花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

アフリカ

2008-06-01 05:18:13 | Weblog
    従兄とアフリカ

昭和11年生まれの従兄が東京工大卒後
三井物産という名門に就職しました。

イギリス、東南アジア、アメリカ、そして「アフリカ」、、、
世界中を相手に飛び回っていました。

バブル経済のころ、アフリカのガーナに赴任。
素朴な象牙のネックレスや民芸のお土産を頂きました。

夫人は主人の同窓生なので
アフリカの事をとても話して聞かしてくれました。

真っ黒いグローブのような大きな手で握手をされたとき
日本は、
真剣にアフリカと取り組まなければならないと思ったそうです。

「タコ糸でツナガレタ素朴な象牙の首飾り」を見ながら、
従兄の
見えない「ストレスが伝わってきました。」

野口博士が、黄熱病と戦ったのは
アフリカと日本のかかわりが、いかに早い時期に始まっていたか、
心に来るものがあります。
小学校で習った「シュバイツア博士の医療の物語」が
思い出されます。

先代の残した、大いなる「遺産」を未来につなげていってほしいものですね。

従兄は、がっちりとした素敵なお兄さんでしたが、
アフリカ勤務終了後、
ストレスで54歳の若さで亡くなりました。

奥さんに最後に残した言葉は
「君のおかげで、人生が楽しかったよ、ありがとう、、、」

彼女は言いました。

『「最後の言葉」のおかげで、
今も
彼はここに生きているのよ、、、ここに、、、。』

「アフリカの思い出の器」に花をアレンジして飾る笑顔は素敵です。

バブル経済の時代に、
海外やアフリカに
しっかりと「握手」の感触を残した
「大いなる遺産」をリレーして行くことが、
「体で残した見えない貯金」の有効活用といっしょでしょう。

資源はないが
「知恵の技術」の地道なサポートで
地球規模の「幸せプロジェクト」を
祈っています。

数字だけで億万長者になっても
持って死ねない。
キーボードをたたく仮想の現実は
数字であって数字にならないゲームの世界。

54歳で若く去った従兄は、体で生きた!
移動距離×彼のポテンシャルの重さ=仕事

最後に残した言葉が「ありがとう」だったことがすごいです。

アフリカで夫人と一緒に貢献できた理科系の頭脳!

現場のストレスも創造以上だと思いますが、

最後に残した言葉に心があります。
「ありがとう」、、、、、

その後、
毎年、彼女に門松を送り続けています。

毎年「新年」に向かっている彼女へ。