もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

海自地方隊の再編報道

2023年07月03日 | 自衛隊

 海上自衛隊の地方隊改編計画が進行中であると報じられた。

 改編の概要は、陸海空3自衛隊を統合運用する統合司令部創設のために、舞鶴・大湊の地方総監部を格下げするというものであるが、報道では改編・改組の目的を「新設する統合司令官には将(甲:四つ星)を充てる必要があり、その費用(予算)捻出のために海将(乙:三ツ星)を削減するため」としているが、皮相的すぎるのではないだろうかと思える。
 舞鶴地方隊の沿革を眺めると、
・1889(明治22)年 対ロシアの戦略の軍事拠点として舞鶴鎮守府整備計画を策定
・1901(明治34)年 舞鶴鎮守府が開庁、初代司令長官に東郷平八郎中将を親補
・1923(大正12)年 ワシントン軍縮条約により要港部に格下げ。指揮官も司令長官(親補職)から司令官に格下げとなったが、例外的に海軍中将が捕職されていた。
・1936(昭和11)年 日本海警備の重要性から舞鶴要港部司令官のみが親補職に格上げ
・1939(昭和14)年 軍縮条約の失効に伴い再び鎮守府に格上げされ終戦まで存続
 大湊地方隊の沿革を眺めると、
・1890(明治23)年 室蘭鎮守府の設置を内定
・1895(明治28)年 室蘭が太平洋からの攻撃に対して脆弱であるとし、1903(明治31)年に軍港(要港)予定地を大湊に変更。規模も鎮守府より格下の要港部として1905(明治33)年開隊
・1941(昭和16)年 日米開戦に備えて大湊要港部は鎮守府と同格の大湊警備府に昇格し終戦まで存続

 両基地は1952(昭和27)年の保安庁警備隊発足時に舞鶴・大湊地方隊として発足し地方総監部が置かれたが、鎮守府(要港部)の変転には予算や人事の側面はあるものの「日露戦争⇒日露不可侵条約締結⇒対英米戦」という戦略目標の変遷とは無関係ではないと思える。

 敢て仮想敵という言葉を使用するが、仮想敵や彼我の戦力(特に、被攻撃武器)の変化に伴って、軍事拠点・基地の重要性は変化するもので、過去にも、戦闘海域への進出に難がある呉地方総監部の佐伯(大分県)や宿毛(高知県)への移転が、同様の観点から大湊地方総監部も、高炉の火が消えた室蘭・経営が傾いた函館ドックと青函連絡船廃止などの理由で函館へなどが噂に上ったものの、あまりに費用が掛かりすぎるために幕僚の机上研究に終わったのではと勝手に推測している。
 今回の地方隊改編についても、報道された四つ星海将の席と経費捻出というよりも、改編の適否を防衛指向(戦略目標)の変化という面から考えるべきではないだろうか。


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2 コメント

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背広組と制服組 (Unknown)
2023-07-03 16:24:47
 管理人殿

 自衛隊には、制服組と背広組があると聞きます。

 シビリアンコントロールのため、制服組は背広組の下に置かれ、デスクワークしかしない背広組が、自衛隊の代表のように扱われています。

 経費節減のための海軍編成の見直し ?
 こんな発想は、制服組から出るものでなく、デスクワークしかせず、大蔵省に首根っこを押さえられた背広組のやることではないのでしょうか。
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遅くなりました (管理人)
2023-07-04 09:43:53
ご訪問とコメントを有難うございます。
かってシビリアン・コントロールのシビリアンは政府(=官僚)との認識でしたが、先進国では近年、立法府の比重(発言・監視)が高まっているように感じられます。
日本でも、悪しき慣習打破のためには、国会議員が防衛・軍事を学ぶことと、制服が国会に出席できるようにすべきと思っています。
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