福島原発事故メディア・ウォッチ

福島原発事故のメディアによる報道を検証します。

「放射能怖いけど楽しく生きてやる」:異常な状況を『普通に生活』する普通でない異常

2013-03-28 15:37:02 | 新聞
東電福一原発事故後2年を迎え、事故で放射能汚染した「ふるさと」に住民を帰還させようとする動きが本格化している。除染基準をあいまい化し、被曝リスクを最小化・わい小化し、『被曝量に応じて』普通の生活ができるようにふるさとの暮らしの再建を目指す。それと同時に、被ばく地からの避難を困難にするように、一方で経済的支援を打ち切り、他方で避難者への心理的圧力を高める。放射線への恐怖は心の問題に過ぎないから…。そんな状況に適応するために、奇妙な倒錯が生まれる。いわく、「異常だけど普通だ!恐ろしいけど楽しい」だって!!
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福島県知事が被曝強制権力者の本性を現して、住民帰還のために除染基準を「緩和」(悪いことがましになったというニュアンスでとらえてはいけない、『規制緩和』の「緩和」に連なる用例としてとらえよ!)して、「新たな安全基準」の制定を求めた。年間1ミリシーベルトはどうせ達成できないから、5ミリ、10ミリ、15ミリ、20ミリ、とそれなりに生活できるということにして、そそくさとふるさとに帰還しましょう、というわけだ。

こうした『現実的数値』をめざすのは、1ミリシーベルトまで除染するのは『「大変な労力がかかり、コストがかさむ」(環境省)』日経)からだ。一方で、福島からの自主避難者への家賃補助が打ち切られ、その穴を埋めるはずだった「原発事故・こども被災者支援法」(2012年6月に超党派で成立)は、予算措置もされずほったらかしにされている(東京社説)。露骨な被ばく強制措置、東電福一原発事故の強引な無化、いつもの、かつての、何もなかったかのようなふるさと福島の回復だ。『復興庁の斉藤馨参事官は「県からは県民の流出を防ぐため、支援策をやめてもいいと聞いた・・・」』東京)というネタバレもある。

支援策がないのだから、『経済的な理由で福島に戻る人たちも増えてきている』のもあたりまえだ。いや、というより、もっと露骨に、

『福島大の荒木田岳准教授(地方行政)は、被災住民の立場を端的にこう表す。「福島では、健康に不安を抱えながら生活する地獄と、県外で預金を切り崩して生活する地獄がある。避難者が福島に戻るのは、経済的に追い込まれたケースが多い」』東京

原発事故後、政府とマスコミのあきれた情報操作のレトリックを笑うのに、高田渡さんの『値上げ』がよく引き合いに出されたが、彼の天才は、今度の状況をも的確に予言していた。

お役人が立ちふさがって言う事にゃ
わかってるだろうが、来年は勝負なんだよー
銭がなけりゃ、君、銭がなけりゃ
帰ったほうが身の為さ あんたの国へ

『銭がなけりゃ』

さらに、荒木田氏によれば、『福島に住み続けたい人は、国に大丈夫だと代弁してもらいたいし、行政の復興スローガンとも一体となれる』から、復興を遅らせる避難者に対して「神経質」「利己的」という非難がなされることになる。その結果、『事故の責任の所在がどこにあるのか、分からなくしている』という状態が出現する。そしてそれが好都合な人たちがいる。なぜなら、

『住めない地区が広がれば、東電の賠償も増える。だから、我慢して住めということになる。加えて、国にとっては原発の再稼働や輸出をするため、原発事故の過小評価をしたいという意図もあるのだろう」』

福島の住民は、経済的な圧迫のほかに、こうした『避難者を福島に戻す圧力』と精神的に戦わねばならない。だが、しかし、それはあくまで「逃げようとしている」からだ。では、逃げないことにしてはどうか。福島や郡山でも、まだまだとんでもなく高い異常な放射線環境(『子ども福島』のサイトの実測データ参照。文科省のモニタリングポストは明らかに低めの数値が出ている。ポスト周辺が除染されてるという指摘が多い)ではあるが、それでもそこで「普通の暮らし」を取りもどせばよい。でも、そんなこと、どうやって?

教えてあげましょう。その秘密は、『強がりながらも前向き』に、

『放射能なんて怖くない。差別なんかされてらんない。何が何でも楽しく生きてやる。だって、女子高生だもん』東京

という若さあふれる声に耳を傾けることだ。東京新聞はこの記事の見出しを『放射能怖いけど「楽しく生きてやる」』としていた。そう、「30キロ圏外なら安心」なんてありえなくても、内部被ばくが怖くて食べ物が心配でも、『将来、他の県の人と結婚する時に放射能のことを言われたら』困っても、『子どもに障害があったら、全部私たちのせいにされる』のがわかっていても、『その中で普通に生活している、私たちの日常がある』から、『何が何でも楽しく生きる』以外に何ができるだろう?

危険だからといって、逃げることもできないとしたら・・・ここで生きるしかないとしたら・・・そうすること以外にしかたがないとしたら・・・、それなら、ほんとうにそれしかないなら、現状を危険でないと信じるか、少なくとも危険かどうかの判断を保留するしかない。そうなれば、危険であることを前提にした暗い生き方を少なくともとる必要はない。そう、危険でないと信じられるか、あるいは少なくとも危険は確実ではないと信じられるなら、不信や疑念を振り払い、「明るく」生きてやろう。そして、そう信じない奴らは、そう信じることにかろうじて行きついた私たちの最大の敵となる。不信や疑念を振りまく放射脳は狂っている。「ここで普通に暮らすこと以外のこと」ができる奴らは、金銭的余裕とか、精神的自恃とか、何らかの形で憎むべき特権を持っている奴らだ。奴らこそは私たちの敵だ、なぜなら、私たちはだれもかれも、みんなこう思っているからだ。

I want you to hurt like I do.(Randy Newman、歌詞U-tube
あんたたちにも、私が傷ついているように傷ついてほしい


むろん、この傷つくというのには、放射線で細胞DNAが傷つくことも含まれる・・・。

異常な放射線状況を『楽しく』『普通に』生きていると、少なくとも本人たちがそう宣言していると新聞が書きたてたのは、相馬高校の女子生徒たちの演劇・映画制作活動についてだ。しかし、彼女たちは、ほんとうに、上でみたような倒錯、すなわち不当な強制を、自ら選びとった光栄に変換し、強制を自発的に『楽しく』受け入れるという多重強制の片棒を担いでいるのだろうか。そうやって、福島県知事や富岡町長や飯舘村村長のSS親衛隊の役割を果たしているのだろうか。私にはそうは思えない。むしろ、それを伝える新聞が、彼女たちの表現をこうした役割に還元しているのではないか。

だから、朝日新聞も東京新聞もやたら彼女たちの集団性、かけがえのないふるさとの「共同体」に属する彼女たちの性格を強調する。『悩んでいるのは私ひとりじゃない』東京)し、(放射能は)『怖いって言われるけど、福島で生きている人は大勢いる』朝日)からだ。

しかし同時に、彼女たちは、たとえば『子どもに障害があったら、全部私たちのせいにされる』と、彼女たちのふるさとの共同体が(原発事故の前も後も)、障がいのある子どもの出生を、その子とその母親にスティグマとして背負わせる共同体であることを知っている。知事や村長などのオヤジたちが、いざとなれば自分たち母と子を見捨て、自分たちの犠牲のもとに美しいふるさとを守ることを知っている。避難区域なのどの行政の線引きが、その外側の安全を保障するものではないことも知っている。

だからといって、彼女たちの批判精神は、『事故の責任がどこにあるか』追及したり、あるいは、また、

『本当は安全か否かが肝心だ。基準を現実に合わせるのはおかしい。受け入れたくない福島の現実を直視しなくては。放射線は浴びない方がいいに決まっている。食でも、がれきでも一緒に被ばくすることを絆とは呼べない』(荒木田岳氏、東京

という共同体の欺瞞の批判にも向かわない。いや、もし彼女たちの表現がこういう方向を取ったなら、そもそも彼女たちの演劇が全国で公演されることもなかったし、映像作品が新聞で取り上げられることもなかっただろう。おそらく、無意識にではあれ、彼女たちはこうした限界、「言っていいことと、いけないこと」の区別、共同体のタブーのありかを「いい子たち」の隠された感受性を通してあらかじめ突き止めていたのだ。その意味で、彼女たちは、SS親衛隊ではないにしても、りっぱなふるさとの娘たちなのだ。

出口なしの状況に追いつめられたとき、それに抵抗するために、そのしんどさに屈しないために、それでも「楽しく」生活の質を守ろうとするのは、抵抗の手段として当然だ。放射線量の高いところで暮らさざるをえない人が、様々な不自由を強いる防護対策をくぐり抜けてなんとか「楽しい」ことを探そうとするのが当然なら、ふるさとを離れ避難した人が、たとえば家族とともにいられない欠落を埋めるような「楽しい」工夫はないかと考えるのも当然だろう。さらに、東電の責任をあくまで追及し、被ばく強制県知事・市町村長・政府にあくまで抵抗しながら、きびしい対立と緊張の中でも「楽しく」過ごす時間を探そうとするのも当然ではないか。上の三つを同時にやっている人だっているだろう。ところが相馬高校の映画・演劇少女たちの『楽しく生きる』には、こうした社会的・政治的対立と抵抗の側面がすっぽりと抜け落ち、『普通に生活している私たちの日常』という、どのレベルの権力者も、教師も、御用インテリも安心して使えるのっぺらぼうで空疎な背景しか提示されない(少なくとも新聞はそのように提示している)。やはり、この誇るべきふるさとの少女たちは、何がいけないことか、よくわかっているのだ。

福島には原発のことも、被ばくのことも語ってはならないというタブーが蔓延しつつある。2012年の春、大飯再稼働反対の福井県庁包囲デモで隣を歩いた福島の方は、伊達・田村あたりからいらした若いお父さんで、子どもたちを県外避難させていらしたが、福島ではこの時すでに、放射能のことを話題にすると、「もういいべよ」、「キチガイでねぇっかー」と応じられると語っていた。『放射能の危険性を訴えることは、私を含め、福島で暮らし放射能に慣れつつある人間にとって、傷口に塩をすり込まれるようなことかもしれない』毎日)と語る人もいる。相馬の少女たちはごく普通にふるさとの空気を読んだのだ。そしてそれをメディアのレトリックが、『行政の復興スローガンとも一体』となった『避難者を福島に戻す圧力』に変換している。

だが、悲しいかな、どんなにごまかしと圧迫の手を尽くそうと、『まちがった生活を、正しく生きることはできないのである』(アドルノ)。



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