浜岡原発の停止を政府が要請した。福島原発事故の収束と、福島の人々に対するまっとうな対策を求めつつ、日本そして世界の脱原発を願うものにとって、わずかながら貴重な前進である。さて、日本の原発の今後にも大いに影響を持つと考えられるこの出来事を大新聞はどのように報道したか。
政府の声明の第一報の後、各紙とも注目したのが、中部電力の反応とともに、「今後の電力・経済見通し」であった。各紙とも、オオカミが来るぞ!の大合唱。浜岡停止は電力不足を招き、計画停電を余儀なくさせ、企業の生産性を低下させて海外移転をも誘発し、経済を低迷させる。さらに「東日本大震災で打撃を受けた生産の復旧への影響は避けられない」(毎日)と復興の遅れをも示唆する。「計画停電」のいかがわしさ、つまり、その目的がまず第一に、仮定され、想定され(想定外はないのか?)、虚構された電力不足の恐ろしさを印象づけ、「原発のない生活の不可能性」を演出するこであることは、ArecoNote3有田氏の記事がよくわからせてくれる。大新聞には、こうした原発利権財界コネクションへの批判の視点は恥ずかしいことにみじんもない。例えば、毎日新聞は、
『中部電の水野明久社長は・・・「三つの原子炉が止まる状況になれば、電力不足になりかねない」と懸念を表明。・・・同社幹部は「計画停電などをお願いする可能性もある。東電に融通している電力供給にも影響が出る恐れがある」と話す。・・・中部電管内は、トヨタ自動車、ホンダ、スズキなどメーカーの生産拠点が集積する。東電管内の電力不足を受け、・・・中部電管内に生産の一部移管を進めるメーカーもあった。それだけに、政府が突然、浜岡原発の全面停止を求めたことに、「中部まで計画停電になるのでは困る」(大手自動車幹部)と反発や戸惑いが広がる。』
大変だ!東電の供給がすでにずたずたなのに、この上、「安全でクリーンな」原子力の電力がなくなっては、やっていけません。「経済界からは「東日本大震災で生じた生産の混乱が長期化・拡大する可能性がある」と反発の声」、それに「企業は生産を海外に移さざるを得なくなる」(日本経団連幹部)との悲鳴も上がる」のだそうだ。これは「悲鳴」ではなく「脅し」ですね。
財界であろうと、企業であろうと、一般の市民であろうと、今回の震災+原発事故を経てなお、去年までと同じ生活・生産活動を何の障害もなくできると考えるのは無理ではないのか。足りないことが出てきたら、誰であろうと、それに対応するだけだろう。それに、足りないことを足りるようにすることが、つまり復興ということではないのか。それを、何もなかったかのように今までと同じかそれ以上の儲けを狙うために、絶対に原発の電力がいるんじゃい!、と息巻くとはどういうことか。なるほど、一部には、復興需要がある今こそ絶好のチャンス、業務拡大で一旗揚げてやろうというカタストロフ・ビジネスマンもいるだろう。しかし、「経済界」の大勢は、震災・原発事故への対応がどうのこうのという以前に、まず「原発を守れ」という大目標に従っているのではないか。仮に、本当に電力が不足するというなら、代替エネルギーの開発・供給などで、その不足状況こそが格好のビジネスチャンスにないうるではないか。しかしそうはいかない。まず原発ありき。原発の存続ありき。原発マフィアは、新しい方向に舵を切る実業家を徹底的につぶしにかかるだろう。
新聞による「電力不足」世論形成過程を見事に示している例がある。つぎの朝日新聞の三つの記事、朝日A(7日7時59分)、朝日B(7日10時46分)、朝日C(7日11時29分)をぜひ読み比べていただきたい。朝日が公式見解=記事C(署名記事)に至るまでに、記事Aにあった以下の記述をなぜ削除したか、興味深い。
『ただ、夏のピークに必要な電気も、震災前にはじいた数字。多くの工場で稼働率が落ちる今夏、試算通りの電気が必要になることはない。実際、浜岡原発は2009年夏にも全3基が停止したが、リーマン・ショック後の生産活動の停滞で乗り切った。』
『中部電の供給電力に占める原発の割合は20%に満たず、政府内には「浜岡を止めても何とか電力はまかなえる」との計算も働いた』
もうひとつ、電力不足(仮にそんなものが本当にあるとして)の現実に対して、ふだんは「国民の一致団結」を説くナショナリストの皆さんはどうして黙っておられるのだ。そもそも今度の震災は、大東亜戦争以来の未曾有の国難ではなかったのか。例えば、『地震、津波、原発という三重の苦難。日本人としてこの国難をいかに乗り越えるか。わが祖国をしっかりと再建しようという思いは誰もが共有するものだ。』と、おっしゃる平成の大日本防国婦人会会長・櫻井よしこ氏あたりに「わずかばかりの電力の減少がなんだ、経団連ともあろうものがだらしがない。焼け跡から不死鳥のように高度経済成長を成し遂げたわがニッポン民族の誇りはどうした」と企業家やマスコミをお叱りになっていただけないのか。
原発マフィアは国際的である。浜岡原発停止がもたらす「国際的」帰結、インターナショナル・原発・シンジケートから総スカンを食ったり、文句を言われたり、利権を引き上げられたり、おこぼれをもらえなくなったりすることを、ヒジョーに(財津一郎さんの口調で言ってほしい)懸念しているのは、櫻井亡国婦人もご常連の産経新聞である。見出しからしてすごい、「「海外に誤ったメッセージ」原発放棄、信頼は失墜」とくる。
『環境問題やエネルギー安全保障の面から「化石燃料だけに依存できない」としてきた日本の原子力政策は真っ向から否定され、関係者に衝撃が走った。菅直人首相が自ら原発を捨て去ったことに、監督官庁の経済産業省幹部からも「海外に誤ったメッセージを送りかねない」との声が上がった。・・・東京電力福島第1原発の事故を受けても、米国のオバマ大統領が推進政策の堅持を表明するなど、原子力推進という海外の流れは変わっていない。そのような中で発せられた「原発放棄」に、ある経産省幹部は「これまでの日本の原子力行政への信頼が失われ、誤ったメッセージを世界に送りかねない」と危惧を強めた。』
浜岡原発停止はまさに亡国の政策というわけだ。利権に国境はない。万国の原発推進者よ、団結せよ!
第二の点。浜岡原発停止は、静岡県知事はじめ周辺自治体から歓迎された(読売記事)。ただひとり、大変ご不満な方がいらっしゃる。浜岡原発の立地自治体・御前崎市の市長さんである。
『これに対し、原発が立地する御前崎市の石原茂雄市長は、「突然の話で、驚いている。言葉もない。・・・」と憤まんやるかたない様子。さらに「4、5号機を止めるなら、日本の全原発を止めなくてはならない。日本の原子力行政すべてを見直してほしい。・・」と批判は止まらない。』
「日本の全原発を止めなくてはならない」という市長さんのこの主張(私も賛成だ)は、8日19時のNHKニュースでも取り上げられた。
自治体間の反応のこのコントラストはいったい何を意味するか。言うまでもない、金である。毎日新聞は、以下の御前崎市長の発言を伝え、
『「原発交付金に依存する自治体財政はどうなるのか、困惑を通り越してあっけに取られるばかり。・・・国策に従い原発を受け入れてきた自治体はどうなるのか・・・」と怒りをあらわにした。』
さらに「税収ダウン」や「地元の雇用」を心配する「建設業」者や「水道業」者の声を取り上げていた。原発の地元は、原発由来の金でがんじがらめになっている(参照)。一方、ふだんからそんな金の恩恵を受けていない周辺自治体は、いったん事故あるときは、放射能が自分たちの自治体にも直接の被害をもたらすことを福島事故から学んだのだ。
最後に、いつものトリビアを付け足しましょう。社会的に重大な影響がある政治的な「爆発的事象」が起こると、それを歓迎しない向きは、原発の爆発のときと同じように、事象を「極小化」したがる。ここで用いられるのが、どんなに重大な決定でも、しょせんはあくどい政治家連中の政治工作のたまものなのだ、という一部は庶民の大切な知恵とも交錯するシニスムである。これは、読売さん・産経さんのお得意。
『菅首相が6日、中部電力浜岡原子力発電所の全面停止要請という異例の措置に踏み切ったのは、国民の原発に対する不安感を軽減し、東日本大震災対応の不備で失墜した政権の信頼回復につなげる狙いがある。ただ、政府内で十分に検討された形跡はなく、支持率低迷に苦しむ政権が反転攻勢のために繰り出した苦肉の策との見方も出ている。』
『菅直人首相が中部電力浜岡原子力発電所の全面停止を唐突に打ち出した。実は原発差し止め訴訟によるダメージを恐れただけのようだ・・・そもそも浜岡原発に関心があったわけではない。2日に福島瑞穂社民党党首から「ぜひ浜岡原発を止めてくださいね」と迫られた際は「ヒャッハッハッ…」と笑ってごまかした。だが、首相は同日夕、福島氏から弁護士グループが浜岡原発差し止め訴訟を準備していることを電話で知らされる。「次のターゲットは浜岡原発だ」。やっと気付いた首相は、海江田万里経産相に浜岡視察を命じ原発停止に動き出した。』
3月末まで、福島の原子炉が大変危機的な状況にあった時、政府諸機関・東電の発表等に、きちんと突っ込みを入れていたのは、この二紙であった。毎日・朝日よりよほど率直であった。それが何のためであったか、少なくとも、読売・産経が、放射能被害から私たちを守ろうとしていたわけでもなく、原発推進社会を批判していたわけでもないことが、いまさらながら、はっきりした。
政府の声明の第一報の後、各紙とも注目したのが、中部電力の反応とともに、「今後の電力・経済見通し」であった。各紙とも、オオカミが来るぞ!の大合唱。浜岡停止は電力不足を招き、計画停電を余儀なくさせ、企業の生産性を低下させて海外移転をも誘発し、経済を低迷させる。さらに「東日本大震災で打撃を受けた生産の復旧への影響は避けられない」(毎日)と復興の遅れをも示唆する。「計画停電」のいかがわしさ、つまり、その目的がまず第一に、仮定され、想定され(想定外はないのか?)、虚構された電力不足の恐ろしさを印象づけ、「原発のない生活の不可能性」を演出するこであることは、ArecoNote3有田氏の記事がよくわからせてくれる。大新聞には、こうした原発利権財界コネクションへの批判の視点は恥ずかしいことにみじんもない。例えば、毎日新聞は、
『中部電の水野明久社長は・・・「三つの原子炉が止まる状況になれば、電力不足になりかねない」と懸念を表明。・・・同社幹部は「計画停電などをお願いする可能性もある。東電に融通している電力供給にも影響が出る恐れがある」と話す。・・・中部電管内は、トヨタ自動車、ホンダ、スズキなどメーカーの生産拠点が集積する。東電管内の電力不足を受け、・・・中部電管内に生産の一部移管を進めるメーカーもあった。それだけに、政府が突然、浜岡原発の全面停止を求めたことに、「中部まで計画停電になるのでは困る」(大手自動車幹部)と反発や戸惑いが広がる。』
大変だ!東電の供給がすでにずたずたなのに、この上、「安全でクリーンな」原子力の電力がなくなっては、やっていけません。「経済界からは「東日本大震災で生じた生産の混乱が長期化・拡大する可能性がある」と反発の声」、それに「企業は生産を海外に移さざるを得なくなる」(日本経団連幹部)との悲鳴も上がる」のだそうだ。これは「悲鳴」ではなく「脅し」ですね。
財界であろうと、企業であろうと、一般の市民であろうと、今回の震災+原発事故を経てなお、去年までと同じ生活・生産活動を何の障害もなくできると考えるのは無理ではないのか。足りないことが出てきたら、誰であろうと、それに対応するだけだろう。それに、足りないことを足りるようにすることが、つまり復興ということではないのか。それを、何もなかったかのように今までと同じかそれ以上の儲けを狙うために、絶対に原発の電力がいるんじゃい!、と息巻くとはどういうことか。なるほど、一部には、復興需要がある今こそ絶好のチャンス、業務拡大で一旗揚げてやろうというカタストロフ・ビジネスマンもいるだろう。しかし、「経済界」の大勢は、震災・原発事故への対応がどうのこうのという以前に、まず「原発を守れ」という大目標に従っているのではないか。仮に、本当に電力が不足するというなら、代替エネルギーの開発・供給などで、その不足状況こそが格好のビジネスチャンスにないうるではないか。しかしそうはいかない。まず原発ありき。原発の存続ありき。原発マフィアは、新しい方向に舵を切る実業家を徹底的につぶしにかかるだろう。
新聞による「電力不足」世論形成過程を見事に示している例がある。つぎの朝日新聞の三つの記事、朝日A(7日7時59分)、朝日B(7日10時46分)、朝日C(7日11時29分)をぜひ読み比べていただきたい。朝日が公式見解=記事C(署名記事)に至るまでに、記事Aにあった以下の記述をなぜ削除したか、興味深い。
『ただ、夏のピークに必要な電気も、震災前にはじいた数字。多くの工場で稼働率が落ちる今夏、試算通りの電気が必要になることはない。実際、浜岡原発は2009年夏にも全3基が停止したが、リーマン・ショック後の生産活動の停滞で乗り切った。』
『中部電の供給電力に占める原発の割合は20%に満たず、政府内には「浜岡を止めても何とか電力はまかなえる」との計算も働いた』
もうひとつ、電力不足(仮にそんなものが本当にあるとして)の現実に対して、ふだんは「国民の一致団結」を説くナショナリストの皆さんはどうして黙っておられるのだ。そもそも今度の震災は、大東亜戦争以来の未曾有の国難ではなかったのか。例えば、『地震、津波、原発という三重の苦難。日本人としてこの国難をいかに乗り越えるか。わが祖国をしっかりと再建しようという思いは誰もが共有するものだ。』と、おっしゃる平成の大日本防国婦人会会長・櫻井よしこ氏あたりに「わずかばかりの電力の減少がなんだ、経団連ともあろうものがだらしがない。焼け跡から不死鳥のように高度経済成長を成し遂げたわがニッポン民族の誇りはどうした」と企業家やマスコミをお叱りになっていただけないのか。
原発マフィアは国際的である。浜岡原発停止がもたらす「国際的」帰結、インターナショナル・原発・シンジケートから総スカンを食ったり、文句を言われたり、利権を引き上げられたり、おこぼれをもらえなくなったりすることを、ヒジョーに(財津一郎さんの口調で言ってほしい)懸念しているのは、櫻井亡国婦人もご常連の産経新聞である。見出しからしてすごい、「「海外に誤ったメッセージ」原発放棄、信頼は失墜」とくる。
『環境問題やエネルギー安全保障の面から「化石燃料だけに依存できない」としてきた日本の原子力政策は真っ向から否定され、関係者に衝撃が走った。菅直人首相が自ら原発を捨て去ったことに、監督官庁の経済産業省幹部からも「海外に誤ったメッセージを送りかねない」との声が上がった。・・・東京電力福島第1原発の事故を受けても、米国のオバマ大統領が推進政策の堅持を表明するなど、原子力推進という海外の流れは変わっていない。そのような中で発せられた「原発放棄」に、ある経産省幹部は「これまでの日本の原子力行政への信頼が失われ、誤ったメッセージを世界に送りかねない」と危惧を強めた。』
浜岡原発停止はまさに亡国の政策というわけだ。利権に国境はない。万国の原発推進者よ、団結せよ!
第二の点。浜岡原発停止は、静岡県知事はじめ周辺自治体から歓迎された(読売記事)。ただひとり、大変ご不満な方がいらっしゃる。浜岡原発の立地自治体・御前崎市の市長さんである。
『これに対し、原発が立地する御前崎市の石原茂雄市長は、「突然の話で、驚いている。言葉もない。・・・」と憤まんやるかたない様子。さらに「4、5号機を止めるなら、日本の全原発を止めなくてはならない。日本の原子力行政すべてを見直してほしい。・・」と批判は止まらない。』
「日本の全原発を止めなくてはならない」という市長さんのこの主張(私も賛成だ)は、8日19時のNHKニュースでも取り上げられた。
自治体間の反応のこのコントラストはいったい何を意味するか。言うまでもない、金である。毎日新聞は、以下の御前崎市長の発言を伝え、
『「原発交付金に依存する自治体財政はどうなるのか、困惑を通り越してあっけに取られるばかり。・・・国策に従い原発を受け入れてきた自治体はどうなるのか・・・」と怒りをあらわにした。』
さらに「税収ダウン」や「地元の雇用」を心配する「建設業」者や「水道業」者の声を取り上げていた。原発の地元は、原発由来の金でがんじがらめになっている(参照)。一方、ふだんからそんな金の恩恵を受けていない周辺自治体は、いったん事故あるときは、放射能が自分たちの自治体にも直接の被害をもたらすことを福島事故から学んだのだ。
最後に、いつものトリビアを付け足しましょう。社会的に重大な影響がある政治的な「爆発的事象」が起こると、それを歓迎しない向きは、原発の爆発のときと同じように、事象を「極小化」したがる。ここで用いられるのが、どんなに重大な決定でも、しょせんはあくどい政治家連中の政治工作のたまものなのだ、という一部は庶民の大切な知恵とも交錯するシニスムである。これは、読売さん・産経さんのお得意。
『菅首相が6日、中部電力浜岡原子力発電所の全面停止要請という異例の措置に踏み切ったのは、国民の原発に対する不安感を軽減し、東日本大震災対応の不備で失墜した政権の信頼回復につなげる狙いがある。ただ、政府内で十分に検討された形跡はなく、支持率低迷に苦しむ政権が反転攻勢のために繰り出した苦肉の策との見方も出ている。』
『菅直人首相が中部電力浜岡原子力発電所の全面停止を唐突に打ち出した。実は原発差し止め訴訟によるダメージを恐れただけのようだ・・・そもそも浜岡原発に関心があったわけではない。2日に福島瑞穂社民党党首から「ぜひ浜岡原発を止めてくださいね」と迫られた際は「ヒャッハッハッ…」と笑ってごまかした。だが、首相は同日夕、福島氏から弁護士グループが浜岡原発差し止め訴訟を準備していることを電話で知らされる。「次のターゲットは浜岡原発だ」。やっと気付いた首相は、海江田万里経産相に浜岡視察を命じ原発停止に動き出した。』
3月末まで、福島の原子炉が大変危機的な状況にあった時、政府諸機関・東電の発表等に、きちんと突っ込みを入れていたのは、この二紙であった。毎日・朝日よりよほど率直であった。それが何のためであったか、少なくとも、読売・産経が、放射能被害から私たちを守ろうとしていたわけでもなく、原発推進社会を批判していたわけでもないことが、いまさらながら、はっきりした。