
福島の子どもたちから甲状腺がんの発生が確認された。これに対して、福島原発告訴で、名誉ある「被告発人」のひとりとなった山下俊一ひきいるところの、福島の被ばく強制医療体制の御用医師は、『原発事故との因果関係を否定した』(毎日)が、その根拠として引き合いに出されたのが、チェルノブイリのデータだった。いわく、『甲状腺がんは被ばく(被曝)から最短でも4~5年後に発症している』(朝日)からだという。しかし、ここには官僚的論理構成がお得意の悪質なごまかしがある・・・
たしかに、チェルノブイリの場合、原発事故由来の放射線ヨウ素による小児甲状腺がんの発生は、事故から4年後の1990年から驚異的に増加した。しかしこのことは、それ以前に、甲状腺がんの発生がまったくない、ということを必ずしも意味しない。
今中哲二編:『チェルノブイリ事故による放射能災害』(1998年、技術と人間社)の218-222ページに収録された「ベラルーシの青年・大人の甲状腺がん」の筆者、ミハイル・V・マリコによれば、
『ベラルーシの子供たちの甲状腺ガン発生率は、チェルノブイリ事故後まもなく変化した。表1にみられるように、ベラルーシの小児甲状腺ガン 発生率は、明らかにチェルノブイリ事故直後から上昇している。』(上掲書218ページ)
としている。『事故後まもなく変化し・・・事故直後から上昇している』という事実は、218ページの『表1』からも見てとれる。
わかりやすいように子どもの発生数の部分だけ打ち直すと、
「表1 ベラルーシの甲状腺ガンの数」から、子供(0~14歳)の甲状腺ガンの
発生数
チェルノブイリ事故前の9年間
1977年 2
1978年 2
1979年 0
1980年 0
1981年 1
1982年 1
1983年 0
1984年 0
1985年 1
合計 7
チェルノブイリ事故後の9年間
1986年 2
1987年 4
1988年 5
1989年 7
1990年 29
1991年 59
1992年 66
1993年 79
1994年 82
合計 333
となる。たしかに、症例の爆発的な変化は、事故後4年の1990年から始まっているが、マリコ氏の指摘する通り、事故後1年目から小児の甲状腺がんは増加し始めているのだ。しかも、この論文では、事故の症例数の変遷が、以下のように事故前の9年間と比較対照されており、
『事故前の9年間には、ベラルーシにおける0~14歳の小児甲状腺ガンは7例(ほぼ1年に1例の割合)しか記録されていない(表1)。この発生率(1年に1例)を、ベラルーシの子どもたちの自然発生的な甲状腺ガン発生率と考えることができる』(上掲書218ページ)
事故後1年目の2例、2-3年目の4-5例という数値が自然発生率を上回り、小児甲状腺がんの発生が『事故直後から上昇している』という判断の根拠を与えている。
これに反して、福島の被ばく強制医療体制をになう県立医大の医師は
『検査担当の鈴木真一福島県立医大教授は「原発事故による被ばく線量は内部、外部被ばくとも低い。チェルノブイリ原発事故の例からも、事故による甲状腺がんが4年以内に発症することはない」と考えている」』(河北)
と説明したという。『チェルノブイリ原発事故の例からも、事故による甲状腺がんが4年以内に発症することはない』というのは、上でみたデータに真っ向から対立する。さらに鈴木教授は
『「・・・事故後1年半しか経過していない本県では、放射線の影響とは考えられない」と東京電力福島第一原発事故の影響を否定した。』(福島民報)
発言している。つまり、発見された小児甲状腺がんの症例と放射線の何らかの関係を否定する唯一の根拠は、『小児甲状腺がんの発生は原発事故後4年以内にはあり得ない』という、経験的な基盤もなく、疫学的に検証(東北電力の社員は、意見聴取会にやらせ出演して「原発事故で死んだ人は一人もいない」と息巻いていた時、しきりに疫学的事実とか、うそぶいていたっけ)もされていない恣意的な命題に過ぎない。鈴木は、上の論文の筆者のように「事故前の発生数」を検証する手間もかけていない。そんなデータはない、と言い訳もするだろうが、それなら、今回の症例が原発事故の影響であるかどうか、言明できない、とするのが誠実な「科学的」態度であろう。さらに、チェルノブイリ後のベラルーシのデータを見れば、原発事故の影響である可能性をも考慮に入れる必要がある、としてよりいっそう、監視・検査体制を強化すべきと考えるべきではないか。
ちなみに、福島の被ばく強制医療体制の無残な「エセ科学性」を見事に体現しているのは、事故後に大活躍したリアル御用学者の一人、福士センセイである。
『首都大学東京大学院放射線科学域長の福士政広教授は「甲状腺がんの進行は遅く、現段階で原発事故の放射性ヨウ素を原因とする症状が出ることは考えられない。今回症状が確認された人は原発事故以前から発症していたはずだ」と指摘する』(福島民報)
御用疫学は都合がいい。困った症例は検証もなく、『原発事故以前から発症していたはず』とされる。
さらに、鈴木教授は、福島の被ばく量が、チェルノブイリの被ばく量よりもすくない、と断言している。しかし、仮に、空間線量などから一般的な傾向がその通りだとしても、事故当時におかれていた個々人の状況によっては、被ばく量に大きな相違が出ることもありうる。一方で、福島の医師たちは、がんを発症した子どもの被ばく量などのデータを、『プライバシー保護』を理由に公表していない。5月にあったWHOの報告では、乳児では『甲状腺被曝は最高が・・・100~200ミリシーベルト』とされていた。この値は、『避難民の甲状腺被曝線量が平均約500ミリシーベルトと報告されたチェルノブイリ』と較べても、決して低くはないであろう。そのチェルノブイリでは、『子どもを中心に約6千人が甲状腺がんを発症、十数人が死亡した』(朝日)のだから。
小児甲状腺がんの発生を『放射線の影響ではない』とするキャンペーンがヒバクを強制する側の原発事故の最小化・希薄化・忘却化の一戦略であるのは明らかだ。人々の怒号のなかで強引に原子力規制委員長に任命された田中俊一は、事故以前の福島の回復がなければ、原子力産業はおしまいだ、という趣旨のことを昨年、事故後すぐの時期に言っていた。だから除染、だから帰還、だから『がんは事故以前から発症していたはず』なのだ。そして福島では、放射能のことを話題にすることもはばかられる雰囲気が広がっているという。あなたの子どもが甲状腺がんだったとしても、気にすることはありません。だって、
『甲状腺がんの大半は進行が遅く、治療成績もいい。子どもの診断から30年後の生存率は90~99%。』(朝日)
『甲状腺がんはほとんどの場合、早期に治療すれば完治するほか、進行が遅く』(NHK)
『鈴木真一教授は「大人より子供の方が発症後の経過が良いので慌てなくていい」』(産経)
だから、『見つかった時にいかに落ち着いて対処できるかが鍵』(産経)なのだ。落ちついて対処することのうちには、たとえば福島原発告訴団に入って、山下俊一を被告訴人とするような行為は入らない。
諸新聞の報道で、きわめてわかりにくかったことは、検査対象と検査科結果の人数に関する部分だ。この不透明な情報処理は意図的であると考えたほうがいい。院長のブログに福島被ばく強制『検討委員会』の資料がのっているのがわかりやすい。
数値的な問題で、今一番注目すべきことは、検査の進展状況だ。
『甲状腺検査の対象は約36万人で、これまで結果が判明したのは約8万人・・・425人が「・・・2次検査が必要」とされた。60人が2次検査を受け、うち38人の結果が判明。この中の1人ががんと判断された』(産経)
二次検査対象者425人のうち、今回の報告の対象となった結果は、38人分、すなわち8.9%に過ぎない。その425人も全検査対象者36万人のうちの8万人、すなわち22%から得られたものに過ぎない。一次検査を加速すれば、二次検査対象者が増えるかもしれない、そして、二次検査をどんどん進めれば、がんの症例は増えるかもしれない。それなら、症例を出さないために、検査をあまり急がない方がいい、というのも被ばく強制疫学の原則である可能性がある。
最後に私たちが参照した今中哲二編:『チェルノブイリ事故による放射能災害』(1998年、技術と人間社)は現在手に入らない(アマゾンの古本でなんと¥69,778なりの値段がついていた!)。この本の一部は、このサイトで読めるが、引用したマリコ氏の論文初め、読めないものも多い。この本は、福島後の私たちにとって不可欠なものだ。中川保雄『放射線被曝の歴史』、ゴフマン『人間と放射線』は復刊された。次はこの本だ。関係者のみなさんぜひお願いします。