花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

談合って良くわかりません?

2007-06-03 22:52:58 | Weblog
談合という言葉が,テレビや新聞ラジオで
頻繁に見聞きするようになってから久しい。

政治や不動産や開発にあまり関係の無い庶民の私にとって
正確に理解することや、
談合から派生する社会的リスクを正確に把握することはむつかしい。

ただし,ごくごく身近なことでも、利害が絡むと法律は無視され,
声の大きい者や恫喝の威力がまかり通ることも事実であろうと思う。

ちなみに、私の身の回りにも,イマイチ理解不能なことがけっこうおきる。
たとえば、所有している土地の裏口だった私有地が,札幌市に寄附されて
公道となってから十年以上経過しているが、裏口の道路への出口は,毎年
札幌市の雪置き場として市のバリケードドが置かれたままである。

形の上では所有者の私が,依頼してバリケードを置くように承認した
のであるが、深いところで理解できない政治的な絡みがあるようなので
当方が、裏口にあらたに出来た道路を通らなければ問題はこれ以上
ややこしくならない様子なので、札幌市の道路課の進めにしたがって
バリケードドを置いたままになっている。

追求すると,ややこしくなる気配があり,
大切な本業の仕事の時間を奪われるのも死活問題がかかってくるので
そのままにして久しい。

何があったのか,詳しいことは良くわからないが、
我が家にとっては,損害が大きい。

しかし,理屈では公道なのだから、
市のバリケードが、いつまでも張られているのは
不思議で仕方が無い。

一般の庶民の、私にとって、成り行きに任せるしか仕方が無い。
いっそ,裏口に関係ないように塀をまわそうか?

札幌市の除雪の職員に相談したら,
塀をまわすのは,周りの住民の感情を考えると
やめたほうが良い。
このまま、市のバリケードを張ったままの方が平穏にゆくという答えである。

裏口の道路を寄付した当時、バブルのあおりで,
寄付するときの交換条件が果たされないまま,
寄付しただけで,その時の地主がリスクを負ったということから、

話はややこしくなったようである。

いろいろ、人生は山坂の多い事だらけである。

私の祖父も大戦のドサクサに,自宅も貸家も,広大な農地も無くなった。
もともと土地なんて地球のものであるから、
使うだけあればよいのであるが、

子供が小学生と中学生の時、
主人が生死をさまよう大病をして,
長期入院、退職、単身赴任,二重生活,,,ついに共働き,、
我が家に「人生の大嵐」が来たとき、

私は女だてらに,私の名前で何千万円も借金をして
アパートを建てて、自分は結婚前の薬剤師に復帰して、
主人の回復まで,5年間,
家計をさせた時期があった。

その時建てたアパートが,前面の入り口の私道が突然半分の幅になり
裏に、公道が出来たのでした。

とりあえず、十年以上、
裏の公道が使えなくて、
せっかくある敷地内の駐車スペーススに車を入れることが出来ない為、
駐車場が無いアパートとして公告する為、
入居者が決まらない10年間が過ぎた。

建物がスラム化しないためリホームはコマめにする為、
赤字経営が続く。

多分、札幌市の上層部のえらいさん方は
末梢で,こんなに長い間、市民の家の出口に
バリケードがおかれているのを
ご存知内のだろうと思います。

この先,どうなってゆくのかわかりませんが、
もしかしたら、
こういうのが,談合の結果の副作用なのでしょうか?
未だに、訳が判らないまま。

いつか、法律の守れる
札幌市になる日が来てくれると信じています。
いつか、札幌市の方から
「バリケードを撤去しても,あなたの権利は守られますよ。」
そんな葉書がくる日を待ちつづけています。