福島原発事故メディア・ウォッチ

福島原発事故のメディアによる報道を検証します。

♪逃げた女房にゃ未練はな~いが~:東京新聞が懸念なく風化させる「逃げた人々」

2015-02-14 18:07:16 | 新聞
東京新聞は原発報道では定評がある。政権翼賛新聞はもとより、日和見的に御用化した大手全国紙には望めない切り込みもあった。2012年には「果敢なるジャーナリズム精神」という評価で、東京新聞の原発報道は菊池寛賞も受賞している。では、この新聞は常にすべてのページで果敢なる反原発精神を発揮しているかというと、どうもそうはいかないらしい。

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2015年2月10付け東京新聞一面に福島原発事故関連の記事がのった。原発関連記事が一面を飾るのは、今でもこの新聞では珍しくない。しかし、今回のは、少しトーンが違う。東電福一原発の状況でもない、規制庁のズサンかつ狡猾かつ傲慢な再稼働政策への批判でもない。経産省のなりふりかまわぬ原発延命政策の暴露でもない。

「震災被害の風化が懸念される中、福島の人たちを招き”被災地の今”を都会に届ける試みを続ける作家」
の活動を紹介したこの記事は、「メディアやネットでは得られない、現地の空気感」を伝えるという作家を取り上げることで、自分がメディアを超えた情報の迫真性と誠実性を持っているかのようにふるまう。冒頭の数段落を通して、この「ホンモノ志向」はさらに強調される。すなわち、この作家は、

メールマガジンや雑誌などで現地の声を伝えてきたが「道路や建物など見かけの復興は進むが、人の暮らしの問題はより個別になり見えにくくなっているのではないか」との思いとともに「私の言葉を通すと、何かが違う」と感じたのが会を始めた理由だ。

では、「被災地の今」を、「現地の空気感」を語る「福島の声」が都会に届けるメッセージとはどんなものか。

「放射能で死んでもいいから、パパと一緒にいたいと言われた」。昨年十二月の会では、原発から二十数キロ圏内の南相馬市に住むNPO法人に勤務する三十代の男性が事故後の家族の苦しみを話した。岩手県内の妻の実家へ避難させた小学一年生の娘が、離れ離れになることに泣いたという。

原発事故がもたらした家族の困難は悲痛だ。放射能汚染に直面してごく当たり前の家族の日常が破壊されるとき、決して単純ではない諸問題が押し寄せて当事者はジレンマに引き裂かれる。絶対に風化させても忘れてもいけない事実だ。しかし、これを語るこの記事には原発事故の不条理に対する怒りや事故の被害者への共感とは異なったものがあらわれてくる。これらのことばが語られる「トークの会『福島の声を聞こう!』」には、「福島に住む人たち」が招かれている。・・・・そう、どうやら避難した人はお呼びでないらしい。この会を組織している作家、渡辺一枝氏は、

「外から『そんな所にいないで安全なこっちにおいでよ』と言うのは簡単だけど、それでいいのかな」

という思いでこの会を開き、その記録を本にしたのだという。だから、「放射能で死んでもいいから、パパと一緒にいたいと言われた」おとうさんも、「妻の実家へ避難させた小学一年生の娘が、離れ離れになることに泣いた」おかあさんも、将来、死ぬかどうかはわからないにしても「ただちに健康に影響の出る値ではない」放射線環境で子どもたちと生きているのだ。確かに、今の福島では、たくさんの人が、子どもたちや自分の健康に不安を抱えながら地元にとどまらざるを得ない生活を余儀なくされているだろう。しかし、その一方で、県外に避難して、そこで同様に不安と困難を抱えて生活している人も、事故後4年目が近づく今もおよそ12万人もいる

こうした人々を、渡辺氏や東京新聞はここでは考慮していないようだ。それどころか、「福島の声」を聞く「都会」の人々に対して、「外から」「安全なこっちにおいでよ」と言って避難をすすめたり、避難の援助をするような行為を、「それでいいのかな」とたしなめている。渡辺氏はさらにそういう軽率な都会人を追い込む。

「現地では食べ物の安全に気を付けて子どもを守ろうとしているし、過疎化した地域を支えていこうと頑張っている。これからの闘いは、普通の生活の中にあるんじゃないかな」

放射能のなかでも、「気を付けて頑張って」生きてゆくのが「普通の生活」なのだ。普通のための「闘い」なのだ。ふるさとを見捨て、泣く子を引き離し、「死んでもいい」とまで言ってくれるけなげな娘と離ればなれになる避難生活は、人間的でない異常な生活なのだ。

善意とコミットメントの装い、特権者の謙虚な献身、やわらかで都会的に洗練されたボスママ話法の陰で、この渡辺氏はどうしてこうまで「逃げた者」に対して冷酷なのだろう。(渡辺氏は人気作家の奥様だそうだ。記事は「夫で作家の椎名誠さんも陰の協力者。「毎月福島に行く私を快く送り出してくれる」と明かす。」と文化的に洗練された人々の「普通の生活」のあたたかさを描き出すことを忘れない。)

時あたかも、政府が音頭を取る除染と帰還の大合唱が、原発再稼働と歩調を合わせて進行する時、渡辺氏が振りかざすこの「普通の生活」、残ったものと帰ったものにだけ許される特権としての「普通」とはいったいどういう意味があり、どういう意図のもとに東京新聞の一面を飾っているのだろう。

それを考えるのに、たとえば、特定避難勧奨地点の解除と、それにまつわる帰還のニュースを参照してみよう。


東京電力福島第一原発事故に伴う南相馬市の特定避難勧奨地点が解除され、28日で1カ月を迎える。放射線に対する住民の不安は十分に解消されておらず、帰還は進んでいないとみられる。
■支援策継続求める声
 指定が解除された南相馬市原町区馬場の住宅に暮らす無職男性(68)は「状況は何も変わらない。息子たちはまだ戻っていない」と寂しげに話す。
 東日本大震災と原発事故前は母、妻、長男夫婦、孫2人の7人で生活していた。勧奨地点に指定された後、一家で市内の借り上げ住宅に避難したが、指定が解除されると知らされ、昨年10月に妻、母とともにわが家に戻った。
 だが、自宅付近の放射線量は市内の他地域に比べて高く、毎時3マイクロシーベルトを超える場所がある。再除染の見通しは立っておらず、長男一家は自宅に戻ることをためらっている。男性は「また一家で安心して暮らしたい」と切実な思いを打ち明けた。
(福島民報2015年1月27日)

長男一家よ、年老いたおじいちゃん、おばあちゃん、ひいおばあちゃんを過疎化するふるさとに置き去りにしていいのかな、と渡辺氏は言うのだろうか。

付録:
①渡辺氏が組織する会に、今度は、
「講演者は福島県に通い、廃棄物問題に詳しい長野県中野市の環境学者、関口鉄夫さん。」をお招きするらしい。私はこの人の話を10年ばかり前に聴いたことがある。大変、悪い-不気味で不快な-印象を持った。この市民学者は、確かに権威筋の学者や行政を声高に非難したりする。しかしそれと同時に、彼が非難する人々とまったく同様に専門的知識に関する大衆の無知と、身勝手な思考・言語・行動を批判する。権威筋のテクノクラートになれなかったルサンチマンを秘めながら、この市民学者は、「市民レベル」でのテクノクラートをめざしつつ、市民運動に「科学的権威」をふるいたがっているように感じた。こういう人と気が合うということも、「震災後、何かできることはないか探し、一一年八月から福島県南相馬市や飯舘村に毎月通い、地元のボランティア組織を手伝って物資を配達。仮設住宅で暮らす女性に手芸の講習会なども開いた」という渡辺氏のモチベーションの一面を明らかにしてくれるのではないか。

②この一面記事を書いた東京新聞記者は、鈴木久美子という人だ。この人は、過去に、原発記事の記録がない。どんな記事を書いているかというと、
「堀部安兵衛」名乗り手紙 泉岳寺マンション建設反対派に:社会
「むにゅ」の触感 楽しむアート 千代田でワークショップ:東京
東西線高架下に植物工場 1月から試験栽培:東京
<桜だより>千鳥ケ淵 東京タワーと一緒に:東京
泉岳寺マンション問題 「建築確認違法」住民が審査請求:東京
七夕のキャンパス 彩り涼やかに:東京
500本のろうそく 平和への思い灯す 港区 キャンドルナイト@増上寺:東京
500人の氏子ら 都心を練り歩く 日枝神社神幸祭:東京


などというところで、軽いものが多い。どうしてこの人に原発関係の記事を一面に書かせたのだろう。一方で、原発記事や政権批判で定評のある『特報部』のデスクメモには、「特報部だけが孤軍奮闘か」という悲壮なコメントもあった。東京新聞の内部でもいろいろなことが起こっているに違いない。特報部がんばれ!

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