もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

安田純平氏とジャーナリスト像

2018年10月30日 | 報道

 トルコで解放されて4年ぶりに帰国できた安田純平氏の機内での談話が論議を呼んでいる。

 安田氏の真意については、メディカルチェック後に予定されている会見に俟つとして、予備的に「会見で知りたいこと」を纏めてみる。論議を呼んでいる談話は「解放が日本政府の力(働き掛け?)によるものとは思いたくない」という反権力的な点である。彼の人柄を知る人物は”安田氏は政治的に特定の信条は無い”と述べ、過去の取材に同行したカメラマンは”フリーランスの取材活動は全て自分(糊口の一環?)のため”と述べ、マスコミでの人物評は”人道的な使命感を持った取材者”と”している。このように並べられると安田氏のシリア潜入の真意はますます解り難いものになってくる。シリア政府と内戦に加担する米露を糾弾するためか、シリア市民の苦境を報道して人道支援の拡大を期すものか、立ち位置が良く分からない。それとも、単に現状を無色にレポートして後は受け手の判断・行動に俟つという典型的な傍観者的は姿勢なのだろうか。一般・軍事を問わず、現場で収集できる情報は事実の一場面・一端でしかなく、そのようにして集められた多数の一場面・一端を精査分析して、初めて「活用できる情報」となるものと考える。氏の過去の言動を読む限り、フリーランスの存在を極めて高く評価し情報社会では不可欠で、かつ不可侵であるべき存在と考えているようであるが、一つの事実を将棋に例えると、フリーランスは次の一手を指す棋士ではなく棋士が指す1手を決める情報の極めて微小な要素を棋士に提供しているに過ぎないという現実を知るべきであると考える。フリージャーナリストの記事や著作を読むと、現場の緊張感や悲惨さは伝わるものの、経緯や将来の展望に対しては考察が甘い若しくは為されていない場合が多いようにも思う。

 ここまでフリージャーナリストに対して極めて失礼な書き方をしたが、このような目で安田氏の会見を見たいと思う。今回の論議に対してアルピニストの野口健氏が「取材姿勢に対しては意見を述べないが、解放された事実についてはもっと謙虚であって欲しい」と述べているのが、大方の意見ではないだろうか。


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