ジャックハマー

開店休業

さが

2006年10月31日 | 日常
やはり黙っているのも、言わせておけと大人の対応をするのも性に合わない。
冷凍、死ね。

まず念のため言っておきたいのだが、ここ一週間サイトやブログの更新が止まっているのは冷凍のせいだが、僕はべつに凹んでいない。むしろ呆れている。呆れすぎてやる気を失っているだけだ。

たしかに僕にはできないことが多いので、ただ日常生活を送るだけでも、多くの人の手を借りているし、迷惑をかけている。
電車に乗るにも券売機に手が届かない。不親切なエレベーターはボタンに届かない。コンビニや本屋の上の棚にも届かない。急いでいるときには取ってもらう暇がないから諦める。パチンコ屋に行っても両替機に届かない。レストランではドリンクバーにも届かない。ジュースの缶は素手では開けられない。ビンはなおのことだ。フライパンも持てないから料理もできない。洗濯機も届かない。和式便所は使えない。階段は一段ずつ上がる。一段ずつ降りる。できれば手すりが欲しい。長距離は歩けない。5分以上立つと辛い。子供の頃は足が悪く学校には送り迎えしてもらった。まともな服は特注で買うしかない。スポーツはなにひとつできない。やっても必ず手加減されて楽しくない。ケンカもできない。自転車に乗れない。バイクも乗れない。車はフル改造しなければならず高すぎる。
でも。
冷凍、お前になにか一つでも迷惑をかけたか?
なぜバカにされなければいけないんだ?

歩いているとすれ違う小学生や幼稚園児(まれに大人)が振り返る。指を差す。タチの悪いヤツはついてくる。顔をのぞき込む。あざ笑う。露骨にからかう。「なにあれ」「小さい」「チビがいる」「うわあ」「かわいそう」「思いこみが激しいのは不幸な生い立ちのせい」
僕が障害者だというだけで、無条件にバカにするのだ。冷凍、お前と一緒だ。

「口が悪い」とか「天然」とか「言うことがコロコロ変わる」とかは僕の性格だ。いくらでもバカにしてくれてかまわない。
だが、なぜ障害者だということをバカにされなければいけないのだ。
ちゃんと働いて、サイトを運営して、ブログも書いて、いろいろ企画も開催して、普通に活動している。
それでもどうして障害者だというだけであざ笑うバカが出てくるのだ。
僕が障害者だと知る前はなにも言わなかったくせに、いざ解った途端に、僕の性格やら行状やらを無視して、なぜそれだけをあざ笑うのだ。

凹んではいないが、非常に無力感は感じた。どんなに企画を運営しても、大喜利で1位を獲っても、僕の障害者という部分だけをピックアップしてあざ笑うバカは、やはり存在したのだと。
だから言いたくなかったのだ。だから隠していたのだ。僕という人間を見ずに、肩書きだけを見られたくないから、秘密にしていたのだ。

冷凍、お前は自分の子供が障害を持って産まれてきても同じことをしろよ。
最愛の人や家族や自分が突然事故にあい障害を抱えても同じことをしろよ。
あざ笑え。バカにしろ。ネタにしろ。からかえ。ふざけろ。こけにしろ。嗤え。

解ったな。あと、死ね。