沢田研二さんの「さいたまスーパーアリーナ公演」が、大人(老人)の事情から中止された。
中止の理由は、当初「契約上の問題」とされていたが、本人の会見で集客数の多寡によるものであることが明らかとなった。9000人の収容人数に対して6000人分しかチケットが売れていない状況下で沢田さんが歌うことはできないとしたものであり、「集客不足は自分の実力」と本人が認めているように、施設を満杯にするという過大な契約に無理があったものと思われる。かっての沢田さんであればチケットは瞬時に完売したであろうが、根強いながら少数のフアンにのみ支えられている現実を沢田さんが受け容れることができなかった老害の一つともいえるのではないだろうか。人間に限らず生物は等しく経年変化からは逃れられない運命を背負って生きなければならない。容色は変貌し、銀鈴の声は土鈴に変質し、動作に切れを失うことは避けられないために、人はその時の自分に合った生き方を模索して生きている。特に人気商売の人々は、折に触れて往時の面影を残しつつもイメージチェンジを図って人気の維持と新たな客層の獲得に努力している。ポップシンガーはバラードやジャズに活路を求め、私がファンである八代亜紀さんは艶歌を離れ1960年代風のジャズに行ってしまった。その根底には自分の市場価値を正確に理解した上で、求められる場で求める人に対して演技し、歌唱することを容認した結果であると思う。広島県の「音戸の瀬戸」開削工事で、平清盛が日没時間を遅らせるために扇を振って太陽の動きを止めたが、それほどの権勢をふるった平氏一族も、新興の源氏によって政権から駆逐されたように大衆の支持や人気、ましてや権勢は永続しないものと思う。
沢田研二さんも「勝手にしやがれ」を卒業できていたならば、このような事態な起きなかったであろうと思う。そのことは決して、往年の沢田研二を卑小にすることではなく、新しい沢田研二の表現とみなされるのではないだろうかと愚考するところである。我々にとっても老後の生き方として「他山の石」とすべき出来事であったと思う。