ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

自民党総裁選

2005年11月21日 | 政治関連
小泉首相になって以降、政治を取り巻く環境はガラリと変わったと思う。彼の功罪後世の歴史家の評価に負う所になるが、功の面で言えば従来隠されて来た”闇の部分”が表面化する様になった事や、老若男女を問わず政治というものに関心を持つ人が増えた事等が挙げられるだろう。逆に罪の面で言えば、政治がワイドショー化し、内容を伴わないパフォーマンスばかりが目立つ様になった事。その事で、国民の政治への関心が高まったのは、何とも皮肉では在るが。

とは言え、どんな形で在れ、多くの国民が政治というものに関心を持つ事は悪い事ではない。ワイドショー的な部分から政治に興味を持った人達も、それを導入口にして政治への知識を深めて行けば良いと思う。かく言う自分も、政治に興味を持つ様になったのは、自民党政争劇に興味を持ったからという、実に野次馬的な部分からなのだ。

他者とのいざこざに巻き込まれる程煩わしい事は無い。しかし、自分とは無関係な他者のいざこざに強い関心を持ってしまうのも、人間の嫌な部分で在るし、哀しいと言える。自民党内で繰り広げられて来た政争劇には、人間の欲望や嫉妬、怨念といったものが色濃く反映されて来た。良く「女性の嫉妬は根深い。」と言うが、それは必ずしも正しくないと思う。サラリーマン生活を続けて来た経験から言っても、出世争いに纏わる男の嫉妬はかなりのもので在り、足の引っ張り合いの陰湿さは、女性の嫉妬を凌駕しているのではないかと感じる事もしばしば在った。自民党の政争劇も似た部分が在る。

自民党の政争劇を理解するには、戸川猪佐武氏の「小説吉田学校」が最適だと思う。自分もこの本で政治に目覚めたからだ。かなりボリュームは在るが、戦後から今に脈々と繋がる政治の”流れ”が理解出来る良作なので、是非読まれる事を御薦めする。

ところで、先日の新聞に「自民党結党50年」という特集記事が載っていた。自民党がこの15日で結党50年を迎えた事で、過去の総裁選を振り返った内容だ。それによると、自民党では過去21回の総裁選が実施され、この内、複数の有力候補が激突する「ガチンコ型」が8回、事実上の信任投票だったり、投票前に優劣がハッキリしている等の「出来レース型」が13回という事だ。ガチンコ型の8回は以下の通り。

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(第2回) 1956年12月
 総裁: 石橋湛山
 対抗馬: 岸信介石井光次郎

(第5回) 1960年7月
 総裁: 池田勇人
 対抗馬: 石井光次郎、藤山愛一郎

(第7回) 1964年7月
 総裁: 池田勇人
 対抗馬: 佐藤栄作、藤山愛一郎

(第9回) 1968年11月
 総裁: 佐藤栄作
 対抗馬: 三木武夫前尾繁三郎

(第11回) 1972年7月
 総裁: 田中角栄
 対抗馬: 福田赳夫大平正芳、三木武夫

(第12回) 1978年11月
 総裁: 大平正芳
 対抗馬: 福田赳夫、中曽根康弘河本敏夫

(第13回) 1982年11月
 総裁: 中曽根康弘
 対抗馬: 河本敏夫、安倍晋太郎中川一郎

(第20回) 2001年4月
 総裁: 小泉純一郎
 対抗馬: 橋本龍太郎麻生太郎
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個人的には、第11回総裁選辺りからリアルタイムな記憶として残っている。田中角栄氏と福田赳夫氏の壮絶な一騎打ちとなり、金銭をばら撒いての多数派工作が展開され、この後約10年間続く「角福戦争」の幕開けともなった出来事だ。金権政治には断固として反対だが、政治のダイナミズムに溢れた時代で在った事は確かだと思う。そして、この辺の事情を知ると、小泉首相が徹底的に橋本派(旧田中派)潰しを図った最大要因が見えて来る。

第13回の総裁選も印象深い。この後に、総裁選で敗れ去った中川一郎氏が、北海道のホテルで謎の自殺を遂げているからだ。怨念渦巻く政界を具現化した様な出来事だった。

来年9月に予定されている第22回総裁選。一体どんな様相になるのだろうか?派閥が崩壊したと言われているが、かなり眉唾な話で、実際には旧田中派の橋本派から、旧福田派の派へと自民党内のパワーバランスが移行しただけだと思っている。ガチンコ型になるのか、それとも出来レース型になるのか。それは森派の動向次第ではなかろうか。
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3 コメント

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派閥 (syuu)
2005-11-22 07:42:18
 派閥・・・って、どこで聞いてもあまり、いい感じしないですね。結局狭い仲間内のような印象をうけます。派閥などは、ないほうがいいと思います。

 ワイドショー的といえば、最近話題の新人議員が、ニートとの懇談会?のようなものを何回か開いておりますね。何のためなのか、全く意味不明ですが、議員が何をすべきか、若手からベテランまで、本来の意味を理解していないように思います。

 今回の総裁選、最近の風潮や流れから考えると、出来レースっぽい感じもしますね(笑)
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Unknown (bp)
2005-11-23 07:32:11
確かリンクにはった本にあったと思います。総裁選出の際に常に問題になるのは、「誰」では無くて「どうやって」選ぶか、という選出方法だと。



例えば端的な例として、中曽根が後継に竹下を指名した時があげられるでしょう。選挙にすれば安倍になる、だから安倍を押す人は選挙を主張し竹下を押す人は話し合いを主張する。だから幹部が話しあうのは「どういう過程で選出するか」という部分なのです。「過程」が合意された瞬間にほぼ「誰」かも決定されているのです。だから出来レースというよりはそこにダイナミズムがあるということなのです。



東京新聞の記事がリンクでは読めなかったので良くわからなかったのですが、政治部の記者ならばプロなのだからこの程度の大学生が教科書かわりに読む本くらい読んだ上で記事を書いているのでしょうねえ。

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>bp様 (giants-55)
2005-11-24 02:12:15
書き込み有難うございました。



元記事ではきちんと書かれていたのですが、一寸判り難くなってしまうかなと思って敢えて書かなかった部分が在ります。



************************

・ 第7回総裁選以降

  1964年12月 - 総裁: 佐藤栄作(池田勇人が後継指名。)





・ 第11回総裁選以降

  1974年12月 - 総裁: 三木武夫(椎名悦三郎副総裁の裁定。)

  

  1976年12月 - 総裁: 福田赳夫(話し合いで一本化。)





・ 第12回総裁選以降

  1980年 7月 - 総裁: 鈴木善幸(西村英一副総裁の裁定。)



  

・ 第13回総裁選以降

  1987年10月 - 総裁: 竹下登(中曽根康弘が後継指名。)



  1989年 6月 - 総裁: 宇野宗佑(話し合いで一本化。)

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bp様が例示されておれれるのは、1987年10月の件ですよね。上記の場合に関しては、記事内では()内の様に注釈が記されておりました。



「密室型」、「談合型」と言われた自民党の決定手法。その意味で、「どうやって選ぶか。」という点が重要視されて来たのは事実ですね。根回しの妙というのも、従来の政治に於いてダイナミズムが感じられたのは否定出来ない面が在ると自分もおもいます。



唯、根回しをしても票を固め切れず、「もしかしたら、別の目が出る可能性も在るかも・・・。」と思わせた総裁選を、敢えて「ガチンコ型」と記事内では定義付けていた様に感じました。



はしょった内容で誤解を与えてしまって申し訳在りませんでした(^o^;;;。 
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