もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

仙谷由人氏の死去に思う

2018年10月18日 | 野党

 旧民主党の大立者で、悪しきオールド・リベラリストとも評すべき仙谷由人氏が死去した。

 仙谷氏と言えば、菅内閣の官房長官として「影の総理」と呼ばれるほどの言動が強く印象に残っている。特に、尖閣諸島近海で中国漁船が巡視船に体当たりした事件では、中国人船長を政治的判断で無罪放免しながらも「釈放は那覇地検の判断」と強弁したことで国民の信頼を失い、民主党政権の終焉を加速させたのみならず自身の政治生命をも絶たれたことが生々しく思い出される。仙谷氏の人生を辿ってみると、東大安田講堂事件以来一貫して社会主義路線を歩み、言動の多くが日本否定・親中韓北を隠そうともしないものである様に感じられる。おそらく氏の宗主はマルクス主義であったであろうが、政治活動の始点が旧社会党であったことからも分かるように共産党に入党する程の傾斜と覚悟は無かったようである。しかしながら自衛隊を暴力装置と呼んだように、就職を機に左翼活動を離れた心情三派よりは左に近いものであったであろうと思う。マルキストが普遍的に持つ偏狭な独善性を如何なく発揮したのが、前述の事件で映像を外部に流出させた海上保安官を探し出して批判し、訴訟によってでも刑事罰を与えると恫喝して辞職にまで追い込んだことである。当時においても、正義から為された内部告発は許容されるとの社会通念があったため、野党も政府攻撃のために官僚機構内のディープ・スロートからの情報を活用してきた。政府の意に反した情報を流出させた人間に厳罰を与える手法は、ソ連や中国のような全体主義国家が反対意見を封殺するやり方と同様であり、仙谷氏の脳裏には全体国家の方が望ましいとの認識が強く有ったのではなかろうかとも推測される。

 泉下の住民に笞を振るうのは慎むべきであると思うが、南京問題、尖閣問題、竹島問題、靖国問題、慰安婦問題、北の核開発問題等々について、あからさまに中国や南北朝鮮寄りの姿勢に終始した仙谷氏の事績について、後世の歴史家が「平成時代に国威を損なった政治家」の上位にランク付けすることは確実と思う。仙谷氏の遺志を政治に反映させるとコメントした枝野幸男立民党首にも同じ匂いと危惧が感じられるものであるが・・・。