もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

カタカナ語とハングル文字に思う

2018年10月05日 | 韓国

 前にカタカナ語の氾濫を憂いた。

 大要はカタカナ語の氾濫が日本文化を滅ぼす元凶になりかねないとするものであった。日本語について自分なりに考えてみた。日本は、表記に表意文字(漢字)と表音文字(仮名)を混用する唯一の国ではなかろうかと思う。その他の国で思い浮かぶのは漢字とハングルを混用する韓国(北朝鮮も含む)位である。しかしながら韓国では漢字の使用(1948年)と教育(1968年)が禁じられたために、現在では表音文字であるハングルのみの単一表記の国と呼ぶべきであろうか。日本では、明治維新以後に怒涛の如く押し寄せた外来文化を薬籠中の物とすべく、外来語の意味するところを表意文字で造語翻訳して日本語化した。この日本人の努力が今日まで日本文化を守ったといえるのではないだろうか。一方、表意文字を捨てた韓国では、外来語を表記することはできても韓国人に馴染みやすい言葉に置き換えることができないために、日本以上に外来語が氾濫しているのみならず、これまで韓国社会に根付いていた同音異義語も区別ができないというジレンマに陥っているそうである。また哲学や文学ではハングルのみの表記に限界を感じている学者や文学者もいる一方で、漢字教育を受けない世代では30~40年前の文書も読むことができず、ハングルのみの使用は文化の停滞・断絶に繋がるとする意見も根強いと云われている。日本においても、これ以上カタカナ語の氾濫が進めば、韓国社会の混乱に似た経緯を辿ることにもなり兼ねない。単純に平仮名だけで書かれた文章を思い浮かべれば、読み難さは別にしても意味を読み取るのに多大な労力が必要になることは容易に理解されることと思う。

 1446年に李朝第4代の世宗が考案制定したとされるハングル文字。考案の由来は文盲の庶民のためとされているが、世宗の脳裏には漢文さえ仮名交じり文に置き換える日本のしたたかさと、仮名交じり文で源氏物語を書いた紫式部の姿があったものと思う。しかしながら漢文化を至高とする当時の李朝知識人がハングルを下賤の文字として捨て去ったために、以後400年もの間使用されることなく正常な発達を遂げることができなかったものと思う。げに、頑迷固陋の知識人のおそろしきかな