言葉が口をついてでてくる原点、その元のところ

2007年08月24日 16時29分39秒 | 自分の意見の陳述
文法がわかっていても言葉が浮かんでこないとどうしようもないわけですが、そこで或る程度のことことばは口をついてでてくるようにしときたいと思うわけです。人によって関心が違うので、何をそれにするか人さまざまです。
音がぱっとでてこないと、どうしようもありませんね。たとえば、「いちょう」とくると私は「銀行」と頭が反応するので、gingkoとでてくるのです。ここでは、さきに「銀行」がきて、gingko です。なかなか覚えられなかったのが、「らん」でした。これはorchid ですが、果樹園のorchardににているので、「らん」のときに「オーチャ」と口が動きそうなのです。あるとき、これは、「オーキッ」だと本当に思い込んで口に覚えさしたら、そこから覚えれたわけでした。「びわ」は「ロークワッ」なのでloquat とくるのですが、「桐」のpaulowniaはなかなか覚えられなくて困ったのでした。結局、「ポーローニア」の音がでてこないのです。音がどうだったかを体で認識できていないと単語はおぼえられるものではないですね。だから運動みたいなもので、全体活動です。頭だけで、知的に覚えようとすると、とても、だめです。頭は接頭語とかの分析でつかうべきではあろうが。あと、どうしても、肉体、口の筋肉に覚えさす、口に覚えてもらっておくということは大事な事だと思います。
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