福島原発事故メディア・ウォッチ

福島原発事故のメディアによる報道を検証します。

Political world : 『脱原発』という民意が反映されることのない仕組み

2012-12-03 17:22:54 | 新聞
 選挙が近づいた。多くの人が、この選挙が脱原発にとって、そしてそれ以上に、私たちの未来にとって重要であると感じている。多くの人が、また、脱原発を当然のこととして実現し、それを手はじめに他の面でも類似の変化がおこってゆくことのはじまりとして、この選挙が役に立ってほしいと願っている。それと同時に、また多くの人々が、政治家たちの表面的で、これみよがしな『脱原発姿勢』のアピールに不信感を表明する。当然だ。票のためにその場限りの公約やマニフェストやアジェンダ等々を乱発する一方で、原発事故のように、私たちがほんとうに援助を必要とし、それに頼らざるを得ない時には、私たちを平気で放置し見捨てるのが政治家だ、ということを私たちは311以来、思い知ったからだ。
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だから、「マニフェスト=嘘」と取られる(民主党幹部がそう言っているそうだ)というていたらくの民主党の党首が、

『野田佳彦首相は十九日夜(日本時間同)、訪問先のプノンペン市内で同行記者団と懇談し「原発稼働ゼロ」を含むエネルギー政策を最大の争点に衆院選を戦う考えを表明した。「原発ゼロの方向感で日本のかじ取りを行うのか、現状維持を惰性で続けるのか。あるいは、脱原発と原発維持派が混ざって方向感のない政治になるのかの選択になる」と述べた。』

大風呂敷を広げても、いったいだれが信じるのか。大飯再稼働をめぐる二転三転のごまかし、原発依存に関する国民調査時における圧倒的『脱原発』の民意を、その後数か月の会議プロセスでうやむやにしてしまった彼らが、よもやそんなこともあるまいが、もしまた政権に着いたら、同じうやむや方式で『原発再稼働の嵐』が吹き荒れること、必至だろう。こんなことは、言わなくてもみんな知っている。だから、民主党のごまかしは今度はもう作用しない。

数日前、私の家のそばを、異様な街宣車が通りかかった。滋賀県の自民党の宣伝カーだ。いわく、『侵されようとしている領土を何としても守る』のだそうだ。それしか言わない。気分はもうファシスト。「郊外の閑静な住宅地」の優雅なボスママたちは、この国粋自民党のあまりの露骨さにへきえきしたか、それとも、「すわ、我もいざ立たん!」と気合が入ったか、私は知らない。Days Japanのコラムの斉藤美奈子氏の指摘をまつまでもなく、わが国の領土は、遠海の無人島とは比較にならない規模で、福島ですでに失われてしまった。しかし、士族の不満のはけ口となる征韓論、経済恐慌と労働運動激化の時に持ち出された「満蒙は日本の生命線」と同じく、わが国体の危機の時には、目をあいつらの土地に向けさせ、征服と暴力の、血のようにあたたかい幻想をかき立てるに限る。この領土ネタを作り出した張本人は、むろん、原発事故以後の「政治不信」やデモなどの「大衆運動」の盛り上がりにかっこうな目くらましを用意するつもりだったのだろう(というか、考えなくてもそういう反射が起こるのだろう)。その、世界に名高いthe racist governor of the great metropolitanと組んだ、これもまたなんだかきな臭い『御維新』の橋下組長は、集客向けの『脱原発』を、都知事様の意向をくんで取り下げてしまった。

ところが後述する『脱原発勢力の結集』を受けて、御維新のご誓文には脱原発の装いが復活させられ(産経新聞から『「大衆迎合」が気がかりだ』としかられちゃった!)、さらにそれをまた狂乱老人の石原が、代表の資格で否定するという、狂騒ぶりだ。

そして、超客観的かつ純粋に厳正中立な御用メディアによる世論調査では、こうしたグロテスクな勢力、保守政治の伝統からしても病的にこわれている連中に国民の支持が集まっているのだという。

これまた政治家としてこわれているのを見せつけた野田以下の民主党が、国家国体のために「政治の停滞は許されない」とばかり、安倍・石原・橋本らと大同団結するのも目に見えている。原発は軒並み再稼働、活断層など知ったことか!そして、それだけではすまないのではないか。

原発事故が日本の転換点になるのではないか、と感じている人はたくさんいる。私もそうだ。私の場合、その感覚は、こんな悲観的なトーンといっしょにやってくる。これだけの事故を起こし、これだけの人々の生活を破壊し、(すでにその残酷な兆候が見えているように)人々の健康を奪い、それこそ国土の十全性をあっけなく失ってしまった後になっても、なおかつそれまでと同じ体制がのほほんと居直ることができるなら、この連中、すなわち原発マフィアに代表される政官産学報の連合体は今後何をすることもできる。何が起こっても責任を逃れることができる。原発はもとより、原爆から戦争まで本気でできる。戦争は絶好の失業対策にして景気浮揚策。財政が破たんして年金がなくなったってオレたち政治家や官僚のせいではない。甘やかされた若者がダラダラしているせいだ、こいつらを砲声とどろく銃弾の下できたえなおせ!そうすれば100ミリシーベルトがどうのこうのなどという軟弱な精神は(おお、肉体とともに!)淘汰され、正しい日本精神が涵養されるだろう…。

ほんとうにこんなことにならないという保証はまったくない、と私は思う。そしてそのきっかけが、原発をやめることができるのか、やめさせることができるのか、にかかっているのではないか。

その点で、もちろん今回の選挙は重要だ。ただ、民主党の「原発稼働ゼロ」に代表される選挙向けの言いっぱなしにだまされてはいけない。政治家はだます。だから、情報を集めて『選挙後に「ころっ」と考え方を変え』るようなやつを、断固排除しなくてはならない。そのための情報提供している人たちもいるし、政治家の脱原発通信簿のようなものを記事にする新聞もある。

脱原発派は、中小政党乱立で、選挙協力がなければ小選挙区では不利だ、という指摘は以前からなされていた。そんな中で、滋賀県知事の嘉田由紀子氏を中心として、『脱原発新党』が結成されたというニュースは、とりあえずはポジティブにとらえていいだろう。

だが、私はそれでもこの『脱原発新党』が躍進すれば、それで原発がなくなる、とはどうしても思えない。大飯原発再稼働が問題になった時も、嘉田知事の姿勢はどう見ても「脱原発のジャンヌ・ダルク」なんてかっこうのいいものではなかった。火あぶりになってもやります、という狂信的(と敵側が揶揄し恐れるような)コミットメントはなかった。『まっすぐに、しなやかに』というのが嘉田氏のモットーだそうだが、なるほど、しなやかさの実例は何度も拝見させていただいたが、『まっすぐに』のほうがどうなのか、滋賀の地元住民で、彼女のやり方を最初の知事選前から知っているものにとっては、疑問符が付く。たとえば、この秋の解散前の10月、嘉田知事は、6月には大反対していた大飯原発の稼働を『認めるしかない』と『軌道修正』した。原発推進の読売がうれしそうに報道しているのを、全文引用してみよう(読売だから嘉田氏に不利なことを誇張している、とあなたは考えますか?私は逆で、対敵的なメディアが揚げ足取りの方向に出たときこそ、有効な情報が得られる気がします。原発事故初期には朝日・毎日より、民主党嫌いの読売・産経のほうに有益な情報が多かった)。

『大飯稼働「認めるしかない」滋賀知事が軌道修正
 滋賀県の嘉田由紀子知事は16日の定例記者会見で、関西電力大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)の稼働について「現状では認めるしかない」と述べ、従来の慎重姿勢を大きく軌道修正した。 橋下徹・大阪市長が稼働に否定的立場を取っていることについても「現実的とは思えない」と批判した。 嘉田知事は大飯原発の再稼働後も「安全基準は暫定的で、一刻も早く再審査に臨んでほしい」などと主張していた。ある県幹部は「関電と原子力安全協定の締結に向けた協議を進めている今、再稼働の議論をしても仕方がないとの考えがあるようだ」と話した。(2012年10月16日13時28分 読売新聞)』


だからといって私はこの『脱原発新党』に期待しない、と言っているのでも、信用できないから投票しない、と言っているのでもない。ただ、公約だのマニフェストだのを掲げる勢力が多数派を占めれば、世の中が変わると思ってしまうのは、それ自体が政治的なひっかけにやられている、ということを忘れてはならない。それこそ、今度の民主党の政権交代がよく示したのではなかったか。たとえ『脱原発新党』が一定の政治勢力となっても、彼らが今言明していることを忠実に、それこそ政治生命をかけてやるとは限らない。いや、そんな覚悟をもっているやつはまずほとんどいない、と計算しておいた方がいい。彼らの前には、主権在官と言われる官僚機構をはじめとする原発マフィア複合体が控えている。そしていったん権力が衝突する政治の表(裏?)舞台にあがったら、政治家のすることは彼ら自身にも予想がつかない。政治家はだまし、ごまかし、隠ぺいする。脅しては、また懐柔する。政治家に妥協・取引・変節・裏切りはつきものだという。それを、現実的に行動するとか、リアルポリティークとか、しなやかさ、とか言い訳を重ねることになる。

だからこちらに必要なのは、まずどんなにうまくいっても、投票だけでは原発はなくならない、ということを肝に銘ずること。そして、政治家たちに『現実的な選択』をさせないために、奴らが保身のための政治的曲芸をしなくてもすむように、こちらから脱原発の現実を作ってゆくことだろう。デモもする、署名もする、ネットに発信もする、原発の電気は使わない、要するに、肥田舜太郎氏や矢ヶ崎克馬氏が内部被ばくの防止について言うのと同じく、『できることはすべてやる』のだ。これを岩上安見編の『百人百話第1集』、第28話で『佐藤知事、映像によく映りますよね。映像は嘘をつかないというか、本当に怒ったようには映りませんね、東電のことを言う時に。』と政治家の政治的演出を見抜いていた「原発いらない福島の女たち」の黒田節子さんはこう表現する

『決定打がないなら、やれることをやっていくしかない。どんな状況になろうともあきらめることなく、声を上げ続け、できることを一つずつ誠実にやっていくだけです』

これと一見、同じようなことを小熊英二氏はその著書:『社会を変えるには』で言っている。小熊氏は『ないがしろにされている』と感じている私たちが代表制民主主義を活性化させるために、デモにいったり、社会的発言をしたり、政治家などに働きかける『ロビイング』したりするのをすすめている。

『政治家や官僚の人とも、話をするのはいいことだと思います。そういう大変な仕事をする人は、もともとは、人のために何かやりたいと思っていた人たちです。しかしやりたいことを達成するためには当選しなければならない、とか思っているうちに、目的と手段を混同することがあります。その場合には率直に、「あなたは本当にそういうことがやりたくて政治家になったのですか」と問えばいいでしょう。たいていの人は、悪いことと自覚しながらそれができるほど、強くはありません。政治家や官僚は悪魔ではありませんが、神様でもありません。・・・政治家には政治家の事情や限界があります。お互いに相手を理解し、対話の能力をつけて、ともに作っていく姿勢は大切です。無原則な妥協は必要ありませんが、不可能なことは要求しないで、こちらから何ができるか提案し、相手の協力を引き出しましょう。』(490-491ページ)

嘉田由紀子知事様も喜んで拍手してくれそうな優等生・小熊生徒会長君の社会参加には、黒田さんはじめ福島の事故で生活を破壊された人々の痛恨や、御用メディアによる情報統制下におかれた私たちが、福島の人々や自分自身について、怒りと恐れとともに得た教訓が生きていない。すなわち、国家、そして、その官僚や政治家は、彼ら自身の利益と一体化した国家の政治経済的利益のためには、私たちの生命や生活基盤などなんのためらいもなく犠牲に供するという、驚くべき、だが歴史的には常に不変な事実である。

小熊氏のおすすめを、わたしならこう書きかえる。よい子はまねしないように!「ことさらにエリート不信を植え付けるポピュリズム」とか言われて、小熊先生にしかられるよ。

『政治家や官僚の人とも、話をするのはいいことだと思います。ただ、忘れてはならないのは、そういう権力な仕事をする人は、もともと、人のために何かやりたいというよりは、人を支配したいと思っていた人たちです。そして、やりたいことを達成するためには、試験に合格したり、当選したり、出世したりしなければならない、とか思って戦っているうちに、支配と操作という目的と手段が混然一体となってもはや自分の人格と混同されてしまうことさえあります。その場合にはどんなに皮肉を込めて、「あなたは本当にそういうことがやりたくて政治家になったのですか」と詰問してもむだでしょう。だいたいの奴らは、悪いと分かっていることをやり通すのがりっぱな政治だと強がっています。政治家や官僚は、悪魔であればあるほど天使の顔を見せるようになります。・・・政治家には政治家の事情や限界があります。その利権やメンツのツボを理解し、対話の能力をつけて、相手に損はさせないよ、という政治家のお株を取った姿勢を見せるのは大切です。無原則な妥協など、絶対にしてはいけません。不可能だと、言われても引きさがることなく、こちらから何ができるか提案し、それにのることが相手の利益にもなるということをにおわせて、相手の協力を引き出しましょう。』

500ページほどの中に、戦後日本の社会運動の変遷から、プラトンからギデンズまで、2500年にわたる社会思想史を詰め込んだ、お買い得なこの本には、しかし不思議なことに、国家や権力の恐ろしさをお話ししてくれたところがない。なんだか気持ちの悪い読後感のあるこの本の奇妙な性格も、これが学問的知の長広舌に埋め込まれた一種の政治文書であると理解すると、すっきり納得がゆく…。

政治という『ヤクザな世界』の情報収集は気が重い。そうした時に、山本太郎氏の選挙立候補の話題は気持ちよかった。私は、ずっと前、今年の春あたりから、この人が野田の選挙区で野田を敗戦に追い込んでくれないかと、思っていた。しかし、どうやら現状では千葉には有力な反野田候補がいるらしいから、それなら、原発ゼロのシナリオを退けるときに、『野党の国民運動じゃない。政治をやってるんだ』と、強がっていた仙谷由人の選挙区はどうだろう。政治ゴロを、投票という政治で打ち破ったら、『政治をやってるんだ』と威張ってやれるんですがね。

注:“We live in a political world. Love don’t have any place”(おれたちは政治が支配する世界で生きている。愛の入り込む余地はない)と歌ったのはBob Dylan. 歌詞U-Tubeあり。

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