福島原発事故メディア・ウォッチ

福島原発事故のメディアによる報道を検証します。

殺されるか、それとも殺すか・・・放射能汚染水漏れにかこつけて権力がおしつける不可能な選択

2015-03-09 18:20:55 | 新聞
2月下旬、東電が福一原発の汚染水垂れ流しを1年以上も放置していた事実が報道された。
しかも、この無責任な垂れ流しの事実を、原子力規制委員会=政府も1年以上前から知りながら、放置していた事実も後を追って明らかにされた。こうした不祥事は、たまたま起こったことではない。ここには東電と政府の共謀的な無責任・先送り・ごまかし構造がある。
そして残念なことに、本当に残念なことに、この構造は今後もさらに増幅された形で、汚染と欺瞞を重ねてゆくに違いない。こんな恐ろしい状況を逃れるには、政府を変えて、はっきりと脱原発を決定し、東電に福一事故の責任を取らせることから始めるしかない。

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東京新聞20120225によれば、ひどいときには1リットル当たり1000ベクレルを超える放射能汚染水が「流量は一日当たり約千七百トンに上る計算になる」ほど外洋にされていたという。しかも、垂れ流しの事実は、2013年秋には規制委員会に報告されていたのに、その後、現在に至るまで、垂れ流しは、何の対策も検討も議論も公表もないままにひきつづいていた。

「原子力規制委員会は遅くとも二〇一三年十一月、東電から漏出の報告を受けていたのに、排水溝の付け替えなど有効な対策を明確に指示していなかったことが二十五日、規制委や東電への取材で分かった。現在も、外洋への汚染は続いている。東電は漏出の兆候として一三年十一月ごろ、1~4号機の山側を通るK排水溝を流れる水に含まれる放射性セシウムなどの濃度が高いことを規制委に報告。昨年四月以降の測定で、法令で放出が認められている濃度基準を上回る数値であることを確認した。」
(東京新聞0226)

これに対して、規制委側からは、しらじらしくも、「信頼を損ねた」云々というコメントが出されたが、

「これに対し、田中委員長は「今回の問題は深刻に反省しないといけない。これができないようでは信頼は得られないのではないか」と指摘した。更田(ふけた)豊志委員は「隅から隅まで規制当局が監視するのはあり得ないし、そんな産業は成立しない。今回は規制との信頼関係にも大きな傷を残した」と話した。」

これはもちろん事後のアリバイ・コメント。規制委は事実を把握していて、放置していたのだ。それどころか、東京新聞0226の記事の続きを読めば、ごまかし方さえ提案している。

(汚染水垂れ流しについて)「規制委は一四年一月から作業部会で議論を始め、二月には東電に「一五年三月末までに濃度基準を下回るように」と文書で求めた。作業部会では、メンバーから、浄化対策が講じやすい専用港内に排水溝の出口を付け替える案や、海に放出する前にいったん水をためて、基準を満たしていることを確認した後に排出する案などが出された。」

専用港内に流せよ、とか、薄めて流せよ、とか言っているのである。こういう「文書」を出したことを根拠に田中委員長は「(規制委に)責任問題はまったくない」などと開き直り、文書以外は何も管理しない不作為が事後になってほころびを生みだすと、「信頼」がどうのこうのと相手のせいにする。しかし、規制委=政府は、本気で東電や福一の事故処理を管理しようとはしていない。そしてもちろん東電は、放射能で環境汚染してはいけない、などという姿勢で事故処理にあたっていない。何とか安上りの手で、最低限のことをしてきりぬけようとしている。「新技術のアイデアがあってもコスト意識がブレーキをかける」福島民友)という「福島原発行動隊」の証言もある。後でふれる汚染水処理に関しても東電は設備の投資を怠っている。そんないい加減なことが、あれほどの事故を起こした後でなぜ許されるのか?

東電は、福一の過酷事故の補償ができずに実質的に国有化された。原発の経済に詳しい大島堅一氏は、この事態を、「東電は原発事故によって「つぶれない会社」になった」と講演で表現していた。だから、何をやっても結局は許される。東電利権に群がる政治家・官僚が権力をあげて保護するし、何かほころび、いやそれどころか大失態が起こっても、政府・官庁・マスコミが全力をあげてごまかし、批判勢力をつぶし非難の声をかき消す。こうした「モラルハザード」(大島氏)がまん延し、権力がふたをして、東電を破たんさせて責任を取らせる選択肢を押しつぶしている限り、東電はなにをやっても「つぶれない会社」なのだ。だから、東京新聞0227のQ&A記事が言うように、「普通の工場なら、基準を超える汚染物質を出したら処罰される」し、「公害犯罪処罰法や原子炉等規制法などに触れる可能性はある」が、前回の「福島県警」への「刑事告発」も「捜査の結論は出ていない」し、「福島第一は壊れているから別というのが政府の認識」で、「国は大目に見ている」というありがたい結論に落ち着くのであり、東電は当然それを知っているのだ。

普通なら、原発再稼働を目指す政府は、きちんと事故処理をし、その実績を足ががりに再稼働への国民の理解を求める…などという線が常識なのだが、われらが「極右」政権の場合、事情が違う。そういうめんどくさい手間のかかることは一切省略して、強権と情報・情動操作、脅しとレトリック、はては定義のごまかしまで手を染める。東電は、以前は、まず今年三月その後延長して今年五月としていた汚染水処理の完了時期を、「来年五月」と、1年も延長した。その陰には、「汚染水処理」ということばの定義を勝手に変更していたこともわかった。というのも、「東電は当初、トリチウム(三重水素)を除くあらゆる放射性物質を取り除く「多核種除去設備」での浄化を進めていた」が、この時想定された期限が2015年3月。その後「多核種除去設備」にトラブルが相ついだため、「作業が追いつかないため、含有量の多い放射性ストロンチウムを除去する装置を増設して対応し」たが、この装置で処理した水を今度は「処理」済の汚染水として、この作業の期限を2015年5月にしたのだ。

「河野太郎、秋本真利両衆院議員が「汚染水処理の定義が変わっている」と指摘。エネ庁は、多核種除去設備での処理完了には、東電の説明よりさらに一年ほどかかることを認めた。


ということで、河野・秋元両議院の指摘がなかったら、この重大なごまかしも、エネ庁などの官僚システムのごまかしネットワークを通して闇に葬られるところだった。東電がこんなことまでするのも、

本来、3月末までに汚染水処理を終えるためにはALPSを増設する必要があった。しかし、東京電力はその投資をケチって処理の時期を遅らせ、さらに「汚染水処理」の定義を変えた。内閣府・経産省の説明を聞く限り、そういうことになる。」河野洋平氏ブログ2015年02月13日 22:33)

という「コスト意識」のせいであるとともに、政府・官僚システムの「大目に見る」姿勢、すなわち、自分たち東電への支持と協力が期待できることを知っていたからだ。

さて、今回の東電と規制庁による垂れ流し放置事件は、当然のことながら人々の不信を買い、特に、汚染水の流出が直接に自分たちの仕事の未来を左右する漁業者の方たちの不信を招いた。当然のことだ。

「いわき市漁協の矢吹正一組合長は「(震災から)4年も顔を合わせてきた東電幹部から裏切られた」と不快感を隠さなかった。相馬双葉漁協の佐藤弘行組合長も「汚染水問題の解決には信頼関係が最重要だとの考えでやってきた。その前提が崩れてしまったことで、漁業者はサブドレン計画に納得しないだろう」と述べた。」
(毎日新聞20150225)

サブドレン計画とは、原子炉建屋周辺の井戸(サブドレン)から地下水をくみ上げて浄化して(薄めて)、海へ放出する計画で、これによって、原発の地下に現在1日約350トン流入して汚染水となる地下水を最大で約200トン減らせるというものだ。すでに、だれもが気がついていることだが、東電が福一から放出しようとしている汚染水には、濃度規制しかない。豊富な地下水で薄めれば、規制濃度をクリアすることは難しくない。薄い汚染水でも大量に流せば、海に出される放射性物質の総量は、少量ではなくなる。漁業者でなくとも、汚染水の放出が危険であることはよくわかる。そうした恐れと放出への反対の意思を規制委員会の会場で発言した傍聴者がいる。

「1月21日の原子力規制委員会で、傍聴席から「(汚染水の)海洋放出は認めません」と問われた田中俊一委員長が、「人が死んでもか」と答えている。汚染水が海洋放出できないから人が死ぬのだ、というような論調はまったくの暴論だが、この発言は規制委員会も現場の過酷な状況を認識しているということを示している。」
(おしどり・まこ Days Japan2015年3月号:39ページ)

田中委員長のご答弁は原子力マフィアの元締め、IAEAのお達しを反映している。

「国際原子力機関(IAEA)の調査団・・・フアン・カルロス・レンティッホ団長は東京都内で記者会見し、汚染水によるリスクの低減に向けて「管理した上で海洋放出することが全体の安全性向上につながる」と述べた。浄化設備で処理後も汚染水にはトリチウムが残るが「人体への影響は小さい」とした。その上で日本政府や東電には「海洋放出を含め、あらゆる方策を検討してほしい」と助言した。」
(共同通信20150217)

だれでも、福一の現場の作業員の人たちの、死亡事故も起きるようなきびしい労働環境を知っている。田中委員長の二者択一は、こうした現場の厳しさを、人質のように私たちに突き付ける。しかし、そもそもどうしてそんなとんでもない条件の現場になったのだ?それこそ、東電の「コスト意識」と自分たち監督官僚側のお目こぼしのせいではないか。田中委員長が迫る二者択一は、戦場で兵士に「殺されるのか、それとも殺すのか」とせまる軍事権力と同じだ。権力がおしつける不可能な選択にのせられてはいけない。選んだら負けなのだ。もっとも庶民には、こんなひっかけにのらない知恵がある。かつて、覚せい剤撲滅キャンペーンの標語で、

「覚せい剤やめますか、それとも人間やめますか」

という問いに対して、悪ガキたちは答えたものだ、

「いいえ、どっちもやめません!」

付録:
1.選択肢を提示することは、あたかもあなたに選択の「自由」があるかのように思いこませ、かつ、選択後に起こる帰結をあなたの「自己責任」に押しつけることができる。しかし、選択肢を上手にコントロールすれば、自由のない、単なる押しつけだけの選択を作ることは簡単だ。原発の例では、「政府は七日、・・・廃炉工程表の改定方針を示した。汚染水処理や溶融燃料取り出しなど各作業の特性を踏まえてリスクを明確化し、優先順位を付けて取り組む」として、

「作業の優先順位付けは、・・・「溶融燃料は危険性が高いが、頑丈な格納容器内で一定の安定状態にある。汚染水は危険性が低くても、対応の緊急性は高い」と指摘した。」
東京新聞20150108)

汚染水の危険を、溶融燃料の危険度と対照して相対化し、「選びやすく」している。その上で、「緊急性」を強調して、しかたないか、という妥協の感覚を引き出そうとしている。
2.上で引用した(東京新聞20150305)の記事と翌日に、やはり、東電の汚染水処理期限の延期を伝える福島民報の記事があった。「【高濃度汚染水】全量処理 来年5月完了見通し 浄化水処分に高い壁」というこの記事には、東電による汚染水「処理」定義の改変に対する言及が一言もない。それを認めていた官僚組織の存在も隠されている。マスコミは「福島」(であって、フクシマではないぞ!)の現状をとらえていない、などと批判しつつ除染と帰還の既定路線に人々を押し込む論調が増えてきているが、その地元フクシマの報道がどういうものか、この記事と東京新聞の記事をよく比べてください。
3.田中委員長の恫喝発言を伝えたおしどりマコ・ケンの記事には、

「私は今、海に流れ込む汚染水の量が、昨年秋から急激に増加しているのではないかと懸念している。」(東電は複数の地点で地下水の放射能を測定・公表しているが)「今年になってから最大値を記録する測定点が増えている。・・・原発の港湾内はもちろんだが、安倍首相が「汚染水は完全にブロックされている」エリアとして港湾外ですら、2015年になって最高値をたたき出しているのだ。」

という記述がある。この報道が、港湾外への汚染水垂れ流しの事実究明のさきがけになったのではないか。おしどりは原発事故を「実際どうなの!?」と追っているから、本業のお笑いの仕事を干されているらしい。みんなで支援しよう。
4.規制委の田中委員長のすてきな恫喝発言を引き出したのは、傍聴の方の心あるやじであった。傍聴のやじは、このように思わぬ反応、暴言・本音・失言を引き出して、有用な情報を公にする効果がある。もう一例、Happyのキコさんが文字おこししているもの。ところは、「第13回 原発事故に伴う住民の健康管理のあり方に関する専門家会議」、暴言の専門家は丹羽太貫(タヌキ)。映像もある

傍聴者:科学的な議論をしなさいよ。
傍聴者:そうだよ。
丹羽太貫:うるさいから黙れよ、お前!
傍聴者:ちゃんとまともな議論してくれよ。
丹羽太貫:やってんじゃないか!
多数の傍聴者:やってないよ。
丹羽太貫:じゃあ、せつせつ、あなた説明してくれよ。説明しなさいよあんた、ここに出てきて。
傍聴者:ホットスポットがあるでしょう

傍聴者をにらみつける丹羽タヌキ氏と押しとどめる官僚職員。わきに座っている「専門家」先生のヘラヘラ笑いに注目。

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