「この人たちとともに生き、ともに死にたいと思った」、震災と原発事故の後、「日本人」になることを選んだドナルド・キーンさんは、その時の心境をこの高見順の言葉を引用して伝えている。高見は、空襲を逃れて避難する群衆を見てそう思ったのだが、キーンさんのほうは、震災と原発事故の後の私たちニッポン人のけなげな姿にうたれたのだという。飯舘村の酪農家、長谷川健一さんの写真と映画を見て、私も同じことを思った。だが、私が「ともに生き、ともに死にたい」と思うのは、彼がニッポン人だからではない。彼が、家族・友人・隣人たちとともに、やはりニッポン人である村長や官僚や東電と戦っているからである。 . . . 本文を読む
2月下旬、東電が福一原発の汚染水垂れ流しを1年以上も放置していた事実が報道された。
しかも、この無責任な垂れ流しの事実を、原子力規制委員会=政府も1年以上前から知りながら、放置していた事実も後を追って明らかにされた。こうした不祥事は、たまたま起こったことではない。ここには東電と政府の共謀的な無責任・先送り・ごまかし構造がある。そして残念なことに、本当に残念なことに、この構造は今後もさらに増幅された形で、汚染と欺瞞を重ねてゆくに違いない。こんな恐ろしい状況を逃れるには、政府を変えて、はっきりと脱原発を決定し、東電に福一事故の責任を取らせることから始めるしかない。
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