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「『死んでも通夜の間は立っていたい』・・・故人の遺志が実現」(8月19日、AP)
「死んでも立っていたい。」、生前にそう望んでいたプエルトリコの男性の願いが叶った。葬儀場の関係者が遺体に特別な防腐処理を施し、3日間の通夜が終わる迄直立姿勢を保てる様にしたのだ。
エンジェル・パントハ・メジナ氏(24歳)の遺体はヤンキースのキャップとサングラスを着用した姿。母親宅のリビングルームに直立姿勢で置かれ、その遺体の前で親族が追悼の祈りを捧げた。
メジナ氏の兄弟、カルロス氏は「El Nuevo Dia」紙に対し、「故人はずっと以前から自分の通夜の間は立っていたい、と話していました。」とコメント。
葬儀場の責任者によると、メジナ氏の母親から「息子の最後の望みを叶えて上げて欲しい。」と依頼が在った言う。
メジナ氏は金曜日にサンファンに在る橋の下で死亡しているのを発見された。月曜日に遺体は埋葬されたが、死因に付いては現在も警察が調査を続けている。
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人の考えは十人十色。自身が亡くなった際、「こういった葬儀にして欲しい。」という考えも例外では無いだろう。それにしても、「通夜の間は立ったままにして欲しい。」というのは珍しいかも。立ったままで居る事に、彼は一体どんな意味合いを求めたのか気になる所だ。
もう大分昔になるが、祖父が亡くなった際の通夜の席の話。祖父の自宅で通夜を行い、一部屋を客用の控え室に当てたのだが、祖父の大学時代の友人が数人来ていた。中には大企業の会長を務め、マスメディアでしばしば取り上げられていた人物も居た。遺族も居るその控え室で、祖父の同級生達はまるで同窓会の様に大声で話し、時折「ワッハッハ。」と笑っていたりも。彼等の年齢を考えれば、「死」というのが我々程「非日常的な事」では無いのかもしれないし、だからこそ久々に在った旧友達と騒いでしまうのかもしれないが、ハッキリ言って遺族の立場からすると「ふざけるな!」という憤りの思いしかなかった。そして、それ迄は「凄い人だなあ。」と敬意に似た思いを持っていたその会長に対しても、「人間として最低。」という思いに変わったのだった。
そんな経験をしているからこそ、「自身の葬儀はごく限られた身内だけで、ひっそりと行って欲しい。形式的な葬儀等不要で、本当に自分の事を思ってくれていた人だけが手を合わせてくれるだけで良い。」というのが自分の思い。墓に埋葬されず、海に散骨されるのでも良いとすら思っている。人間は最終的に、自然に帰って行くものなのだから。
自分の様な考えはマイノリティーに属そうが、そこで皆様にズバリ聞きます!「貴方は御自身の葬儀を、どの様に行って欲しいですか?」
「『死んでも通夜の間は立っていたい』・・・故人の遺志が実現」(8月19日、AP)
「死んでも立っていたい。」、生前にそう望んでいたプエルトリコの男性の願いが叶った。葬儀場の関係者が遺体に特別な防腐処理を施し、3日間の通夜が終わる迄直立姿勢を保てる様にしたのだ。
エンジェル・パントハ・メジナ氏(24歳)の遺体はヤンキースのキャップとサングラスを着用した姿。母親宅のリビングルームに直立姿勢で置かれ、その遺体の前で親族が追悼の祈りを捧げた。
メジナ氏の兄弟、カルロス氏は「El Nuevo Dia」紙に対し、「故人はずっと以前から自分の通夜の間は立っていたい、と話していました。」とコメント。
葬儀場の責任者によると、メジナ氏の母親から「息子の最後の望みを叶えて上げて欲しい。」と依頼が在った言う。
メジナ氏は金曜日にサンファンに在る橋の下で死亡しているのを発見された。月曜日に遺体は埋葬されたが、死因に付いては現在も警察が調査を続けている。
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人の考えは十人十色。自身が亡くなった際、「こういった葬儀にして欲しい。」という考えも例外では無いだろう。それにしても、「通夜の間は立ったままにして欲しい。」というのは珍しいかも。立ったままで居る事に、彼は一体どんな意味合いを求めたのか気になる所だ。
もう大分昔になるが、祖父が亡くなった際の通夜の席の話。祖父の自宅で通夜を行い、一部屋を客用の控え室に当てたのだが、祖父の大学時代の友人が数人来ていた。中には大企業の会長を務め、マスメディアでしばしば取り上げられていた人物も居た。遺族も居るその控え室で、祖父の同級生達はまるで同窓会の様に大声で話し、時折「ワッハッハ。」と笑っていたりも。彼等の年齢を考えれば、「死」というのが我々程「非日常的な事」では無いのかもしれないし、だからこそ久々に在った旧友達と騒いでしまうのかもしれないが、ハッキリ言って遺族の立場からすると「ふざけるな!」という憤りの思いしかなかった。そして、それ迄は「凄い人だなあ。」と敬意に似た思いを持っていたその会長に対しても、「人間として最低。」という思いに変わったのだった。
そんな経験をしているからこそ、「自身の葬儀はごく限られた身内だけで、ひっそりと行って欲しい。形式的な葬儀等不要で、本当に自分の事を思ってくれていた人だけが手を合わせてくれるだけで良い。」というのが自分の思い。墓に埋葬されず、海に散骨されるのでも良いとすら思っている。人間は最終的に、自然に帰って行くものなのだから。
自分の様な考えはマイノリティーに属そうが、そこで皆様にズバリ聞きます!「貴方は御自身の葬儀を、どの様に行って欲しいですか?」
まったく同感であります。
「それが社会の仕組みなんだから仕方ない。」という御意見も在りましょうが、御義理で来て貰うというのは本人(まあ死んでる訳ですが。)も嬉しくないし、来る方としても「何だかなあ・・・。」という思いが在ると思うんですよ。ましてや記事でも書いた様に、同窓会か何かと勘違いした様な連中に来られても、遺族の側としては嫌な思いをするだけですしね。
若いうちはそういう考えが起こりますよね。
自分の実家のほうなんてのはど田舎ですから、老人の葬儀は大体同窓会、親類・ご近所懇親会ムードになりがちです。
特に10年以上寝たきりだったような老人だと「やっと死んだ」ムード一色になりがちで、若い頃にはちょっと疑問を持つことが多かったです。目の前で遺産の分け前を話されたり。「それが社会の仕組みなんだから仕方ない。」というのが今までの話だったのでしょうが、田舎でも最近はそうでもなくなってきました。
10年前まではいわゆる「隣組」が仕切る葬式で有無も言わさず、派手な葬式でしたが、最近はその仕組みが崩れ、密葬のような形のものが多くなってきています。それをコミュニティの崩壊という意見もありましょうけれども、こっちとしては「やっと自由になってきた」という気もします。
そうですね。年を重ねる毎に“あの不愉快な思い出”も、「葬儀という場が彼等にとっては、それ程非日常的な場では無かったのかもしれないな。」と思う様になりました。唯、自分が同じ年代になったら、同じ無作法はしたくないと思ってはいますが。
長患いをした身内があの世に旅立った場合、哀しみよりもホッとした気持ちが先に来るというのは在りましょうね。「(その身内が)もう苦しまなくて良いのだ。」という思いと同時に、「看病に明け暮れた日々から解放される。」という思いも正直在るでしょう。
「御義理で葬儀に来た人間が、故人とは全く無関係の馬鹿話をして大笑いしている。」というのは遺族の立場として不快の念しか在りませんが、故人と真に近しい者だけが集まって「あの人は昔、こんなどうしようもない事をしたっけ。」等と故人を偲び乍ら話に花を咲かせてくれるのは好ましいですね。
どんな権力者で在っても、魂が肉体から抜け落ちたら単なる物になってしまう。そんな冷めた考えの自分ですから、無駄に葬儀に金銭を費やして欲しくないといのは同感です。過度に資産を残すのも遺族、特に子供にとって良くない気もしますが、一方で少しでも多く残して上げたいと思うのも親心ですからね。
その人同士が談笑しているのは
「故人が皆を呼び寄せ、そのような機会を
与えたのかなあ」と思えますが、
義理で来ている人たちが
そういう振る舞いは
少し残念な気がしますね。
父親は信心がない人なので
「ここへでも納めてくれ」と言ってます。
誰かがいつもお参りに来るからだそうな↓
http://www.isshinji.or.jp/main2/index.html
故人と本当に近しい人間が「あいつとはこんな馬鹿な事をしたよな。」、「そうそう、本当にどうしようもなかった。」等と談笑をしているのは遺族の側としても頬が緩んでしまうのですが、御義理で来た上に全く無関係な話で高笑いしているのは唯不快。それなりの立場に在る人程、相手側の状況を踏まえた言動をして欲しいものです。