定年後の田舎暮らし

 定年後、神奈川県から北海道のニセコへ移住し、田舎暮らしを始めました。

五島(福江島)行き 7)菜の花畑

2011-04-30 06:14:30 | Weblog

 宿泊した玉之浦という地名は椿の名前からつけられたそうで、このように花びらの周りが白く縁取られた珍しい種類だそうです。

 三井楽半島に長崎鼻灯台から柏崎灯台までの遣唐使船旅立ちの路があり、そこを車でゆっくり走っていくと、遠くの海を指差した和寇像が立っていました。東シナ海は明国(中国)に近いこともあり、異国船の往来も激しかったため、この近くをアジトとして略奪行為や密貿易を行った海賊集団の男達が和寇として恐れられたということです。

 更に魚津ケ崎公園の方へ廻ると、遠くに菜の花畑と灯台が見え、近づいて広い菜の花畑を写真に写しました。春爛漫の景色でした。

コメント (2)

五島(福江島)行き 6) 大瀬崎灯台の夕日

2011-04-29 06:27:08 | Weblog

 今回福江島へやってきた一番の目的は日本で一番遅い夕日の写真を撮ることでした。

 大瀬崎灯台からの夕日の眺めが一番美しいというので、2日目の最後にここへ来ました。日没までにまだ、だいぶ時間があったため、急な山道の坂を駆け下りて大瀬崎灯台まで行ってみました。東シナ海に突出した断崖の突端にある白亜の灯台で、200万カンデラという日本一の明るさで西の海を照らしています。

 残念ながら灯台よりはるか離れた場所にお日様が沈むようで、期待した景色にはなりませんでした。

 待っているとなかなか日の入りが始まりませんでしたが、やっと大きな夕日が西の海に沈んでいきました。

この日は近くの漁港の玉之浦という所の民宿に宿泊しました。1泊6000円という安さで、いろいろな魚の焼きもの、煮物、揚げ物、刺身などお魚三昧の御馳走が食卓に並びました。

 

コメント

五島(福江島)行き5) 教会とキリシタン墓地

2011-04-28 06:21:11 | Weblog

 先に堂崎教会を紹介しましたが、五島にはそのほかたくさんの教会とキリシタン墓地があります。

 この教会は井持浦教会で、1897年に創建された五島で最初のるレンガ建築による教会堂です。日本最初の霊泉地で全国から巡礼団が絶えないそうです。

 三井楽町にある貝津教会は白壁の木造瓦葺の素朴な雰囲気を漂わせる教会です。

 色鮮やかなステンドグラスが美しい教会でした。 

 岐宿町にある1880年に創建された木造教会堂で、白亜の天主堂が青空にそびえ美しい教会でした。裏の墓地には春の花が咲き乱れていました。

 特に目を引いたのがこの黄緑色の桜の花です。とても清楚な感じの花でした。

 海岸沿いには海に面してキリシタン墓地が見られ、五島にしかない景色です。

 

 

 

 

 

 

コメント

五島(福江島)行き4) 美しい海岸とビーチ

2011-04-27 06:13:07 | Weblog

 福江島には美しい海岸とビーチがたくさんありました。

 富江キャンプ村からの海の眺めで、海水浴場にもなっています。

 頓浜ビーチで遠浅の砂浜に透き通った海水が漂っていました。

 一番美しかった高浜ビーチです。日本一美しいと言われる砂浜は全国的にも有名だそうです。海水浴場の設備も整っており、五島に住んでいる人々が羨ましくなります。

コメント

五島(福江島)行き3) コンカナ王国と鬼岳

2011-04-26 06:19:28 | Weblog

 福江島に渡って最初の宿泊は「コンカナ王国」でした。「コンカナ」というのは「来ないかなー」「来てください」という意味だそうです。

 宿泊料金は少々高いところでしたが、温泉もあり、部屋は広々としてセミダブルベッド2個と50インチの大きなテレビあり、食事も美味しくゆったりと過ごせました。

 庭にはユーモラスな像がありました

 翌朝は目の前に見える鬼岳(317m)登山でした。夏になると一面芝生に覆われた臼状の火山で、五島のシンボル的存在になっているそうです。ゆっくりと歩いて一周するのに1時間半の散歩道でした。

 頂上からは青々とした海と久賀島などが見えました。

 美しい棚田も見え、五島では2期作でお米を作るらしく、水田にはもう、緑の稲が植えられていました。

 湾を隔てた場所からは鬼岳がこのように見えます。

 様々な種類の椿の花が咲き乱れる五島椿森林公園を経て、鐙瀬溶岩海岸遊歩道を歩きました。ここはM先生曰く、「天皇陛下もここを歩かれて甚く気にいられた」遊歩道だそうです。

 

 鬼岳の噴火で流れた溶岩が海岸にゴツゴツと見え、小鷺が数羽、羽を休ませていました。

 

コメント

五島(福江島)行き2) アコウの巨木巡り

2011-04-25 06:05:30 | Weblog

 今回の五島列島(福江島)行きは、県立五島高校にも2年間生物の教員をされたM先生と先輩のI先生とご一緒しました。M先生は植物や樹木の専門家で、長崎県の巨木・巨樹に関する「木霊の宿る空間」という本の著作者です。

 M先生は五島列島のほとんどすべての島を訪問されて詳しく、今回の旅は彼のスケジュール通りに巡り、改めて生物の勉強が出来たという貴重な体験になりました。

 中でも特に珍しかったのはアコウ樹の巨木でした。

 アコウ樹はクワ科の半常緑高木で、幹は分岐が多く、枝や幹から多数の気根をたらしている温暖な地方に自生している巨木です。全部で5本の巨木を見て回りましたが、この樫の浦のアコウは九州最大級のもので、長崎県の天然記念物に指定されています。
 黒潮の流れに乗って種子が運ばれ、この地に根付いたそうで、樹高11m、根周り15mもあり、四方に30mも広がっています。まさに精霊が住んでいそうな神秘的雰囲気があります。

 このアコウも同じ樫の浦の別のアコウ樹です。

 富江小学校の校庭にあるアコウ樹は、ここだけ緑の葉に覆われており、校庭にどっしりと座っているようでした。

 最後の日に見た玉之浦のアコウ樹です。どの樹も異形の巨木という感じです。

 

コメント

五島(福江島)行き1) 石田城~堂崎教会

2011-04-24 18:53:15 | Weblog

 長崎港からジェットフォイルに乗って福江港まで渡りました。1時間25分で到着です。五島へ私達が行ったのは初めてで、美しい海岸の景色と夕日の景色を撮りたいと思って、来てみました。

 福江港から歩いて福江城跡(石田城)があります。三方が海に臨む我が国唯一の海城で、外国船(黒船)の襲来に備えて国防のために、江戸時代最後に築城されています。

 石田城の一角に建てられた五島邸庭園には心字が池があり、金閣寺の丸池を模倣して作られたものだそうです。大きな楠の木があり池の中には蓮が一面に広がって、その上に桜の花びらが浮かんでいました。

 これは六角井(いど)で、中国大陸との往来があった明の頃、中国人が作った井戸だそうで、五島邸庭園には石を丸く削った丸井戸もありました。

 また、武家屋敷通りには石垣が今でもあちこちに残されており、上部に丸い石が重ねられていました。

 五島にはたくさんの教会が建てられていますが、 まずは堂崎教会です。明治12年にマルマン神父によって建てられた五島における最初の天主堂です。赤レンガのゴシック様式で、ヨーロッパの典型的な教会スタイルとなっています。

 

コメント

長崎行き3) 大浦天主堂

2011-04-23 06:24:44 | Weblog

 4月11日、五島へ行く前に出発まで時間がありましたので、電車に乗って大浦天主堂周辺まで行ってみました。

 大浦天主堂は長崎市にあるカトリックの教会堂で、 日本最古の現存するキリスト教建築物です。正式名は日本二十六聖殉教者堂。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、落ちついた感じの教会です。

 丁度観光客のご婦人達が「いい顔」をして記念写真を撮っていました。

 グラバー邸付近からは長崎市の街並や港が見え、長崎はあちこちにこのような坂道があります。

 カステラの文明堂の本店です。現在でもどっしりとした構えになっていました。

 

コメント

長崎行き2) 風頭山の桜と坂本竜馬像

2011-04-22 20:15:08 | Weblog

 長崎から博多へ行き、義姉宅に2日間滞在して4月22日の夕方、16日ぶりにニセコへ戻ってきました。空港での気温は4℃、我が家の室温は11℃まで下がっていました。すぐに薪ストーブに火を入れましたが、なかなか室温が上がりません。

 今日からニセコの様子を時々載せながら、長崎~五島の訪問記を続けたいと思います。

 丁度長崎も桜が満開になっていましたので、次に山手の高台にある風頭山にバスで上って行きました。

 

 穏やかな日差しの下、たくさんの人達がシートを敷いてお花見を楽しんでいました。

 どこかのおじさんが旗あげ(凧揚げ)をしていました。夫は子供の頃ここでいつも旗揚げをしていたそうで、旗を借りて自分でも揚げて、当時を思い出して喜んでいました。

 ここには坂本竜馬像があり、遠くの海を眺めて腕を組んで立っていました。観光コースになっているようです。

 

 また、ここには写真家として有名な上野家(彦馬)のお墓があり、特に上野彦馬は写真技術の習得と普及に功績をあげ、日本最初のプロの写真家として著名です。
 坂本竜馬、高杉晋作、桂小五郎、伊藤俊輔といった幕末のヒーロー達が彦馬の手によって撮影されたそうで、「写真の祖」と言われています。

  風頭山を下りて出島に行ってみました。

 出島は1634年から2年の歳月をかけてポルトガル人を管理する目的で、幕府が長崎の有力者に命じて作らせたもので、ポルトガル人を国外追放後、1941年にオランダ商館が平戸から移されてオランダ人が200年間居留した場所です。 

 扇形をしていることで有名ですが、2006年に復元工事がほぼ完成されています。

 

 これは模型ですが、昔教科書で習った出島が復元されていました。

 ここは料理場です。皆さん、ご存じのように、鎖国によって閉ざされた日本にとって、出島は唯一欧米に開かれた窓だったのです。

コメント

長崎行き1) 眼鏡橋

2011-04-20 06:45:29 | Weblog

 4月10日、長崎まで行きました。
長崎は夫の故郷で、私はここで学生時代を過ごしましたので、とても懐かしい所です。

 実家の田舎の駅からジーゼル機関車に乗って長崎へ。駅員は一人しかいません。昔はもう少し賑わっていたのですが・・・

 夫はこの眼鏡橋の近くに住んでいました。原発の影響がここにもあるのか、観光客も少ないように感じました。

 今回長崎へ来た目的の一つは夫が通っていた新興善小学校跡に行ってみることでした。先日、TVで火野正平がこの場所に来て小学校のメモリアルホールがあることを報道していたので、急に懐かしくなったのです。小学校の跡には立派な市立図書館が出来ており、その中のメモリアルホールには校歌や写真、校舎の階段などが残されていました。

 二宮金次郎の像と桜の木もそのまま残っていました。

 小学校1年生の時に原爆が落ち、この小学校は原爆病院(救急診療所)として使われたそうで、当時の治療器具なども残されていました。従って、夫は6年生になるまで近くのお寺が学校となり、そこで勉強をしたそうです。とても懐かしそうに思い出していました。 

 

今日から博多へ移動しますので、数日間ブログはお休みです。ニセコへ戻りましたらまた、お会いしましょう・・・・

コメント (1)