ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「おはよう720」&「おはよう700」

2007年08月10日 | TV番組関連
昨日、或る人物の訃報に接する事となった。

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元TBS”朝の顔”奈良陽さんが肝臓癌で死去

TBSアナウンサーの奈良陽さんが8日午前11時20分、肝臓癌の為都内の病院で死去した。65歳だった。(中略)昭和40年に同局に入社し、テレビ、ラジオのアナウンサーとして活躍。「おはよう700」、「JNNおはようニュース&スポーツ」等報道、情報番組のメイン・キャスターを務め、”朝の顔”として御茶の間で親しまれた。(中略)兄・奈良和さん(故人)もアナウンサーで、NETテレビ(現テレビ朝日)の「モーニングショー」でメイン・キャスターとして活躍した。
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自分が子供だった頃、海外は今程身近な存在では無かった。「トリスを飲んでハワイに行こう!」というTVのCMが流行ったのは1960年代の事だが、一般庶民が海外渡航をするのは非常にで、他の国々の情報に触れる機会は然程多くなかった。TV番組にはロイ・ジェームス氏やE・H・エリック氏、イーデス・ハンソンさん等の外国人タレントが出演していたが、街角で外国人を見掛ける事は珍しく、自分の場合は小学校にビルマ(現在のミャンマー)からの転校生がやって来た時が生で外国人を見た最初。そんな時代、海外の情報に触れられる貴重な番組が「兼高かおる世界の旅」(動画)、そして「おはよう720」だった。

1975年9月29日から1976年9月24日迄、TBS系列でウイークデーの朝7時20分から8時にかけて放送されていた情報番組「おはよう720」。そして後番組として1976年9月27日から1980年9月26日迄、同じくウイークデーの朝7時から8時にかけて放送された情報番組「おはよう700」。五木田武信氏と見城美枝子さん(愛称:ケンケン)等が司会を務めたこの番組の看板コーナーは、トヨタカローラ30セダン等でユーラシア大陸アメリカ大陸等を横断する「キャラバンⅡ」。様々な文化&風習を、訪問したレポーターが体験して伝えるのがとても興味深く、当事小学生だった自分はこの番組及び次番組の「8時の空」*1の冒頭部分を見てから猛ダッシュで学校に向かい、休み時間に友達と”旅の様子”を語り合う毎日だった。

奈良氏は「おはよう700」からキャスターの一員となったと記憶しているが、五木田氏や見城さんと共にキャラバンⅡのレポーターも務められ、各地で体当たりのレポートをしていたのが懐かしい。又、このキャラバンⅡで使用された曲からはオリビア・ニュートン=ジョンさんの「カントリー・ロード」(動画)や、ダニエル・ブーン氏の「ビューティフル・サンデー」(動画等が大ヒットを記録したのも忘れられない。

TBSが”民放の”として君臨していた、放送業界に未だ”良心”が残っていた時代の番組だったと思う。奈良氏の死去に心から哀悼の意を表したい。

*1 「8時の空」に”歌の御姉さん”として登場していた水越けいこさん。彼女の歌う「ほほにキスして」も良かったが、「空よ 雲よ 小さな風よ 教えて欲しい 私も幸せに 幸せになれるでしょうか♪」という歌詞の「空よ雲よ小さな風よ」がとても好きだった。 

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4 コメント

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朝の看板番組でしたね (マヌケ)
2007-08-10 09:46:22
うひゃー、おんなじですね。 アラブの方にも行ったりしてましたよね。 サラマライクンって挨拶の言葉をこの番組で覚えました。 これらのヒット曲は中学に入ってから英語の時間に歌ったりしました。 
小学生の頃はかなり鈍感な子供で時間の感覚がなく、時間に遅れるとか気にかけず、決まりどおりに行動するというのがなかなかできない、マイペースな子供でして、登校途中にかわいい猫を見つけたら授業を忘れて遊んでいたこともあったようです。 両親もこの子は仕方がないという感じで見ていたようで、あまり叱られませんでした。 時間割表を見て教科書をそろえたりすることすら苦手だったようです。 たぶん朝のテレビがあるおかげできちんと起きて、出かける時間の合図にもなっていたのだと思います。
普通の公立の小学校、中学校ですが、今は外国人のお子さんも多いですし、それもフツーのことのようです。 近所のスーパーのレジに深夜、完璧な白人の男の子が「いらっしゃいませ、198円っす」とか言っちゃってるのは、どことなくおもしろいです。 名札にクィンと書いてありました。 ブラピとかジョニーデップみたいな子と付き合いたいなどとうちの子が言っておりました。  
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>マヌケ様 (giants-55)
2007-08-10 13:14:40
書き込み有難う御座いました。

やはりこの番組を見ておられましたか。この記事を書く上でネット検索したのですが、この番組に付いての思い入れを書かれている方結構多く、それだけインパクトの在る番組だったのだなあと思った次第です。

世界の文化や風習に触れる機会が然程多くなかった当時、レポーター達が体当たりで報告してくれるこの番組は貴重でした。各地の挨拶の言葉なんかも在りましたね。「なるほど!ザ・ワールド」や「世界ウルルン滞在記”ルネサンス”」の先駆け的な番組と言えましょう。

当時は本当に外国人を街角で見掛ける機会は無かったのですが、今の子からすると信じられないでしょうね。 
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自分の中学では (Spa supernova)
2007-08-10 14:13:21
修学旅行での課題が「外国人に話しかけ、一緒に写真を撮ろう!!」でした。
で、文化祭でそれを発表。
中には文通始めた子もいました。自分のグループは仁和寺にいた20代のベルギー人女性でした。とても美人だったことを覚えています。しかし今となっては果たして英語が通じていたのか。まあ写真を撮って、本人のサインまでもらったのですから少しは通じたのでしょう。
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>Spa supernova様 (giants-55)
2007-08-10 15:00:43
書き込み有難う御座いました。

小学校でネイティブから授業を受ける事も在る時代ですから、この課題なぞも今の子には理解出来ないかもしれませんね。

サインと言えば、修学旅行でバスガイドの御姉さんが綺麗だったので、同級生の何人かがサインを貰っていました。今考えると「何で素人からサインを?」と思っちゃう出来事です(笑)。
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