福島原発事故メディア・ウォッチ

福島原発事故のメディアによる報道を検証します。

江川紹子は、国家カルト集団『アトム真理教』の(ちょっとマイナーな)広告塔だ!

2011-09-26 23:47:43 | 新聞
政権交代後、推進派は原発再稼働に向かって着々と歩を進めている。野田首相の再稼働宣言(需要の面から再稼働必要なし、という意見に対して、首相が『それはあり得ない』と答えたと読売は報じた)。例によって、貧乏なリッチ自治体は、原発マネーが尽きては干上がってしまうと、早いとこ動かしてお金をくださいと、たかり根性満載でなりふりかまわぬお願い。『原発ゼロでは経済停滞』(読売)とは、むろんうちの自治体の金がないということだが、これを私たち国民全体の問題であるかのように見せかけるのは、原発利権者たちのいつもの手法だ。読売は、原発がなくなると電気料金が上がって、皆さんお困りでしょうという研究結果を報告している。朝日は、原発を止めたら、原発事故被害の賠償も払えなくなってしまいますよ、と警告している。

原発事故の深刻さや放射能汚染レベルの「最小化」に専心して、安全キャンペーン張ってきた大手マスコミのこれからのプロパガンダ・プランは、再稼働に向けて、国民の皆様のこころの準備であるらしい。そんな時、オウム真理教の取材で名をはせた江川紹子氏(以下敬称略)は、狂信と迷妄からぬけだして、放射能の危険に対して冷静に、理性的に対応するよう説かれるのである。こんなふうに・・・

江川のコラムによれば、放射能汚染の不安にさいなまれる私たちの弱みにつけこもうとする奴らがいる。お得意の宗教カルトはむろんのこと、「放射能にきく」とかいう、あやしげな予防食品やグッズを売るやつらなどは、放射能の危険性を誇大に吹き込む『エセ科学』を利用して私たちをおとしいれようとする。かくして私たちは、『国がだいじょうぶと言っているのだから』などといわれると『さらに不安と不満が募る』ようになってしまう。このような『エセ科学に影響され・・・エセ科学に引き寄せられた人』は何重にも悲惨だ。『放射能を心配するストレスで精神科を受診』し、『給食の食材をすべてチェックするように要求する親』になり、『鼻血や下痢も、内部被ばくのせいだという説明』を信用して、『特定の酵素や菌、特別の水を摂取すると放射能の値が下がる』という『宣伝』にすがり、あげくの果てに『子どもに腐敗した豆乳を与えていまった親』となるのが関の山だが、それだけではないのだ。この不安と不満を抱えた愚かな大衆は、放射能被害の『熱心な信奉者』になり、『善意』からこうしたエセ情報を広め、『「安心してください」と科学的データを見せられてもなかなか納得できない』人、それどころか『「あなたは間違っている」と科学的データを突きつけても、反発』してしまう、江川紹子お得意の『カルト宗教に心を支配された人』になってしまう。

 江川による「放射能を恐れ・警戒する人=エセ科学に惑わされたカルト狂信者」というあまり科学的とは言えない一般化が、福島の現場で、まどい、悩み、苦しんでいる人々に対して、どんなにひどい言説暴力となっているかは、この記事を記録していた「院長」さんに任せよう。もう一人の医者、小児科医の山田真氏は、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」に呼ばれていった相談会で『事前に予想した範囲』をこえる『全く予想しなかった事実に出会う』

それは、江川が『エセ科学に惑わされた人々』に下した断罪を、共同体の家父長制的抑圧機構を利用して容赦なく執行する現実だった。

『例えば「学校給食の食材はすべて福島産のものを使っている。福島産でない、安全な地域でとれた野菜を使ってほしいなどと要求するとバッシングされる。」「保育園で福島産の牛乳を飲んでいる。他の牛乳に変えてほしいと言ったら怒られた。では、うちの子は飲まないようにさせてくれと申し出たが一人だけそんなことはできないと言われた。」』

なぜこんなことになるのか?山田氏は以下のように推測する。
『「福島県は放射能に汚染された地域」というレッテルをはられないために、放射能は安全、福島は安全と声をそろえて言わなければならない状態に追いこまれているように私には見えた。福島産の野菜は安全だということを自ら示すためにあえて子どもたちにも地産の食材を与えているようにも思われる。そして「それは危険だ。やめた方がいい。」と異議を唱える人は地域でバッシングされるから口には出せない。そういうことが地域の中で人間関係をこわしたり家族の中に対立を持ちこんだりしている。』

 そういう状況だから、まして『既に相当な量の被曝をしている福島の子どもたちが率先して〝汚染の可能性の強い〟食材を食べているのは、低線量被曝の人体実験をしているようなものではないか。』なんて言えるわけがない。

福島の医者たちも、この「いつもの福島安全キャンペーン」にまい進している。
『「福島市内のお医者さんに子どもを連れて行って、〝鼻血がよく出るが放射能のせいではないか〟などと相談すると笑いとばされてとりあってもらえない。だから来て相談に乗ってほしい。」と聞かされていたから「福島市内のお医者さんの多くは、〝放射能は心配いらない。気にしすぎはかえってからだによくない。〟と言って口裏を合わせることにしたのだろう。・・・新たに放射能安全神話を作り出すために医者も協力することにきめたということなのかな。」と思っていた。」』

江川紹子のカルト的エセ科学撲滅キャンペーンは、こうした福島の放射線被害隠ぺい・抑圧戦略と見事に対応する。

しかし、カルト批判で売った江川紹子がどうしても気づくことのできないカルト集団がある。原発推進国家カルトである。彼らは江川もご存じの『カルト的』性格を今までむき出しにして原発を押し付けてきたではないか。プルトニウムは飲んでもだいじょうぶ、なんていうのはエセ科学に入らないのか。子どもたちに「クリーンな原発エネルギー」教育を吹き込み、精神的虐待をさらけ出したようなポスターを描かせ(そして事故の後それを隠し)、原発立地の地元には「原子力正しい理解で豊かな暮らし」なんて神殿のアーチを掲げて、一方では金で籠絡して、他方では脅して黙らせる・・・。

第一、放射線の健康影響に関する「科学的」研究こそが、立派に『エセ科学』の様相を示しているではないか。すでにヒロシマ・ナガサキの原爆被害の調査から、隠ぺいと改ざんと原子力(核兵器)推進のために放射線健康被害最小化が始まっている。それはチェルノブイリでも繰り返された。そしてその時、案の定持ちだされたのが、『放射能よりもそれを気にするストレスの方が健康に悪影響を与える』という江川も裏打ちするストーリーだったではないか。

だから、どうにでもなるような恣意的な「基準値」や、誠意のうたがわしい、というよりごまかし作為の疑いが濃い「測定値」などを、「放射線科学」の「世界的権威」などを振りかざして押し付ける連中に対して、私たちが眉に唾つけて警戒するのは当然だし、そうしなければならないのだ。

江川紹子に決定的に欠けているもの、それは、科学的客観性を独占する国家カルトのカルト性を見抜けないこと、いや見ようともしないことだ。それどころか、国家からみれば、みっともないほど卑小で脆弱な私的カルトに関してはこんなに冷ややかで、残酷な暴力性を発揮する江川は、一番大きなカルトには目をつぶることで、それに貢献し、それから承認されている。江川が国家に代わってどうしても隠しておきたい秘密、それは、

『国は私たち国民を第一に保護しようとはしていない。国が保護しようとしているのは、国家権力を支える利権集団、この場合は、原発マフィアだ。だから、国は原発マフィアの利益のためには、国民の生命・健康を犠牲にする』

という基本原則だ。これこそ究極の『風評被害』と、江川や当局は言うだろう。負け組のコンプレックスあたりがもたらす根拠のない不安と不信に養われた迷妄と狂信。江川はこんな愚かな動物的退行からあなたを守ってくれる。そう、「オレもそこそこ勝ち組かな」と思っている理性的なあなたは、こんならちもない被害妄想的狂信を受け入れるわけがない。事故は困るけど、原発がないと経済も停滞して電気代も上がるし、だからまあできるだけ少なくするということで、オレの勝ち組としての経済的・社会的特権に影が差さないくらいのところで、やってもらうとして・・・・。

江川が『エセ科学』にまどうかわいそうな人々、無知と心のもろさ(そしてたぶん経済的な弱さ)に苦しめられている人々を、カルトとして析出し「聖別」するのは、ヌルい特権にまったりとはまっている『理性的な』国家カルト信者たちに、原発再稼働という正しい道を示すためだ。

国家官僚や政治家のように、江川は大衆操作に対して意識的だ。自分が目指す時間をかけた段階的原発依存解消には、放射能は絶対いや、というような急進的・非妥協的な分からず屋の存在も必要だと平気でツィートしてしまう江川は、狂信的な即時・全面脱原発派には、『「あなたはまちがっている」と科学的データを突きつけても、』(そうだ、国家カルト・エセ科学によるデータを共同体と金銭の圧力で突きつけるのだ!)『反発されるだけ』だから、こういう人たちには、彼らの『不安な気持ちにできるだけ共感し、寄り添って』いかなければならない、という(お金持ちのお嬢さんがいつも同じ服を着ている友達に「オリエちゃんのスカート、いつもすてきね」と言うようなものだ)。原発事故の初期に現れたこわもてオヤジ型デマゴーグに代わって、いま、原発推進が必要としているのは、こういうソフト御用文化人だ。だが、動物的な感覚にたよって(五木寛之氏の教訓)非理性的に行動する無知な大衆をあなどってはいけない。私たちは江川の『共感』『寄り添い』にだまされない。それがいっそう江川やそのお仲間をいらだたせるのではないか。過剰な感情的反応や誤った認識は私たちすべてに可能性がある。それを指摘するのが、ブログの「院長」や上の山田氏や、南相馬で除染活動をしている児玉龍彦氏のような医師なら、私たちは自分の反応や考えをあらためる気になる。彼らがこちらのことを考えてくれていることがわかるからだ。しかし、相手がこちらを利用しようとし、こちらの生命や健康より、国家・産業・地域、などシステムの利益を優先することがわかっているとき、いくら江川のような猫なで声で近づいてきても、私たちは拒否するだろう。それを見て江川は言う、「心の貧しいものは不幸である。心を支配されたものは最悪だ。彼らはわたしに従うこともできないのだから・・・。」

江川が、官僚・政治家と同様にどうしても国家カルトとつるんでしまうのは、彼女に隠された(ソフトな)支配欲・権力志向があるからだ。プリンセスのヒューマニズム、ボスママの慈善バザー、かわいそうな人に愛の手を。しかし、彼ら・彼女らが求めているのは、かわいそうな人がいなくなる世界ではない。彼ら・彼女らが求めているのは、かわいそうな人に愛の手を差し伸べられる自分のステイタスだ。だから、この人たちは、「かわいそうな人」を必要し、自分たちとその人たちの間に決定的な区別を作り出して「かわいそうな人」を創造する。放射能の恐怖におびえてリーズナブルな生活も精神の均衡も失ってしまったかわいそうな人たち、そして、そのかわいそうな人に『共感』しながら、エセ科学がもたらす不安と敢然と戦い、必要な原発は最少限・一定期間(その最小限と一定期間はもちろん国家カルトがすきに決める)なら、おおらかに認めようではないか、という理性的な勝ち組の常識人。

あなたはどっち側?
あなたが正しい方を選んで、DNAの修復能力に信頼をよせる明るく健康的で前向きな未来志向をとりもどせば、放射能の恐怖と不安を克服する共同体的盛り上がりがあなたを支えるだろう。

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