?、、、だいもんさん!

 

お金をとっているように見える職業であろうが、

学門は大食いである、

宝石や、貴金属やブランドのバックなど、、、

ぜいたく品にロンダリングされたお金は痕跡が残る。

しかし、、、勤務医の少しばかり、、、ちょっと高めの報酬は

医師達の業界を充実させるイベント代となって

学門の世界にロンダリングしてゆくから、

イベントが終わると、、、膨大な片づける資料として倉庫に積み上げられる。

つまり、、後輩の為の引用文献となって姿を消す。

学門に費やされたお金は

何年か後に、日本の医学の実力として

世界の評価を受ける。

 

華が咲いている会期が一週間で過ぎたとしても、

その時、世界の博士が集まるから、、、

撒かれた種は

若き医師達に道しるべとなり、

金でも、名誉でもない、、、選ばれた頭脳が育ってゆき

日本のステータスを表現してゆく。

同門のチームの結束で、足場をさせていただいた年寄り組も

自分たちの生きて来たことが、後輩の応援になればと、、

意義を感じて、

感動の会期を参加者として過ごしていた。

あんなに稼いだはずの、、、月給も、

宵越しのお金を持っているようでは

チームについてゆけない。

「医者の奥さんて、、良いんでしょう?」。。と

物見遊山的に、取材に来る暇人も

ことごとく実態を知ると、、、

奥さんは愛されていないね、

旦那からは、、、持てていないね、

背の大きな女は、

男に持てないから、

家を守る番犬にさせられてるんだね。。。

ロクな事を言わないのは、、、ジャンルの違う、、商売っ気の強いPさん。

次から次えと、お金を使う話を持ってくるのはQさん。

断っても断っても、、、そんなお金はありません!!というのに

豪華客船の世界一周旅行。

不動産屋さんの奥さんは、今年もオセアニアに出発するという。

奥さんや、こどもや家庭にかまっていたら、

主人は生き残っていなかったと思います。

 

3つの学会から「心臓血管外科名誉専門医」の称号をいただき

むかしは「心臓手術を執刀」していた主人も、

今は、額縁の中で称号ばかりが若き日を思い出させます。

 

医学の世界は。小さな胃カメラでも、

日進月歩で、新しいバージョンをたえず備えていた我が実家も

とうとう閉院しました。

兄は国立がんセンターの崎田先生のもとで

胃カメラの指導医を認可されて、

母が亡くなると、開業を閉院して、勤務医として飛び立ってゆきました。

もし、、、主人が、実家の外科を担当して、サザエさんの

マスオさんを引き受けていてくれたら、

内科医の兄は、主人を待っていたかもしれません。

弟も、国立がんセンターで、検診検査の分野の長を務めていたため

実家は、年老いた兄一人では、閉院するしかありませんでした。

兄の長男は医師になったものの、

女医さんと結婚して、二人の世界に飛んでゆきました。

代々続いた不動産は、5パーセントの値段で買った物として

残りの90パーセント以上に税金がかかり、

実家は亡くなりました。

勤務医になった82歳を過ぎた兄は、

オリンピックにそなえてでしょうか?

英検一級に合格しまして、勤務医で頑張っています。

従業員に退職金を払って、施設を売り、実家は亡くなりました。

「私、、、間違いませんので」スキルだけで生きるあのドクターの

メロンの代金は、どこに行ったのでしょうか?

大名行列にくっついて、技術を学ぶのも

独学に於いてスキルを磨くのも、

金銭の流れの川の中で、

医師という主役の本人には、

目の前で流れてゆくお札を

家庭に持ち帰ることは出来ないシステムで

日本は動いている。

額面だけにかかてくる税金をそのまま払っていると

一切は残らない仕組みに、日本はなっていると思います。

 

女房の方からの、援助や、時間の提供や

人的な応援で金銭が動かない分は、家族が雑用でサポートします。

時間貧乏の医師は、専門の人間に仕事以外の雑用を頼むから

どうしても、手間賃や、諸々の代理の借りが出来るから

借りた利息付の返済に、

感謝で散財するから

手元にはなこらない。

儲けようとか、

権力を得ようとか、

欲に駆られて医師になる人は

いらっしゃるかもしれませんが、、、

日本は、税制面などで、残らないシステムになっているようですね。

お金儲けを考えていたら

。医学の集団からは外れてしまうでしょうね。

どんな金持ちも、

日本は3代で滅びる税の仕組みになっているから、

経済学者でないと、、、お金は残せません。

だから、、、自分の夢を追って医師になり

自分より優れた後輩が来れば、

チームのエースとして、

次代の医学会を支える役割を果たすであろうと考えて

主人は、若き後輩に、出来るだけの事はして、応援したいと言う。

野球にかけた選手のように

充実した感動を得られる生き方をするも者のみが

後世を牽引できる人に選ばれてゆくようだ。

医療に惚れて、未来の医療チームの発展の

足場の役になっても、

医療チームが好きですという、、、外科医の主人。

息子が43歳独身、家なし、彼女なし、

ドクターヘリの来る

地方の基幹病院で

主人の二代目医者バカを実践中です。

忙しいため、タクシーの中で睡眠をとるという

お金に縁のない人生ですが

医師として、医療現場としては

立派なスタッフ、立派な施設、

立派な指導者、

時代に即した医療機械

「医師をするという贅沢な環境に満足しているのか、、、」

電話をかけると

今回の救急患者さんは、

手当てが俊敏に進んだので、、、

内臓切除になるところを、、、助けられた、、、などなど、、、

興奮しているときがある。

仕事が生きがいで、、、

「家庭を持つことを忘れています。」

猫ちゃんのように、マイペースで、

主人の愛を求めない、

「家があれば、勝手に主婦を楽しんで、人世の一人遊びが上手な人!」

「家庭的には至らない息子を愛してくれる女性が、きっと現れると、、、信じています。」

主婦になるのが夢だという女性、、、子育てが生きがいという女性

いつかあらわれてほしいものです。

ボーイズ  ビ  アンビシャス 

 「欲得や名誉の為ではなく、医師をする」

人世が終わるころ、、、自分の心だけが、、、満足すればいいと思う。

医療世界とか

野球世界とか

医師をする事の応援や、

野球などサッカーや、

テニスの選手の応援が、、生きがいで、、

その人の人生だって思う考えの人もいる。

今日みたいに、わが子よ、君に、

北海道の、心臓移植の医師が

素晴らしい会を開催したことを伝えたくて、

夜明けまで、、、キーをたたいている、、、73歳の婆ちゃんも

居て、、不思議じゃないんですよね。

これは、、親族だけの

、心の内をありのままに書いた日記ですから

迷って、、ブログに来られて読まれた読者は、

73歳の、時代から

少し遅れた

老婆心の書かせた日記と

フ、ふんん    と、、、笑って、、

なるほどね、、、

こんな見方もあるんだね、、、と。

笑って通りすぎてね!、、、、(^^!

                主人からも、息子からも、、、取り残されても

                孤高を目指す、婆ちゃんです

 

 

 

 

 

 


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