共産党員の松竹伸幸氏が記者会見で党首公選制の導入を主張したが、赤旗が執行部意見を代弁する形で「松竹氏の行動は「党規約(民主集中制?)に違反する」と反論した。
Wikipediaでは《民主集中制は「民主主義的中央集権主義」の略で、全共産党員が上級機関および指導者の決定に無条件に従う行動規範で、党内の異論や少数意見が表に出にくい組織原理》と解説されている。
改めて民主集中制の成立と推移を眺めると、
・1906年 ロシア社会民主労働党の統合大会で初めて党の組織原則として採択・成立
・1920年 コミンテルン第二回大会で「プロレタリア革命における共産党の役割に関するテーゼ」として採択
・1934年 ソ連共産党の規約に記載。以後、各社会主義国や共産党の公式的な組織原理として採用
・現在 中国・北朝鮮・ベトナム・キューバ・ラオスの国が民主集中制を採用 とされている。
民主集中制も変遷を重ねており、当初は統制も比較的緩やかで、レーニンも「批判の自由は党の集会でも大衆集会でも完全に認められるべきだが行動の統一を破る呼びかけは党の集会でも大衆集会でも認められるべきではない」としていたものが、スターリンやブレジネフによって、党内に限った反論すら粛清・追放の対象となるほどの鉄の締め付けに変貌したとされている。
民主集中制の原理は、1934年のソ連共産党規約に示されている「党組織に対する党機関の定期的報告制」「厳格な党規律並びに多数者への少数者の服従」「下級機関及び全党員にとっての上級機関の決定の無条件的な拘束性」とされているが、一旦権力を握れば反対意見の封殺と反対派の粛清・追放には極めて有効であると思える。中国を筆頭に民主集中制を採用している国はいずれも長期政権であり、日本共産党でも志位和夫氏が20年以上も独裁的に君臨している。
日本共産党が、いつの時点で民主集中制を採用したのかは分からないが、コミンテルンに忠実であったことを考えると1922(大正11)年の非合法結党時から民主集中制であったのではと思っている。また、現在の統制の程度は、近年の袴田里見氏の除名や筆坂秀世氏の離党などを見ると、鉄の規律に近い統制ではなかろうかと推測している。
赤旗が云う党規約まで調べる気力は湧かないが、綱領にサラリと書かれている「現行の選挙制度を改定」が、民主集中制への移行を指しているのかもしれない。
共産党が合法化されて以降のトップ6人の在任期間を観ると、徳田球一氏(8年)・野坂参三氏(3年)、宮本顕治氏(24年)、不破哲三氏(通算13年)、 村上弘氏(2年)、志位和夫氏(22年~)となっている。自由党時代を含め自民党28人、社会党時代を含め社民党17人が党首を務めていることを見れば、民主集中制が権力維持に適しているかが理解できる。
ともあれ、民主集中制が嫌われて、共産党がオールドコミュニストの閉鎖的クラブとなり、次第に姿を消すことは将来的には望ましく思えるので、志位共産党も民主集中制を堅持して欲しいものである。
党勢振わず襟首に木枯らしを感じている立民泉代表も、選挙協力など思い煩うことなく民主集中制を採用したいところであろうが、創業者の枝野帝王ですら公選を選択しなければならなかったことを考えると、それはそれで無理であろうが。(笑)
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