3月25日の日曜日に、再稼働の標的となっている大飯原発の『超地元』の福井で再稼働反対の集会とデモがあった。3月というのに氷雨の降る中を、県外からも数多くの人が参加した。以下は、その参加者の一人の福井レポートです。わたしは、地元の女性の方のお話が特に印象に残りました。
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新聞の投書にこんな方がいらした。東電福一原発事故以来、この方は、携帯はソフトバンク、預金は城南信用金庫に変えたそうだ。いずれも、そうそうに脱原発に動いた会社だ。それに対して、あいかわらず東電延命策に協力するメガバンクたちは、1兆円の追加支援を決定した。その条件というのが、『原発再稼働』と『電気料金引き上げ』。つまり、放射能リスクと経済負担をみんなに押しつけて、ボロボロの東電につぎ込んだ融資を何としても回収しようというご立派なシャイロック根性だ。こんな銀行には、1円でも金を置いておくのはやめよう。私たちの砂粒のような預金などどうってことないと、奴らはたかをくくるだろうが、無数の砂粒が砂嵐となって吹き荒れたり、大事なところに入り込んだ砂粒が歯車の回転をきしませてしまうこともある・・・ . . . 本文を読む
米国生まれの粋人、アーサー・ビナード氏は詩をよくすると聞く。氏、さいたまにて原発を語るべく、演目をセシウム・サイタと題したり。ここに片山さつきなるおんな武者、ひおどしの鎧に、まさむねの抜き身ふりあげ、眉つりあげて日の丸の扇をかざし、やあけしからぬ、ゆるされぬ、セシウム・サイタと悪態を、なにも言わせぬ、しゃべらせぬ、ステーツ帰えらりゃ、がいじんめ、老いたりとはいえ、このさつき、国会一の着道楽、レンホーなんぞに、負けては恥ぞ、日ノ本まもらで、すましょうか・・・ . . . 本文を読む
地震(じしん)と津波(つなみ)、そして原発事故(げんぱつじこ)のあの日(ひ)から早(はや)くも一年(いちねん)がたちました。この一年(いちねん)、子(こ)どもたちも、大人(おとな)と同(おな)じように震災(しんさい)のくるしい現実(げんじつ)を生(い)きてきました。毎小(まいしょう)では、『子(こ)どもの目(め)で見(み)た原発震災(げんぱつしんさい)の一年(ねん)』と題(だい)して、子(こ)どもたちからの率直(そっちょく)な意見(いけん)を募集(ぼしゅう)しました。以下(いか)、いくつかご紹介(しょうかい)します。 . . . 本文を読む
大飯原発再稼働をめぐる記事の中で、ことさら再稼働と電力不足とを結びつけて報じていた新聞は、産経と毎日であった。いつものように正義の味方スイシンジャーの振りで大げさに見えを切る産経さんに対して、毎日には「子どもたち」というこわもてオヤジにはまねのできない武器がある。 . . . 本文を読む
原発の過酷事故が起こった時、『地元』がどうなるか、地元の人々がどのようにあつかわれ、どのように見捨てられるか、東京新聞にのった地元の人のなまなましく、いたいたしい証言をもう一度、いや何度でも読み返そう。そして再稼働に向けて、『同意』を求められる福井や他の原発立地自治体の『地元』の人々も、『国が責任を持つ』などという『政治判断』による甘言にのったが最後、いざとなったら自分たちがどのように切り捨てられるかということを、じっくりと考えなおそう。 . . . 本文を読む
野田政権は大飯原発再稼働にむけて、なりもふりも、恥も論理もかなぐり捨てた捨て身の猪突猛進で進もうとしている。御用メディアによる世論調査でさえ、再稼働反対が圧倒的である時、与党内部でも再稼働反対をとなえる集団があるとき、多くの国民がデモやが訴訟や申し入れで再稼働に反対するとき、周辺自治体が勝手なことをするなと詰め寄るとき、そして地元でさえ、こんどばかりはこんな話にのっていいのか、とためらいを見せるとき、野田首相の答えはこれだ:「どうせ何をやっても安全とは言えない、だから動かしていいのだ」と。
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東電福一原発事故から1年、日本ばかりでなく、世界各地で脱原発を求める行動が広がったが、その時、わが政府がご執心なのが、理屈抜きの原発再稼働。おまけに目くらましのがれき処理の全国分散。しかし、この原発マフィア政権といってもいい権力亡者たちがわき目もふらずに突進している足元から、いくつものほころびが出てきている。 . . . 本文を読む
大飯原発の再稼働に向けて、地元と保安院の動きが急だ。保安院は歴史的な『原発ゼロの日』の到来を何としても避けるべく、そそくさと安全委員会を開催して、大飯原発再稼働の手続きをごり押しする一方、伊方原発の一時評価を妥当とし、さらに、4月に予定されていた泊原発の定期検査入りを5月に延期した。原発がなくても世の中は動く、という事態が現出し、人々の姿勢が意識下で変わってゆくことが何としてもオトロシイのだ。 . . . 本文を読む