2年前には「『9.0』は減点!?」という記事を、そして去年は「途中式」という記事を書いた。詳しくは当該記事を読んで戴きたいが、共に“教育現場ので妙な指導”(「完全に間違った指導。」とは言わないけれど。)を紹介した内容。
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「小学校算数の『桜ん坊計算』に戸惑う声 文科省の見解は?」(11月15日、J-CASTニュース)
小学校で「桜ん坊計算」という遣り方を強いられたとして、ツイッター上で不満の声が出ている。
文科省では、「桜ん坊計算」の言葉は使っておらず、学習指導要領で考え方を示しただけだと説明している。
切っ掛けは、小学1年生が「桜ん坊計算」を強いられて混乱していると、ツイッター上で2018年11月12日に報告が在った事だ。
桜ん坊計算とは、例えば、「8+7」の足し算で7を2と5に分け、8に此の2を足して10にする。そして、10と残りの5を足して、15と計算する遣り方だ。7の下にぶら下がった桜ん坊の実を2つ描き、2と5を実の中に書く事から、桜ん坊計算と呼ばれている。此の足し算では、8を3と5に分けても良い。
先の報告主は、「10+7」の10を3と7に分けるといった無駄な事をする子供も居たとして、こうした考え方を示した文科省に疑問をぶつけていた。
此のツイートは、大きな反響を集め、15日夕現在で5万件余も「いいね」が付いている。桜ん坊計算は、小学校で広く使われている様だ。
別のツイッター投稿者は、自分の弟が桜ん坊計算の図を解答用紙に書かずに省略した所、全部1点ずつ引かれていたとして、遣り方を強制する事に疑問を呈した。テスト中に、桜ん坊計算の図を使う様な指示は無かったと言う。
此の他にも、「桜ん坊計算の所為で、娘が算数が大嫌いになり、中学3年になっても苦手の自己暗示から抜け出せずに、数学を拒否している。」とのツイート等も在った。
桜ん坊計算に付いては、ネット上で賛否が分かれている。疑問を呈する向きとしては、「『10を1つの束にする。』というのが、どうも違和感が在る。」、「判る子が、算数を詰まらなく思ってしまう。」、「自分に合った遣り方で、計算させて上げれば良い。」といった声が上がった。
一方、「否、別に此の計算方法は、悪く無いとは思います。」、「5以上の数字は、桜ん坊計算の方が楽だな。」、「私は好きで、良い教え方だなあと感じた。」と賛同する向きも多かった。
文科省の教育課程課は11月15日、J-CASTニュースの取材に対し、「桜ん坊計算」という言い方はしていないものの、其の考え方は、学習指導要領の「解説」で示したと答えた。
其処では、小学校1年の加法、減法の考え方の中で、「計算の意味や計算の仕方を、具体物を用いたり、言葉、数、式、図を用いたりして表す活動。」だとして、桜ん坊計算とは違う図で説明されていた。
「此れで遣らなければならないという事では無く、こういう考え方で計算出来るという基準を示しただけです。遣るかどうかは、各教育委員会か各学校での判断になります。」。
尚、桜ん坊計算という言葉は、十数年前から使われている事は確認出来るが、誰が考えて提唱したのか迄は判らなかった。
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「世の中には、色んな考えが在って良い。」と思っている。だから、以下に書く事は飽く迄も“自身の経験に基づく私見”で在り、「此の考え方が、唯一無二的に正しい。」なんて言う積りが無い事を御理解戴きたい。
勉強する上で自分は、「機械的に覚える事」と「理論的に考える事」が在ると思っている。理論的に考える事の方が圧倒的に多いけれど、「平仮名や片仮名、アルファベット等の文字を覚える事。」や「歴史上の出来事が発生した年を、西暦等で覚える。」なんていうのは、機械的に覚える事だろう。
そして、加減乗除に付いても、自分は機械的に覚えた口だ。「林檎1個に蜜柑1個を加えると、全部で2個になる。」と絵で説明されて「1+1=2」を覚えた訳では無く、又、「林檎2個のセットを3セット買うと、全部で林檎は6個になる。」という絵で説明されて「2X3=6」を覚えた訳でも無い。「1+1=2」で在り、「にさんがろく」と九九で機械的に覚えた。だから、今回知った桜ん坊計算は、自分的に言えば「面倒臭いなあ。」という感じが在る。
でも、“理論的に考える力”を育てるという意味で言えば、桜ん坊計算は決して悪くは無いとも思う。機械的に覚える事“も”出来る計算だけれど、“桜ん坊計算的考え方”を発展させて行けば、“あらゆる事に対して理論的に考え様とする姿勢”が育ちそうな気もするし。
記事の中で気になったのは、「桜ん坊計算の所為で、娘が算数が大嫌いになり、中学3年になっても苦手の自己暗示から抜け出せずに、数学を拒否している。」というツイートに付いて。「英語を教えている先生が嫌いだから、英語の勉強なんかするものか。」と考え、中1の時は英語で酷い点を取っていた自分(「そんな考え方では、自分が損をするだけ。」と思い直し、中2以降からはきちんと勉強。英語が得意科目になったのだから、世の中判らない物だ。)なので偉そうな事は言えないけれど、「桜ん坊計算の所為で、算数が大嫌いになった。」というのは少し違う気がする。
煎じ詰めれば「理論的に考えるのが苦手。」という事で在って、仮に桜ん坊計算では無く、機械的に覚えるスタイルで計算を乗り越えたとしても、先に待っている“理論的に考えなければいけない数学”というのを乗り越える事は難しいだろう。(自分も、そういうタイプの人間なので。)
結論から言えば、機械的に覚えるのを得意とする人には、桜ん坊計算を強いる必要は無いし、桜ん坊計算をしていないからと言って、減点対象とすべきでは無いと考える。桜ん坊計算が「良い。」と考える人は、すれば良い。
これは教える側の強制が問題ですね。
理解させるにもその子に合っている方法があればそれでいいわけで、教える側の強制はダメですね。
覚える対象そのものに意味付けが無い、もしくは意味づけが不要なら、giants-55さんの言う「機械的に覚える事」が合うだろうし、対象に意味がある場合はその意味を考える必要から「理論的に考える事」が必要だと思います。
私の場合「1+1=2」は幼少期にモノを使って覚えたように思うので、視覚を伴った「理論的に考える事」をやっていたのではないかと思いますが、「九九」はそれこそ呪文を唱えるような丸暗記だったので「機械的に覚える事」をしたように思います(笑)。
英単語は丸暗記を強制されたせいかどうか、意味のないアルファベットの羅列に思えて苦手で、英語(だけでなく外国語全般)が今でも苦手です。
母国語を覚えるのはそれこそ丸暗記だったはずなのにね(苦笑)。
英単語の綴りに多少でも関心が湧いたのは、パソコンに興味を持ったころで、当時はBASIC言語を覚えて自分でプログラムを書くのが面白くて、いわば「理論的に考える事」をやっていたわけですね。
教師1人がウン十人もの生徒を教えなければいけないという“現実”は在りますが、“理想”で言えば、生徒個々に合った教え方をするというのが望ましい。其の生徒にとって合う教え方と、合わない教え方って在ると思うから。少なくとも十把一絡げ的な、柔軟性の無い教え方だけは控えないと、“勉強自体”が嫌いになってしまう。
教える側からすれば厄介な存在かも知れないけれど、常に疑問を持ち、「何故?」を連発する子程、長じるに従って“出来る人”になって行く傾向が強い様に感じます。自分は、そういうタイプとは真逆だったけれど。
8+7の例でいえば、さくらんぼ計算においては、「10-8=2」と「7-2=5」という二つの引き算を内包してますよね。足し算を解くにあたって、近い将来学習することになる引き算も無意識に習得できるという優れものなのかもしれません。
まぁ、いずれにせよ、小さい子どもに算数を教えるのは忍耐がいります…笑
小さい御子さんに勉強を教える、凄く根気が要るでしょうね。亡き父は理系人間だったので、子供の頃に算数を教えて貰った事が何度か在るのですが、「名選手、必ずしも名監督に非ず。」を地で行く様な感じで、此方が問題を解けないと、「何で、こんな事が判らないんだ!」と苛々モードになるものですから、勉強を教えて貰う事が苦痛になりました。そういう経験が在るものですから、「人に何かを教える時は、そういう態度は出さない様にしよう。」と思っているのですが、根が気短な物ですから、中々・・・。
「桜ん坊計算は、引き算の概念も内包している。」、そう言われてみれば、確かにそうですね。物事にはメリットとデメリットの両面在る物で、桜ん坊計算も人によってはもどかしさを感じる。でも、物事を多面的に捉えるという意味では、面白い気もしています。