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「葬儀の後に困った事、1位は? - 2位は『故人の預貯金口座の凍結』」(3月14日、マイナビニュース)
公益社は此の程、「葬儀・終活に対する意識調査」の結果を明らかにした。同調査は2月16日~20日、全国の45歳~79歳の男女1,000名を対象にインターネットで実施した物。
「終活」という言葉を知っているか尋ねた所、65.0%が「知っている。」、29.2%が「聞いた事が在る。」と回答した。「知らない。」は僅か5.7%で、9割以上が「終活」という言葉を認知している事が判った。
「終活」を実施しているか聞くと、男性の70以上80歳未満は41.8%が「行っていない。」と答えた。他の年代に付いては、60~70%が「終活を行っていない。」と回答している。
具体的に行っている内容を尋ねると、「自分の身の回りの物の整理。」、「終末期医療を考える。」、「自分の財産や相続を纏める。」が上位を占めた。男性・女性を問わず、70歳以上80歳未満は、其の3点を実施している割合が高かった。
家族で「終活」の事を話題にしているか聞いた所、29.5%が「時々話題にする。」、5.2%が「話題にする。」と答えた。性別で見ると、女性が話題にしている割合が約30%を超え、70歳以上80歳未満では50%を超えている。
執り行われた葬儀の後に困った事に付いて尋ねると、「遺品以外の故人の身の回りの物の処理」(35.8%)、「故人の預貯金口座の凍結」(25.5%)、「年金や保険の処理」(22.9%)という回答が多かった。
葬儀を執り行った人に、葬儀に付いて自由回答で答えて貰った所、「身内が勝手に決めてしまった葬儀で不満。(女性45~49歳)」、「どんな葬式を行うかを相談していなかったので、此れで良かったのか判らない。(女性50~59歳)」、「故人の親しかった人を葬儀に呼ばなかった為、悔いが残った。(男性70~79歳)」等のコメントが寄せられた。
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働き盛りだった父が心筋梗塞で急死したのは、もうウン十年前の事。今でこそTV番組や週刊誌等で、病気に関する様々な情報に触れられる様になり、多くの人が病気の“予兆”に付いても知識が豊富となったが、当時は心筋梗塞の予兆なんて、一般人で知っている人は少数派だったと思う。父も家族も「程度の軽い体調不良。」と位しか思っていなかった。実際、診察した医者からは「風邪ですね。」と言われていたし。
そんな父が急死したのだから、家族のショックは相当な物だった。母はショックの余りに倒れてしまい、幼かった自分も「どうしたら良いんだろう?」と頭の中が真っ白に。
父は家族と出掛けるのが大好きな人で、休みには家族で外出するのが常だった。当時としては、外食の割合も多かったと思う。同年齢からすると給料は貰っていた方だった様だが、そんな感じの生活だったので、貯金という事に余り重きを置いていなった。幼い事から健康で、自分が早死にするなんて思ってもいなかったろうから、「本格的に貯金をするのは、もう少し後からでも大丈夫。」という過信が在ったのかもしれない。
今でこそ「故人の預貯金口座は凍結されてしまうので、若しもの時に備えて、別に御金を用意しておく事。」というのは広く知られているけれど、当時はそんな事を父も母も知らなかったと思う。だから、父が急死して葬儀の話になった際、母は手持ちの御金が余り無い事で真っ青になったと言う。(父の預金口座にも、そんなに御金が無かったらしい。)幸いにして祖父が御金を出してくれ、又、父が生命保険に入ってくれていたので、何とか其の後を乗り切る事が出来たけれど、「そういう“救い”が無かったら。」と思うとぞっとする。
死をテーマに出来、日々語らいが出来るのは、芸術家とか、限られた生活スタイルを持つ人だと思います。命の重みは、個人的な理解力や意識の違いではなく、家族との関係性の中で、どれだけ当人が「社会」から必要とされ、依存されているかによるでしょう。こうしたことは教訓として受け取り、引き締めたいですね。
裕福な家庭からすると苦労は在りましたが、でも、一般的な母子家庭(乃至は父子家庭)からすれば、自分なんぞは「苦労」なんて言葉を持ち出すのは烏滸がましい程だったと思います。と言うのも、幸いにして我が家の場合は祖父母等、周りの人達に恵まれていたからです。金銭面だけでは無く、愛情面も含め、本当に良くして貰いましたから。
そんな恵まれた環境に在ったからこそ、「恵まれない人達の為に、出来る限り何かしたい。」という思いが強く、少額では在りますが、可能な限り寄付等させて貰っております。「自分が受けた恩を、他者に少しでも回したい。」と書いてしまうと良い格好が過ぎますけれど、恵まれていた人間としての義務とも。
いちばん困ったのは香典返し。香典袋に名前だけ書いて来る人が多く、香典返しを送るのに住所調べがたいへんでした。弟と二人たいへんな手間でした。
だから、最近は、香典辞退という葬式が多いのではないですか。
“香典袋に名前だけ書いて来る人”、うっかり書き忘れてしまった人も居られるでしょうが、「大事な人を失い、悲しみに暮れている人達に、香典返し等の手間を掛けさせたくない。」という思いから、意図的に住所等を書かなかった方も居られるのではないでしょうか。まあ、結果として御遺族に住所調べという手間を掛けてしまった訳ですが、香典返し不要という思いを持っている自分は、そんな感じがしています。
昔は芸能人が亡くなると、盛大な葬儀が行われ、言っちゃ悪いけれど“顔見世興行”みたいな感じで芸能人が弔問に訪れているシーンを、ワイド・ショーで良く報じられていたもの。でも、何時の頃からか「家族だけで、既に密葬を行いました。」というケースが多くなりましたね。後日、偲ぶ会を設けるケースも在ったりしますが、其れすらも行わない事も。思うのですが、御義理での葬儀参列は、遺族にとっても来訪者にとっても決して好ましい物では無く、だったら「身内だけで済ませたい。」となる気持ち、凄く理解出来ます。
で、書かれてます“執り行われた葬儀の後に困った事に付いて”のアンケートに関して、私の体験に基づく感想を書いてみます。
「遺品以外の故人の身の回りの物の処理」
これ本当にやっかいです。とにかく凄い量で、しかも実家が遠く離れてるので、整理しようにもそんなに何度も行ったり来たり出来ませんので、相当時間がかかると思います。父は11年前に亡くなりましたが、いまだに整理出来てません。とりあえず家の所有権だけ私に移して、数年がかりで、気長に整理して行こうと思ってます。
業者に頼んでトラックで運び出せばいい、と普通は考えるでしょうが、古いアルバムやら思い出の品やら父が収集した骨董品やら、捨てるには忍びないものが沢山ありますので、それらを選別し運び出してからという事になります。また運び出しても、それらをどこに置くか、場所も考えないといけません。頭が痛いです。
次に「預金口座の凍結」についてですが、私の場合、早めに親の預金口座のカード暗証番号を聞いておりましたので、「そろそろ危ないかな」と感じた頃から少しづつカードでATMから引き出しプールしてました。やろうと思えば、亡くなった直後にすぐ銀行に行ってATMで引き出すという手も可能でしょう(ただ、後で知られたらどうなるかは関知する所ではありませんが)。
「年金や保険」は、この手続きも実際やりましたが、役所や保険会社の窓口で丁寧に教えてくれますし、手続について丁寧に解説したリーフレットもあって、その通りにしたら簡単に処理できました。
自由回答の感想については、私も同じような事を感じました。父の時はかなり大勢の親族が集まりましたが、どこまで連絡するか悩みましたし、特に田舎では本家、分家とそれぞれ格が違う親族がおり、手違いで分家の方に先に連絡した為、本家の方から「なんでウチに先に連絡しない」と怒られたのには参りました。焼香順序でも、どの順番にするか、どこまで名前を読み上げるか、相当慎重に考えたのにやっぱり「私の名前が読まれなかった」などの文句が出ました。
そんな事に神経をすり減らしましたので、昨年の母の場合は思い切って母の兄弟、子供だけの家族葬にしました。供花、香典類も一切お断りし、簡素でしたが家族だけで心のこもったお見送りが出来ました。後で報告だけした本家筋からは不満が出ましたが、「家族葬でしたので」と伝えたら納得してくれました。余計な気を使わず、気分も楽で、これで良かったと思ってます。
そんなわけですので、私の終活については、前にも書きましたが、家族葬で墓もいらないと子供たちに言ってあります。
“自分の今後”も踏まえ、Kei様の体験談は非常に参考になりました。特に、「御父様の身の回りの物が、11年経った今も完全整理出来ていない。」という現実は、とても衝撃を覚えました。「遺品整理業者に“一定の処分基準”を伝えた上、整理して貰うのが良い。」という意見も在りましょうが、中々そうドライには割り切れない物。御父様の気持ちが籠っているで在ろう物は、そうすっぱり割り切って処分出来ませんでしょうから。
母は数年前から、写真の整理を始めました。「膨大な写真を残されても、残された人間が処分するのは心情的にも大変だから。」というのが其の理由。自分も、全く同感です。
葬儀に関する配慮、此れは参列する人達の“面子”が大きく影響して来ますから、本当に厄介ですよね。「家族葬等、極めて近しい人間だけで葬儀を執り行いたい。」と考える人が近年増えているそうですが、実際にそういう形で行うと、文句を言う人間が必ず出て来る。亡くなった人間が「家族葬という形で、極身近な人間だけでひっそり行って欲しい。」という“遺言”を残していたとしても、文句が出たりするというのですから・・・。