早川いくを氏が著した「取るに足らない事件」は、昭和20年代の新聞で報じられた、本のタイトル通り「取るに足りない事件」ばかりを取り扱っている。「こんな馬鹿げた事件が本当に起こったの?」と思わせる物ばかりなのだが、中には“現在の我々の常識”からすると「そんな馬鹿な。」と一笑に付してしまう事件でも、当時は必ずしも馬鹿げた事とは思えない事件も在ったりする。取るに足りない事件を列記する事で、その当時の世相や庶民の暮らしが垣間見えて来るのだから、なかなか侮れない。
紹介されている事件の中から、特に印象に残った物を2つ紹介したい。
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① 「毒牛盗人捕はる 生肉食つてピンピン」(昭和21年12月29日付、毎日新聞)
終戦直後の食糧不足時代には、他者の家畜を盗んで密かにし、その肉を闇市に売り飛ばすという「密殺(みっさつ)」なる行為が流行。昭和21年だけで40件もの密殺犯が警視庁に検挙されたとか。それだけ密殺事件は珍しくなかった訳だが、昭和21年の暮れに発生した或る密殺事件は世間を震撼させる物だった。北多摩郡小平町の農林省獣疫調査所から盗まれた牛は乳牛でも食肉牛でも無く、炭疽菌を注射された「炭疽菌培養牛」だったからだ。
ルイ・パスツール氏による世界初のワクチン開発に寄与した事で知られる細菌「炭疽菌」は、一方で恐ろしい生物兵器としても開発されて来た。最近で言えば、2001年にアメリカ同時多発テロ事件が発生した直後、「粉末化した炭疽菌芽胞が郵便物として送付されて肺炭疽が発生した。」という生物テロ事件が報道されたのを御記憶の方も多い事だろう。この細菌に侵されると高熱を発し、皮膚に黒い腫瘍が現れ、肺に吸入されれば肺炭疽症となり、咳、膿、血痰等の症状が出て呼吸困難に陥ると言う。そんな恐ろしい炭疽菌が注射された“毒牛”の盗難。
警察は必死でその行方を追った所、国分寺本町多摩湖線踏切付近で牛の鼻輪、細紐、臓物等を発見。そう、牛は既にされ、食肉にされてしまっていたのだ。「毒牛の肉が市場に流れたら、大変な事になる。」と警察は捜査を進める一方で、この事件を新聞で大きく報道させ、毒牛の持ち込みに注意する様にと各署に手配。やがて密殺犯の男(31歳)は逮捕される。彼は当該牛を盗み、自宅の物置で薪割りで密殺、半日掛りで肉を処理したとか。
肝心な肉の行方だが、自分が盗んだ牛がとんでもない代物と知ったこの男、吃驚した挙句に、何とその肉を全て玉川上水に捨て去ったと言う。都水道局の水源地・玉川上水に捨て去られた毒牛の肉。「ダムに毒を投入し、皆殺し計画を図った。」というショッカーの怪人達の如き行為。
こんな危険な細菌が水道網を通じて都内各所に無数にばら撒かれたら、もう打つ手は無い。震撼した獣疫調査所は都と協力し、付近一帯の大消毒に乗り出した。結果的には東京に被害が出なかったと言う。「炭疽菌が牛の体内で弱毒化していたのではないか。」という事だが、炭疽菌の強力さを考えると、これは奇跡と言っても良いと。
そして更に驚く事に、この犯人の男は毒牛を素手で解体していたばかりか、その心臓に塩を振って食していたとか。それでも何とも無かったというのは、これ又奇跡的と言えよう。因に医師によると、「男が食したのが心臓では無く、脾臓等で在れば、感染の恐れは充分在った。」としている。「もし感染していたら、その男の命は無かったろう。」と筆者はしている。彼がした毒牛こそ、ワクチンを精製する為の牛だったのだから。
② 「ネズミではなかった ハッタリ強盗、会社員宅荒す」(昭和24年3月28日付、神奈川新聞)
27日午前1時半頃、川崎市大島町の会社員、中本耕作氏(37歳)宅で就寝中、妻タケ子さん(35歳)が戸を抉じ開ける音を聞き、耕作氏は「ネズミか?」と怒鳴った。すると表から「ネズミじゃない。」と怒鳴り返したが、夫婦はそのまま寝てしまった。30分位経って2人組の賊が雨戸を破って侵入、出刃を突き付け現金8千円、衣類50点の他、米1斗を奪い、「外には大勢でピストルを持っているぞ、電話線も切ってあるから駄目だ。」と言って、3時半頃逃走。
元記事にも記されているが、耕作氏は「ネズミ」を「泥棒」の意味で使ったのだろう。でも「ネズミか?」と問うて、「ネズミじゃない。」と答えが返って来たので、「じゃあ安心だ。」とばかりに寝てしまった夫婦も凄い。
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犯人が笑顔で犯行を語っている写真が新聞に使われていたりと、当時は「人権」や「個人情報」等が軽んじられていたのだろう。取るに足らない事件の記事から、色々な事柄が見えて来る。
紹介されている事件の中から、特に印象に残った物を2つ紹介したい。
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① 「毒牛盗人捕はる 生肉食つてピンピン」(昭和21年12月29日付、毎日新聞)
終戦直後の食糧不足時代には、他者の家畜を盗んで密かにし、その肉を闇市に売り飛ばすという「密殺(みっさつ)」なる行為が流行。昭和21年だけで40件もの密殺犯が警視庁に検挙されたとか。それだけ密殺事件は珍しくなかった訳だが、昭和21年の暮れに発生した或る密殺事件は世間を震撼させる物だった。北多摩郡小平町の農林省獣疫調査所から盗まれた牛は乳牛でも食肉牛でも無く、炭疽菌を注射された「炭疽菌培養牛」だったからだ。
ルイ・パスツール氏による世界初のワクチン開発に寄与した事で知られる細菌「炭疽菌」は、一方で恐ろしい生物兵器としても開発されて来た。最近で言えば、2001年にアメリカ同時多発テロ事件が発生した直後、「粉末化した炭疽菌芽胞が郵便物として送付されて肺炭疽が発生した。」という生物テロ事件が報道されたのを御記憶の方も多い事だろう。この細菌に侵されると高熱を発し、皮膚に黒い腫瘍が現れ、肺に吸入されれば肺炭疽症となり、咳、膿、血痰等の症状が出て呼吸困難に陥ると言う。そんな恐ろしい炭疽菌が注射された“毒牛”の盗難。
警察は必死でその行方を追った所、国分寺本町多摩湖線踏切付近で牛の鼻輪、細紐、臓物等を発見。そう、牛は既にされ、食肉にされてしまっていたのだ。「毒牛の肉が市場に流れたら、大変な事になる。」と警察は捜査を進める一方で、この事件を新聞で大きく報道させ、毒牛の持ち込みに注意する様にと各署に手配。やがて密殺犯の男(31歳)は逮捕される。彼は当該牛を盗み、自宅の物置で薪割りで密殺、半日掛りで肉を処理したとか。
肝心な肉の行方だが、自分が盗んだ牛がとんでもない代物と知ったこの男、吃驚した挙句に、何とその肉を全て玉川上水に捨て去ったと言う。都水道局の水源地・玉川上水に捨て去られた毒牛の肉。「ダムに毒を投入し、皆殺し計画を図った。」というショッカーの怪人達の如き行為。
こんな危険な細菌が水道網を通じて都内各所に無数にばら撒かれたら、もう打つ手は無い。震撼した獣疫調査所は都と協力し、付近一帯の大消毒に乗り出した。結果的には東京に被害が出なかったと言う。「炭疽菌が牛の体内で弱毒化していたのではないか。」という事だが、炭疽菌の強力さを考えると、これは奇跡と言っても良いと。
そして更に驚く事に、この犯人の男は毒牛を素手で解体していたばかりか、その心臓に塩を振って食していたとか。それでも何とも無かったというのは、これ又奇跡的と言えよう。因に医師によると、「男が食したのが心臓では無く、脾臓等で在れば、感染の恐れは充分在った。」としている。「もし感染していたら、その男の命は無かったろう。」と筆者はしている。彼がした毒牛こそ、ワクチンを精製する為の牛だったのだから。
② 「ネズミではなかった ハッタリ強盗、会社員宅荒す」(昭和24年3月28日付、神奈川新聞)
27日午前1時半頃、川崎市大島町の会社員、中本耕作氏(37歳)宅で就寝中、妻タケ子さん(35歳)が戸を抉じ開ける音を聞き、耕作氏は「ネズミか?」と怒鳴った。すると表から「ネズミじゃない。」と怒鳴り返したが、夫婦はそのまま寝てしまった。30分位経って2人組の賊が雨戸を破って侵入、出刃を突き付け現金8千円、衣類50点の他、米1斗を奪い、「外には大勢でピストルを持っているぞ、電話線も切ってあるから駄目だ。」と言って、3時半頃逃走。
元記事にも記されているが、耕作氏は「ネズミ」を「泥棒」の意味で使ったのだろう。でも「ネズミか?」と問うて、「ネズミじゃない。」と答えが返って来たので、「じゃあ安心だ。」とばかりに寝てしまった夫婦も凄い。
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犯人が笑顔で犯行を語っている写真が新聞に使われていたりと、当時は「人権」や「個人情報」等が軽んじられていたのだろう。取るに足らない事件の記事から、色々な事柄が見えて来る。
最初の事件は現在だとバイオテロに匹敵しますね。。。なんていうか空恐ろしい~この機会に改めて炭疽菌の勉強をさせていただきました。
本人に全く自覚の無い「バイオテロ」ですから、余計に性質が悪いですよね。「良くもまあ、無事で済んだものだ。」と思わざるを得ません。
その本も凄そうですね。泉氏によるB級ニュースの続編はイマイチでしたので(戦後、平成初期のニュース編だったと記憶してます。雑誌のヨタ記事まで幅を広げたので散漫になってしまった)、その本は範囲を限定しているので良さそうですね。
夫が泥棒に「ネズミか?」と言った事件は「サザエさん」の世界に出てきそうな話です。
この本には、確か「乳揉み強盗」なる話も載っていたような記憶があります。しかし「生肉食つてピンピン」のインパクトの強さにはかないませんね。
そういえば「容疑者」表記ではなく、昔は呼び捨てでしたね。ハッタリ強盗も、時代を感じます・・・。
以前にも書いた事なのですが、「花粉症に罹患する人が昔に比べて増大したのは、現代人が余りにも綺麗好きになり過ぎたから。」という“説”が在ります。何でも「腹中に寄生虫が居た人間の数の減少カーブ」と「花粉症罹患者数の増大カープ」が見事な程に反比例しているそうで、「寄生虫の減少が、花粉症を発生させる様になったのではないか。」というもの。真偽の程は定かで無いものの、確かに自分が子供の頃と比べると、今の子供は格段に清潔。昔の駄菓子屋で売られていた商品なんて、衛生面でかなり怪しげな物が多かったですよね。青っ洟を垂らした同級生なんか普通に居たし(笑)。それだけ衛生面で“鍛えられていた”昔の人は、現代人よりも丈夫だったのかも。