今月中に小泉内閣が退陣する事で、一人の政治家の決断が注目を集めている。それは退任が確実視されている杉浦正健法務大臣の在任中に死刑執行が行われるかどうかという事。
昨年の記事「嫌なら引き受けるな!」でも書いたが、杉浦氏は法務大臣に就任した直後の記者会見で、「死刑執行の命令書にはサインしない。」と断言した。その後、「(死刑執行の命令書にサインしないのは)私の心の問題で在り、宗教観や哲学の問題。」としたものの、発言への反響が余りにも多かった事も在り、「発言は個人としての心情を吐露したもので、法務大臣の職務執行に付いて述べたものではない。」と前言を事実上撤回したのだった。しかし、それ以降死刑は行われていない。こちらの情報によると、死刑が確定しながらも執行されていない者が91名(9月8日現在。)も居るのにだ。(中には、「連続企業爆破事件」の大道寺将司死刑囚及び益永利明死刑囚、「連合赤軍事件」の坂口弘死刑囚&永田洋子死刑囚、「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の宮崎勤死刑囚等の名前も。)
私見で言えば「死刑賛成。」だが、死刑制度に関しては賛否両論在る事だろう。唯、「嫌なら引き受けるな!」でも書いた様に、「死刑執行の命令は、刑事訴訟法で法務大臣の職責と明示されている。」以上、その職を引き受けたからにはそれを遂行しないというのは明白な職務違反だと思う。「心の問題」云々で抵抗が在るのならば、法務大臣の職を引き受ける可きでは無い。
一昨日、閣議後の会見で杉浦氏は「法務大臣としては、裁判所の判断を尊重するのは当然。」とした上で、「適切に判断し、対処す可きと考えている。」と明言を避けた。
過去10年では在任期間が5ヶ月弱と短かった高村正彦氏を除き、法務大臣在任中に死刑執行の命令書にサインしなかった人物は居ないそうだ。この命令書にサインをすると、5日以内に死刑が執行されるというが、杉浦氏は職務を放棄したまま終えるのだろうか?はたまた、職務を完遂して終えるのだろうか?
昨年の記事「嫌なら引き受けるな!」でも書いたが、杉浦氏は法務大臣に就任した直後の記者会見で、「死刑執行の命令書にはサインしない。」と断言した。その後、「(死刑執行の命令書にサインしないのは)私の心の問題で在り、宗教観や哲学の問題。」としたものの、発言への反響が余りにも多かった事も在り、「発言は個人としての心情を吐露したもので、法務大臣の職務執行に付いて述べたものではない。」と前言を事実上撤回したのだった。しかし、それ以降死刑は行われていない。こちらの情報によると、死刑が確定しながらも執行されていない者が91名(9月8日現在。)も居るのにだ。(中には、「連続企業爆破事件」の大道寺将司死刑囚及び益永利明死刑囚、「連合赤軍事件」の坂口弘死刑囚&永田洋子死刑囚、「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の宮崎勤死刑囚等の名前も。)
私見で言えば「死刑賛成。」だが、死刑制度に関しては賛否両論在る事だろう。唯、「嫌なら引き受けるな!」でも書いた様に、「死刑執行の命令は、刑事訴訟法で法務大臣の職責と明示されている。」以上、その職を引き受けたからにはそれを遂行しないというのは明白な職務違反だと思う。「心の問題」云々で抵抗が在るのならば、法務大臣の職を引き受ける可きでは無い。
一昨日、閣議後の会見で杉浦氏は「法務大臣としては、裁判所の判断を尊重するのは当然。」とした上で、「適切に判断し、対処す可きと考えている。」と明言を避けた。
過去10年では在任期間が5ヶ月弱と短かった高村正彦氏を除き、法務大臣在任中に死刑執行の命令書にサインしなかった人物は居ないそうだ。この命令書にサインをすると、5日以内に死刑が執行されるというが、杉浦氏は職務を放棄したまま終えるのだろうか?はたまた、職務を完遂して終えるのだろうか?
もしその判断が間違いなら次の選挙で落選するだけです。
現在は官僚や裁判官もそうですが市民に選ばれない人の権限が強すぎます。
執行にあたっては大臣の判断で正解だと考えます。
以前、死刑を執行した経験の在る刑務官の手記を読みました。死刑に臨む死刑囚と刑務官の心の動きが詳細に描かれており、社会の安寧や規範を守る為に必要とはいえ、心身共に疲弊する仕事なんだなあと痛感しました。こういう仕事をされている方は、それなりの対価のみならず、メンタル面でのケアも充分して上げないといけないと思ったものです。
政治家個々がどういった思想や信条を持とうが構わないと思っておりますので、死刑制度に関して賛否どっちの立場だろうとそれはそれで構わないと思います。杉浦法務大臣がこれ迄行って来た政治活動で、死刑制度に関して何等かの言動をして来たのかどうかは正直知りません。もしずっと死刑反対を口にされて来たので在れば、政治家として一貫したスタンス自体は評価したいとも思っています。唯それならば、やはり法務大臣の職には就任すべきではなかったのではないかと。記事でも触れました様に、現行法では”職務放棄”とされてしまっても致し方無い状態だと考えるからです。一政治家として死刑制度反対の政治活動をし、「法務大臣は、死刑執行の命令書に署名しない事も可。」といった法律改正を行った上で法務大臣に就任するならば判るのですが。
これも人によって様々な考え方が在るとは思うのですが、政治家という職業は中途半端な人間ではなれないものだと自分は思っています。勿論、”本来は”という但し書きは付きますが(苦笑)。
国民の生殺与奪を握り得る職業だと思っておりますので、だからこそしっかりした人間に務めて貰いたい。「うひょー、政治家になったら料亭に行けるんですよ!」とか「公約が政治家を務めながらオリンピックに出たい。」等とのたまう様な輩はなるべきではないと。杉浦法務大臣の思想&信条は、その意味に於いてしっかりしているとは言えますが、法に則って自らの思想&信条に沿わない事も行える強さも求められるのではないでしょうか。
法務大臣が警察、検察を含むすべての行政権力を縛る法律である刑訴法を守る気がないこは特筆すべきです。
法務大臣が勝手に裁判所の決定を実質覆して、誰が法を守るでしょうか。
まあ今までメディアが遵法精神に則って仕事をしていた大臣を「悪逆非道の冷血漢」呼ばわりしてたことも後遺症としてあるのでしょう。そんなマスメディアが護憲の論調で紙面を飾って説得力があろうはずがありません。
アノミーは悪化の一途。改善の兆し未だ見えずというところでしょうか。
真偽はわかりませんが、以前本で読んだところでは、死刑執行の際、ボタンが3つあって3人の刑務官がそれぞれを同時に押すと、そのうちの一つが作動し死刑囚の床が落ちて首を吊るという仕組みらしいですね。3人の刑務官のうち誰が実際に「執行」したか本人たちがわからないことから、彼らの心理的負担を和らげるのが目的だとか・・・。
冤罪は許されない事ですから、審理は徹底的に行われるべきですが、審理を尽くした上で死刑判決が出された場合には、速やかに執行されるのがベストだと自分は考えます。少なくとも、宮崎勤死刑囚や今日死刑が確定した麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚等の様に、明々白々にその残虐さを宿した人物には一日も早く死刑執行が為されて欲しいと思っています。ですので、もし自分が法務大臣だったら、同様に命令書に署名を躊躇せずにするでしょうね。
刑務官が3つのボタンを同時に押す事で、個人の罪悪感やストレスを軽減させているという話は、自分も刑務官が書かれた手記で知りました。法務大臣の場合には書面(命令書)の向こうに死刑囚を感じるのでしょうが、刑務官の場合には窓(壁?)を挟んで直ぐ傍で死刑囚の”最期”を見届けなければならないのですから、辛い仕事だとは思います。