花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

時間が、、、無かった、

2020-08-21 01:16:29 | Weblog

 

           日本の始まりのような、神宮が、 

                         和歌山県に、有った。

               

              

 

                                                                                                                             海を観て育ち、、、クジラを食べていた、

                                                                                                   海の王様ですよね、、、クジラはね。

                   クジラたちは、ネット社会のように通信しながら、

                                   北極まで泳いでゆきました。

          人間が海を愛する者同士としてクジラを愛すれば

                     高度な感性で、友達に成れたと、思えるような哺乳類ですよね?

 

                 王者のようなクジラを、、、

                   小さな人間が捕鯨するのですから、びっくりですよね

 

       人間とは、、、一体、、、?、、、どんな?「いきもの」なのでしょうか?

            例えば、、、人の心って、、、不思議ですよね。

                   関わりたくないという「ココロ」。

               南紀の山奥の 小学校に通っている頃

                     小走りに急いでいる私に、声をかけてくれました。

                               彼はクラスの優等生でしたが

                     お父さんは戦死して、、、母親だけで家庭を支えていました。

 

               私が、立ち止まって、、、同級生に

               「川に行くんやよ、、、」と、返事をしようと思ったとたんに

                     母親が、彼をしかりつけました。

                 「お医者さんの家の子に≪関わったらあかん≫と言うたやろう!、」

            「何か問題起こしたら、村から追い出されるんやで!」

                         母親は、ぺこぺこと頭を下げながら、、、

                    同級生は「またね、、、、学校でね、、、」と言って

                   母親の「厳しすぎるしつけ」にも、逆らわずに

                              手を振りながら、すれ違っていった。

             お母さんと言う人は。

                 ペコペコとお辞儀をしながら、

                      子供たちを促して、何度も振り返りながら、、、すれ違っていった、

                  

                  子供心に、、、冷や水をかけられたような、、、孤独な

                  疎外感を感じながら、、、幾度となくこうした場面が有ったのを

                    思い出していた。

                 

                父が、村にはなくてはならない人として、

                    村の診療所を預けられるのは、、、感謝ですが、、、

                 

                 「お前は父さんのおかげで、、、得ばかりしている!!!]、、、、」

                 いわれなき嫉妬の刃が向いてきたこともある。

                   人は、、、自分の先入観で相手を判断して

                          我の心が治まる様な方向の扱いをするという事かもしれません。

 

         17歳には父や、父を助けてくださった京都大学の教授の近藤先生や

          警察病院の大森先生、多くの先生の施術によって、7回の形成外科手術は

           見事に私の、、、団子になっていた右手が復活した。

          完治したから、、、胸を張って生きる日々に感謝しながら、

             医師が「医師をするという行動」の難しさを体感しながら

               7回の手術によって甦った私にとって

              「医師が医師をすることの為には、心から、謹んで働ける」という

            医学の魔法のような手術の恩恵に浴してきた。

                  振り返れば、、、

              私は、2歳半の時に、右手に大やけどを負った。

        母が、適齢期になった診療所のお手伝いさんに

                「 小さいけれど、お店を持っている青年」を紹介したのだった。

       いろりの対面で、私を膝にのせて、子守をしながら

               母から突然切り出された縁談話を聞かされた彼女は、

                      後から聞いた話によると、、、

             「解雇されるのだと勘違いした」と言ったそうである。

              私はそのとばっちりを受けて、彼女の膝の上から、

                         囲炉裏に落ちてしまい。

                        彼女は、私を拾い上げなかったという

                 雇用者と、使用人の心のすれ違いの間に

               「 職場を追われると勘違いしたお手伝いさんの心」が

             2歳半の幼子の右手を焼いてしまったのだった。

                 ショックで、ひざに居る幼女の事を一瞬わすれたのか?

                    悪意は有ったのか、無かったのか?、、、

                    そちらに関しては父母は問う事は無かった。

                小さな、、、一跨ぎすればよい、、

                     「いろりに中に落ちた我が子」を、、、

   、               なんで、、母自信が目の前のいろりから、自分が抱き上げなかったのかと、、、

                       お手伝いの女性に、、、

                 「早く、抱き上げなさい!!!」と、命令ばかりしていたのか?

                     自分自身の愚かさに、腹が立つ、、、と晩年ぼやいていました。

              

             縁談なんて、、、人様より目線の高いことをするときには

                父を交えて、、、お手伝いのご両親にも来ていただいて、

                      お客さんへの料理を前に、、、 

                     

                「実は、、、娘さんに、「お嫁に欲しい」という青年の親から、

                 心を聞いてほしいと頼まれたのですが、、、」

                       相手に人生の未来がかかっていることだという重さを自覚して

                  礼儀を逸するような、、、軽口の縁談話では、、、

                     こうした事故が起こることが予測されたはずである。

 

   音楽大学を卒業して、主観の強い母は、

                   自分流の縁談の紹介が、

                      どれほど、、、当人にとったら、、、

                              受け止め難い話題だったかを、

                                  予測は出来なかったのだろう。

父は、事故の後も、私の手を真剣に治療してくれながら

                半面、、、、当事者のお手伝いを解雇することは無かった、

 

        診療所の仕事が引けたあと、

                 准看の免許がとれる学校に通わせて、

                   看護師として、どこの診療所でも働けるようにした。

                      それから、彼女の気持ちを大切に、

                    村の診療所から飛び立ってもらったと、言っていた。

 

母には言ったそうである、、、、

「はた目には、周りの人が尊敬して、従ってくれるように見えるだろうが、、、、

         皆、自分の命の行方をつかまれている様な錯覚に陥って

              医師が、自分の命を人質にしている様な、、、漠然とした尊敬に似たような

                敬意を示すかもしれないが、

                   病人は病気は自分で治癒の方向に向かって行くものなのだよ。

                医師は、病人の中の「治る力を出来るだけ引っ張り出し、、、よりそっている。」

              病気を治しているのは患者さん自身の持てる「治る力なんだよ。」

          治る力を引き出せる医師になるためには「医師をすることに、、、謙虚にならないと、、、」

         家族皆が謙虚にならないと、、、患者さんの中に住んでいる「治る力」は引き出せないんだよ。

    周りの家族は、、、大切にされることがあったら、、、君たちの後ろには

          自分の命を預けている、命を左右できる医師がみえてしまうという、、、

             医師の力を勘違いしている人が多いことを知って、

              決して、、、上から目線で話してはいけないよ。

                戦争で、日本は全員が貧乏になっているから、

              診療所の医師の家族は、、、得ばかりしている家族と、、、勘違いしている時代の背景が

            子供と言う、、、弱い立場の人間にとばっちりが行くからね、、、

               いわゆる、、、自分の力でないのに、、、いい気になれる立場の行動はとらないという

              等身大の実力以外の事をすると、、、

                 「貧乏な時代背景を認識していないという事だからね。」

                縁談などと、、、人の人生を周するような事は

                 一人で話すものではないよ。

                     彼女は、、、奥様は、、、自分が医師と結婚しているからって

                    偉そうに、、、自分を見下した、、、と。

                   嫉妬と怒りで、一瞬娘を抱いていることが空白になり

                   娘がいろりに落ちたことも、、、われを忘れた侮辱の中で

             娘が、、、 泣き出すまで、、、気が付かなかったのかもしれないよ。

                    4歳5歳の子供でも、、、医師でも、看護婦でも、、、女中さんでも

                     ばあやでも、、、プライドの大きさは同じなんだよ、、、

                病気の治療にかかわっても良いが、、、

                         医師の家内になった立場では

                         自分の友人や、知人親戚に、個人的な話題を話すのは

                           やぶさかではないが、、、

                 診療所に関係のある勤務している人や、お手伝いや、ばあや、、、使用人には

                   彼女たちの仕事への心の延長で、奥さんに仕えて見せてるだけだと

                    彼女たちのプロ根性を尊重しない事は、「いい気になっている奥さんだと、、、」

                  反感をかう事もあるという事を学んだよね。     

         寡黙な父の、、、一言、、、二言、、、の

                   「医師の家庭も謙虚でなければ、、、人の指導は反感をかうだけだよ、、、」

             そういわれたという母の言葉を、私なりに、奨学生に解るように説明するなら

                   以上のように、、、思えるのです。     

             

小学生になったころ、村の戦争未亡人が

     逞しく生きてゆく姿に、私は、学校では教えてもらえない社会を観ていた。

          村人に、慕われたのは、、、父の「医師をする」と言う

                情人では真似のできない努力の火の玉の情熱であったと

                      76歳になってから,、、気がついた私は

                         婆ちゃんになっても、、、右手を治してくれた父や

                           多くの先生方には感謝しています。」

私が一生、、、自分の時間を割いて応援しているのは、

           医師になった人が、「医師をすることの大変さ」を

                 少しでも、家庭内から、時間を継ぎ足すことで

                      医療に専念できるなら、

                       「 医師の持てる力を、社会に還元できる」と信じられるから

                          頑張れるのだと思います。

           

         、、、、ふと、、われに返ると、、、私は、、、どこにいるのだろうと、、、

         、、、、家族以外に、、、全く、、、付き合う機会のなかった近所や町内会の

        、、、、 北海道の暮らしの50年間に、、、

                     人生の本当に必要なのは、、、

                          「時間」だったかもしれない。