俳優・坂上忍氏は、週刊新潮誌上で「スジ論 わたしのルールブック」というコラムを連載をしている。7月7日号は「伝わりにくさが生むコミュニケーションもある」というタイトルで、“話が通じない相手”を取り上げている。面白い内容だったので、一部を抜粋する。
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先日、こんなことがありました。我社の男性スタッフに、「アイスオーレを買ってきてくれる?」とお願いしたところ、「わかりました。アイスですか?ホットですか?」と訊き返されました。おそらく彼は、無意識下でわたしに喧嘩を売ったんでしょう。温かいアイスオーレがあるなら、是非飲ませて頂きたいものですな!
数日前にこんなこともありました。番組の収録終わりでスタッフさん達と居酒屋に入り生ビールを頼むと、女性店員さんが飲み物よりも先にお通しを持って来て、「お通しの説明をさせて頂きます。」と言うので、わたしはすかさず、「大丈夫です。スタッフさん達とお話ししたいんで、お料理の説明は割愛して頂いてかまいませんから。」と丁寧にお願いすると、「そうですか、かしこまりました。左から、枝豆の自家製豆腐でございます。」・・・。
おいおいおいおい!だからさ、説明はいらないんだって。あんたも「かしこまりました。」って言ったじゃん。そんなにマニュアルって大事ですか?マニュアルって、客の要望を無視してでも守るものなんですか?お客様に気分よく過ごして頂く為のマニュアルなんじゃないんですか!
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此の後、実母との携帯電話に関する話を取り上げ、話が通じない面倒さを記した上で、以下の文章で締め括っている。
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でも、どうなんですかね。伝える努力を怠ってはいけないけど、みんながみんな容易に話が通じてしまったら、ソレはソレで気持ち悪い現象なのかもしれない。
伝わりにくいからこそコミュニケーションの時間が生まれるという見方もあると思いますし・・・。でも、楽したいよね~。
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4年前の記事「年齢確認」の中で、「煙草を買いにコンヴィニに立ち寄った70歳の男性に対し、店員が『(ディスプレイ上の)“20歳以上”という表示ををタッチして下さい。』と年齢確認を求めて来た。」という話を紹介した。其れを思い起こさせる坂上氏の体験談だが、自分も似た経験を結構している。
「スーパーのレジで先に『袋は要りませんから。』と伝え、店員は『判りました。袋は不要という事で。』と答えたのに、少しして『袋は御入用でしょうか?』と聞いて来た。」り、「洋服コーナーで商品を見ていたら、店員がすっと寄って来て「何か御座いますでしょうか?』と言うので、「結構です。何か在りましたら、御呼び致しますので。』と答えた所、『判りました。』と離れたものの、数分後に何も呼んでいないのに、『何か御座いますでしょうか?』と同じ人間が言って来た。」りと。言われた事を忘れてしまっている可能性が全く無い訳では無いが、状況から考えると、“教え込まれたマニュアル通りの対応”を繰り返しているのだろう。
坂上氏のアイスオーレの話なんぞは顕著だが、「人の話をちゃんと聞いてる?」と思ってしまう対応も少なく無い。何度か念押ししたにも拘らず、全く聞いていないとしか思えない対応をされる事が在ると、本当に頭に来る。「自分の応答の変さに、全く気付いていないのか?」と思ってしまうのだが、「当人としては『自分と相手との遣り取りを、事前にきっちりシミュレートしていて、だからこそ其の“流れ”を崩せない。』という事なのかなあ。」と思ったりも。
「回路の一部がショートしてしまった接客ロボット」、本当にそんな感じですね。記憶違いで無ければ、星新一氏のショートショートの中に、似た様なロボットが出て来た様な・・・。
唯、記事を書いてからふっと思ったのは、坂上氏の「お料理の説明は割愛して頂いてかまいませんから。」という言葉の「割愛」という意味合いを、件の女性店員が理解していなかった可能性。「説明して戴かなくて結構です。」と言えば伝わったけれど、「割愛」という意味合いを理解していなかったが故の事では無いかなあと。活字離れが進んでいる昨今ですから、そういう可能性も考えてしまった次第です。