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「生きたロブスター『痛みに敏感。』茹でる調理禁止」(1月17日、読売新聞)
スイス政府は、「ロブスター等の甲殻類を生きた儘、熱湯に入れて茹でる調理法は、苦痛を与える。」として禁止する改正動物保護法を3月1日から施行する事を明らかにした。
改正法は、「甲殻類は複雑な神経系を持ち、痛みに敏感。」とする学説に基づき、提案された。生きた儘茹でる行為が「中~重度の苦痛を与えている。」というのが理由で、食品安全獣医局は、「電気ショックで気絶させて、痛みを感じない状態にしたり、包丁を入れて素早く絶命させたりした後に茹でる様。」指導している。改正法は、「輸送時に保存の為、氷で冷やす事も禁じ、自然環境に近い状態を維持する様。」求めている。
唯、「ロブスターが痛みを感じる事は証明出来ない。」(米ポピュラーサイエンス誌電子版)と疑問視するメディアも在る。
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動物を題材にしたドキュメンタリー作品を見ていると、鹿等の哺乳類がライオンに襲わる場面が登場したりする。そんな時、「可哀想。捕まらないで、何とか逃げ切って欲しい。」と鹿等の側に思ってしまうのだが、良く良く考えるとライオンも生きる為に“狩り”をしている訳で、一方的にライオンを“敵視”するのもおかしな話では在る。鳥が襲われる場面を見ると、矢張り「可哀想。」と思ったりするが、襲われるのが魚だと然程感情を揺さぶられないし、嫌いな虫の場合には何とも思わない。事程左様に、「可哀想。」と思う感情は十人十色。
「牛や豚のが『残酷。』と言うのなら、甲殻類を生きた儘調理するのはもっと残酷ではないのか?」と言われたら、黙ってしまうしか無いけれど、今回のニュースにはどうしても違和感を覚えてしまう。此れがインド等、殺生に対して異常に厳しい国の話ならば未だ判るのだが、スイスってそんなに厳しい国だったろうか?
又、今回の様な事を言い出したら、我が国の「活き造り」や「踊り食い」、そしてタイの屋台等で見受けられる「生きた儘の虫を油で揚げて食べさせる。」なんていうのも、禁止の対象になる事だろう。
“国情の違い”というのが在るので、ああだこうだ言うのは控えた方が良いのだろうけれど、少なくとも「甲殻類の輸送時には保存の為、氷で冷やす事も禁じ、自然環境に近い状態を維持する。」というのは遣り過ぎだと思う。
こういう話題は浅はかで偽善な感じがします。
ベジタリアンとか、仏教の戒律の殺生を禁じ、精進料理だといいますが、あれは動物を食べないだけです。植物は食べているんです。植物も生命です。動物の生命を奪うのはNGで、なぜ植物はOKなんですか。
人間が口にするモノで生命でないのは水と塩だけです。殺生を禁じるのなら、水と塩だけで生きていくべきです。生命は他の生命を奪わないと生きていけないのです。そのことに目をつぶり殺生禁止だ精進だというのは偽善です。
享楽の為の殺生(娯楽での狩り等)は別ですが、食する為の殺生を禁じてしまうと、最早「死ね。」という事になってしまう。今回の場合は「殺生を禁じている訳では無い。」けれど、“拡大解釈”が過ぎる気はしますね。
死刑で残酷と言われるギロチンですが、絞首刑やのこぎり引きのような苦痛が長引く刑が残酷だから、一瞬で死に至るギロチンの方が人道的な方法とも言われています。
ところで、食用に飼育している家畜を殺して食べるのはよくて、野生の生物を殺して食べるのは残酷だから駄目という屁理屈は理解できません。
牛や豚はよくてクジラやイルカは駄目というのは食文化の違いを認めず、自分たちの価値観を押し付けているだけの傲慢以外の何物でもない。
昔、小学校で飼育している鶏をつぶして給食にしたら、保護者から残酷だ、子供がショックを受けたとの抗議が起きたというニュースがありましたが、その人たちは市販の鶏のから揚げも残酷だと抗議しているのでしょうか。
スーパーの食品売り場は死体ごろごろ、残酷市場ですね。
要は自分たちが残酷な場面を見たくない、手を血で染めるのはあかの他人で、自分は食品に姿を変えたものを満足げに食するだけ、というエゴイストに見えて仕方ありません。
全く同感ですね。食する為に生き物を殺すにしても、明らかに面白半分に殺したり、死ぬ姿を楽しむ様な形で行うのなら反対ですが、そうで無ければああだこうだ言うのは一寸違う気がする。
以前にも書いたのですが、「犬を飼うならば、『犬が殺処分される現場を見る。』事を法律で定めるべき。」と思っています。「そんな残酷な場面は見たく無い。」とか「子供が見たら、トラウマになる。」といった反対が出るだろうけれど、「玩具感覚で犬を飼い、『飽きたから。』等の身勝手な理由で捨てたり、保健所に持ち込んだりするアホが多い現実。」を鑑みると、「多くの犬が殺処分されている“現実”を確り直視し、『絶対に殺処分させない。』という強い思いを持てる位で無いと飼ってはいけないと思うんです。
“嫌な現実”からは逃げ、“綺麗な部分”だけしか見様としない。「ネットに転がっている“都合の良い嘘”だけを信じ、“不都合な事実”は全て嘘と断じる風潮。』が世界的に広がっている事と重ね合わせ、「何だろうなあ・・・。」と思う事が多いです。
遺伝子組み換えや農薬過剰といった、危険な食材が増えているのに対して、批判するのであれば、時代にマッチしますし、一塊の正義があるように思います。飽食や肥満も、最貧国に対して、豊かな国の贅沢な懸案でしょう。
こういった、誰の為にもならない苦言を呈するのは、勇気も要りますし、特定の文化とか、国を相手にしない言論家ほど、矛盾を突かれ易いのでしょう。食材の十分な生産と流通は、国や地域の間に、ちゃんとした経済関係があるという事なので、食の禁欲は経済の否定、鎖国状態に自らを陥れるような不可解な発言だと思います。一種の宗教ですね。
国情の違いというのは大なり小なり存在する物で、余りにも度を越した事柄では無い限り、他所の国の人間がああだこうだ言うべきでは無いし、「国情が違うのだから、自分達の価値観を押し付けるのは良く無い。」と相手に対する理解をする事で、無用なトラブルは回避出来る。
隆様も指摘されている様に、「宗教」なんていうのは最たる物で、力尽くで棄教を強いる事も、又、信教を強いる事も良く無い。(明らかに、他者に被害を生じさせている場合は別ですが。)
この発案者は、食文化の貧しい国の出身ではないか、と思います。余りに、偽善と矛盾があり、料理文化の豊かさを解さないところは、政府発表として、恥ずかしいものだと思います。うなぎのように、栄養豊富な食材や、美食は、料理に手間暇がかかっているから、美味しいものもあると思います。高級食材であれば、簡単な料理方法でも美味しいかも知れませんが、食は、人を愉しませる為の技であって、それを禁止しようというのは、違うと思います。
いずれにしても、ロブスターの料理方法への干渉という事で、現場の調理者の手間が増える、というだけでしょう。これは、逆に、食に困ってないから、出た発想ともいえると思います。食っていくことで精一杯であれば、こんな発想は出ないでしょう。罪があるなら、飽食によって、廃棄される食材といった、食を無駄にすることの方が重いと思います。
安保法案や秘密保護法案等、世論調査では「反対。」の回答が多い法案が推し通された我が国の例も在りますから、全てが全てとは言いませんが、「国民の少なからずが反対している法案が可決される。」というのは中々難しい様に思うんです。
今回の改正動物保護法、我が国だったら法案が通らないだろうし、抑、そんな法案が審議される事も無いでしょうね。詰まり、日本には「其処迄してしまうのはおかしい。」というコンセンサスが在る。でも、スイスでは可決したという事になると、「概して、こういう考え方に理解が在る人が少なく無い。」という事なのだろうし、発案者だけの問題では無い様な気がしています。