もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

新立憲民主党の誕生に思う

2020年09月11日 | 野党

 枝野新党が「立憲民主党」として再出発し、枝野幸男氏が初代代表に選出された。

 新しい立憲民主党は総勢149名(衆院106名、参院43名)での船出となったが、近年における野党の離合集散と所属議員の移動の様は複雑怪奇で、余程の事情通若しくは永田町ウオッチャーでないと理解できないように思える。自分の混乱を整理するために改めて野党の興亡をフォローしてみた。1998年野党を糾合して民主党結成、2009年の衆院議員総選挙で勝利し政権を獲得、2012年の総選挙に大敗:民主党政権瓦解、2016年に維新の党と合流して党名を民進党に改称、2017年9月:希望の党結成(民進党の一部吸収)、10月立憲民主党結党。2018年5月希望の党は国民党と希望の党に分裂、国民党は民進党を吸収して国民民主党誕生、希望の党は事実上消滅。そして今回の、国民民主党の解党(分裂)騒動となる。野党の離合集散の過程を年譜的に纏めてみたが、議員・政治家の政治信条に基づく再編は2017年9月に起きた小池百合子氏の希望の党結党に伴って行われた、憲法と安全保障という2大命題の賛否を明らかにする誓約書(所謂「踏み絵」)によって希望の党と立憲民主党がそれぞれに結党された1件のみであるように思う。しかしながら、憲法と安全保障という政治家にとっては譲れないはずの踏み絵を踏んだ希望の党参加者が、わずか3年後には憲法論議拒否、安全保障関連法破棄という真逆を標榜する立憲民主党に大挙して参加する鉄面皮ぶりにはあきれる以上に絶望感さえ覚える。わずか3年間のうち2・3の党を渡り歩いた数知れない議員個人の移動について考えれば、彼等の行動原理は大樹の陰に拠って権力のおこぼれに預かろうとする、小沢親分の金力に縋ろうというものであり、何よりも自分の議席(地位)を守るために集票力のある組織を選ぶという1点に向けたものと見ている。

 一方、代表選と同時に行われた党名の選択選挙では、枝野氏の掲げる立憲民主党を選択した議員は94名に留まり、代表選では枝野氏を支持したものの党名は民主党の方が相応しいと考える議員が13名いたことも興味深い。13名の心情をを推し量るならば、政権交代を成し得た当時への懐旧であろうか、それとも手垢に汚れ・何事にも対案を出せないために「何でも反対党」の烙印が定着しつつある「立憲民主党」では有権者を引き付けられないという計算に基づいたものであろうか、いずれにしても自民党の下村選対委員長が「政党名も代表も同じなので、国民からすると、ときめきや、変わるのかなという感じはないと思う」、日本維新の会の松井代表は「結局、もとの民主党だ。何が変わったのか良く判らない。選挙が近くなってきたのでとりあえず、寄らば大樹ということではないか」と述べたが、妥当な評価ではないだろうか。朝日新聞を頂点とする立憲民主党勝利祈願団体は、政権の受け皿ができたと宣伝・世論誘導に努めているが、緊急世論調査では10%を超えるかどうかであるともされているように、有権者は醒めているようであり、個人的には「もっと醒めて」と期待するものである。


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